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第二十三話 恋は自由だ

 これぞうは人生の新天地であるソニックオロチ高校に進学してから日々エキサイティングな毎日を送っていた。そんなエキサイティングな日々が長く続けば神経が摩耗する。そういうわけで学校で設けられた心身を癒やす期間、それが夏季休暇、もっとポピュラーな呼び方でいうところの夏休みである。今は夏休み、学生諸君なら誰もが手放しで喜んで当然の夏休み。しかし、これぞうはというと、学校が休みなので合法的に愛しのみさき先生に会う手段を奪われて悶々としていた。

「ああ!ついに来た夏休み。せっかくの夏休みだ。普段は忙しくて無理だった長編小説を読み進めるも良い。そしてこの春から始めた在宅ワークを腰を据えてしっかりやるも良い。時間があればやることはいくらでもある。学校があろうがなかろうが、僕は人生に暇をしたことがないんだ。しかし、今年の夏はどうだ!春に見つけた新たな生きがい、つまりはみさき先生を愛でる毎日。それがだいたい40日の間お預けになったわけだ。こんなのないよ。そうだろ姉さん?」

「へぇ?休みなのに文句言うことないじゃん」

 これぞうは、今年から生まれた夏休みの不満を言うために姉のあかりの部屋に来ていた。あかりはアイスキャンディーを舐めながら話を聞いていた。

「ていうかさぁ、そういうことなら会いにいけばいいんじゃない?」

「あっ、それはいい考えだ。どうしてそんなことを思いつかなかったんだろう。恋は盲目と言う。視力が2.0の僕でも状況が状況だけに視界が曇っていたようだよ。さすが地域一恋多き女あかり姉さんだ。じゃあ会いにいこう」

 これぞうが言い終えた時、あかりはアイスキャンディーを食べ終えて棒を口から離した。

「あっ!あたりだ!これは2年ぶりのことね。これぞう、これあげるから一本もらって食べなさい」 

「ありがとう姉さん、こいつは幸先が良いぞ」これぞうはそう言うと部屋を出ていこうとした。

「ちょっと待って、あんた先生の家にいくつもり?」

「ああ、そうだよ」

「これぞう、ちょっとそこに座りなさい」

 これぞうは姉の机の側に座った。

「なんだい姉さん」

 ここからあかりの恋愛指南が始まる。

「あんたね、独身の、しかも若い女のところに、仮にも男が行くのよ。だったらみさき先生としてはあんたを部屋に上げづらいってこと分からないわけ?」

「ええ……そんなものなのかな、いかんせん僕には女性経験がなくて女子の繊細な気持ちというやつがよく分からない」

「ええ、そういうものなのよ。あんたが行けばまず追い返されるわ。そこで、細工をするのよ。恋に勝つにはいつだって細工よ。最終的に勝てばあとは何でもいいのよ。これはスポーツじゃないの、極めて自由度の高い戦いなんだから」

「姉さん、やっぱり姉さんはすごいよ。恋愛だって策を弄してなんぼっていうんだね。そこでルールに縛られない自由な発想を役立てるってわけだ」

「うんうん、そうよこれぞう。あんたはまだまだ知らないことがたくさんあるけど、教えれば覚えるのが早い良い子だわ」

「えへへ、そうかい姉さん。興味のあることに対しては能が冴えるんだよね」

 こうしてあかりは、恋愛の素人の弟に恋の細工を伝授した。これを受けて、これぞうはみさきの住む例のボロアパート「メゾン・オロチ」を目指したのだ。


「ピンポーン」みさきの部屋のベルが鳴った。

「せんせ~い、僕です。これぞうで~す」

 ベルを鳴らしてから二秒しか経っていないが、早く先生に会いたいこれぞうにはその二秒が長く感じた。なので声を出し、扉を叩いた。そしてうるさい訪問客に応じて扉が開いた。

「え、何?どうしたの五所瓦ごしょがわら君」みさきはさすがにビックリしたが、家を知っている以上はいつか必ずコイツがここのドアを叩く日がくるとある程度の覚悟はしていた。なのでビックリレベルはかなり抑えられていた。

「先生!是非相談があります」

「なんでしょう?」みさきはドアを全開にはしていない。半ドアであった。やや警戒している。

「いや、ゆっくりまったりお茶でもしながらお話したい。こんなものもあるし」そう言ってこれぞうが差し出したのはこの街の名物「オロチ饅頭」。大蛇がとぐろを巻いている格好をした丸っこい饅頭である。遠目に見ると「ひよこ饅頭」ぽく見えないこともない。味は完全に美味い。これは議論の余地がないことである。

「はっ!オロチまん……」相手が女性ゆえ表現は控え目にしておきたいのだが、この時みさきの口内のよだれの分泌が忙しく行われた。そう、彼女はこの饅頭のファンである。そしてまだ朝飯前で腹が減っていた。時刻はまだ朝の8時だった。

(無性に、無性に食べたい。けど……男を、しかも生徒を上げてもよいものか。というかこの子、人の家を尋ねるにはちょっと時間が早くないかしら)

 このような葛藤は、若い女性として、また教師としてとりあえずはしておかないといけない。しかしそのガードもすぐに崩れる。人は欲に弱い。食欲を引き起こすことは、人の意志を崩すにはうってつけの爆薬となる。

「まぁ、ちょっとだけならね……コーヒーにしましょうか?」

「ふふっ、和菓子にコーヒー、先生分かってますね。意外にお茶じゃなくて、コーヒーもいけるんですよね」

 こうしてこれぞうは愛しのみさき先生の家への侵入に成功した。玄関で靴を脱ぐ時、彼の足に固いものがあたった。それはいつか見かけたダンベルであった。

 あかりの用意した細工は饅頭だったわけである。この饅頭を朝早くから用意できたのは、仏壇にお供えしていたのを取ってきたからである。ちょっとばちあたりではないかとこれぞうが心配して言うと、あかりは「死人には口はないわ。これはまだ元気で口がある女を落とすために使うべきよ。現実主義だったおじいちゃんもきっとそう言うはずよ」と返した。これぞうの祖父の存在は作中でも何度か触れたはずであるが、今明かしておこう。これぞうの祖父は亡くなっていた。その位牌は仏壇に備えられている。祖父は二人の孫をとても可愛がっていたので饅頭を取られたくらいでは怒りはしない。

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