第二十五話 右斜め上に見えるスカイブルー
それからこれぞうと水野姉妹は、交代しながら三人でニューファミコンを楽しんだ。ここでこれぞうにビックリなことが一つ。
(みさき先生、いつまでやってんだ!)とこれぞうは想った。みさきとこれぞうは二人プレイで「アイヌクライマー」を遊んでいたが、これぞうはさっさと死んで、みさきは一人だけでどこまでも雪山を登っていった。
(ちょっと待って、全然死なない……先生は勉学とスポーツだけじゃない。ゲームだって上手いんだ)そう想いながらこれぞうはみさきの横顔を見る。みさきは眼鏡をかけ、長い髪をシュシュで束ねている。束ねた髪の先は体の前に持ってきて、右肩から垂れている。彼女の表情は真剣、そして楽しそうに見えた。
「いいなぁ……」これぞうの口から一言漏れた。ゲームに集中するみさきにこれは聞こえていなかった。
みすずは姉に見惚れているこれぞうを見ながら牛乳を一杯やる。並んで座る二人を見て、みすずはニコニコと微笑んだ。
「やっぱりこれぞう君はお姉ちゃんが好き。これは間違いない。お姉ちゃんの方はまだ読めないなぁ……」みすずは二人の後ろ姿を見て少し考え始めた。
「よしっ」みすずの考えがまとまった。
「これぞう君、私ちょっとコンビニに行ってお菓子を買ってくるから後はよろしく~」
「うん、みすずちゃん気をつけてね。外には危険が一杯だから」これぞうはみすずを普通に見送った。
(それにしても先生、こんなに単純且つ奥が深い現代離れした古いゲームをすごい熱心にプレイしている。こんな先生は学校では見たことがないぞ。先生はゲームが好きなんだな)これぞうはそう想いながら自然と三角座りの体勢になり、みさきに熱い視線を送っていた。学校では大人の先生の彼女が、今は自分だけの前で無邪気にゲームで遊んでいる。職場ではまず見せることがない、一人の女性のオフモードを確かに見たこれぞうは、喜びと感動の中にいた。
(しかし先生、自分のペースでどんどん先に登っちゃうから、僕はフレームアウトしてさっさとゲームオーバーになっちゃったよ。このゲームは二人の足並みを合わせないといけないのに、そこは駄目だったな)
このゲームは、プレイヤーキャラクターが共に雪山を登っていくというもの。雪山を登れば画面は上へ上へとスクロールされていく。しかしスクロールするタイミングは二人のプレイヤーの内、先行する方に合わせて行われる。一人が先に行き過ぎて、もう一人がスクロール時にフレームアウトすると、敵に攻撃を受けた訳でもないのに死亡扱いとされる。二人のタイミングを合わせて登らないと、現在のこれぞうのように先にゲームオーバーになって暇な時間を過ごすことになるのだ。そういう訳で、ゲームの中での二人は足並みが揃わなかった。
(でも、人生はどうだろうか。人生の山なら足並み揃えて登ってくれるだろうか。まさか「アイヌクライマー」を通して二人のこれからのことを考えることになるとはね)
ロジカリストの上にポエミーな一面も持つこれぞうは、みさきを見ながらそんなことを考えていた。
「ああ!やられちゃった!おしかったわね」
遂にみさきもゲームオーバーになった。これぞうがゲームオーバーになった後、実に30分の間みさきはプレイしていた。すごい集中力だ。
「この単純作業が連続するようで、毎ステージ微妙に設定をいじってきてるチープな感じが逆に奥が深くてハマるのよね」
みさきはレトロゲームのいい所をズバリ言い当てた。
「先生すごいなぁ。まさかここまでのやり手とは想いませんでしたよ」
「ええ、昔は地元でゲームもよくやったのよ。まだまだ指が覚えてるわね」
「ははっ、雀百まで踊り忘れずってワケですね」
「まぁただの遊びよ」
ここでみさきは部屋を見回してみすずがいないことに気づく。
「みすずは?」
「え?先生聞いてなかったんですか。みすずちゃんはお菓子を買いにコンビニへ行くと言ってさっき出ていったじゃないですか」
(みすず、あの子まさか……それにしても私もゲームにハマりすぎて迂闊だった。しかし、男子と2人きりにして出ていくことを気にしないみすずの感覚には問題があるわね)
「で、先生。僕の気持ち、この前はっきりと分かってくれたと想うのですが……」と言うこれぞうの目からマジなものを読み取ったみさきは「あ~えっと、五所瓦君コーヒーまだ飲む?」と巧みに話題を変えて見せた。
「ええ頂きます」これぞうはそう返した。
みさきは台所に向かおうとした。
「先生、コーヒーは頂きます。しかしもう一つ、僕の想いは迷惑でしょうか。そこのところの答えも頂きたい」
みさきはビクッとなって行動を停止した。
(さすが五所瓦君、かわしたと想ったら巧みに周り道して防ぎにかかったわね)
みさきはこれは仕方ないと想った。そしてこれぞうの方を振り向いた。
「はぁ……五所瓦君、これはそういうことじゃ……あなたの気持ちはとても嬉しいわ。迷惑なことではないの。かと言ってありがたく頂戴できるものでもなくって……うん?」話の途中でみさきはこれぞうの様子の変化に気づいた。先程まではいつになく真剣な眼差しだったこれぞうが、今はポカンと口を開けたアホ面でみさきの右斜め上を見ていた。
「あなた何を見て……」言いながらみさきが振り返ると、そこには部屋の隅に干された彼女の下着が見えた。
「あああ!!」みさきは大きな声を上げてジャンプすると、下着を手に掴んで胸に押さえつけ、これぞうに背を向けた。
「ス……スカイブルーのブラとパンティ……」これぞうの口から語られたのはまさにみさきの下着の柄そのものであった。
「こら!あなた、何をまじまじと見て、口に出しているの!」
「え、え、別に肌につけていない状態の布そのものを見て怒ることはないじゃないですか?」
「怒るのはそこじゃなくて、これを見てからのあなたの反応についてよ。なんです、その緩みきった顔は!」
「あ、え、これは失敬。他者の目は、鏡を覗くより正確だとお祖父さんが言ってましたね。僕も顔を引き締めなければ……」そう言いながらもまだこれぞうの顔はだらしないものであった。愛しのみさき先生の下着を見て、心と表情に変化が生じないわけがない。
「五所瓦君、そこに座って動くんじゃありません!」
みさきはそう命じると下着を片付けにかかった。
今日のみさきにはうっかりが続く。これぞうが家に来てから今までずっと、みさきの下着は部屋の隅に干されていた。それが隅だっただけに、これまで二人共気づかなかったのだ。
その時みすずはというと、とっくに用事を済まして帰ってきていた。みすずは部屋のドアを少しだけ開けて中からする音に聞き耳を立てていた。
「お姉ちゃんとこれぞう君、これはどうなるかまだまだ分からないわね」
みすずの見立てでは、二人の関係が深まる可能性は全くないとは言えなかった。