第一話 新たな出会いはだいたい春に訪れる
春、またやって来たこの季節。鬱陶しい学校生活が一段階終わったと想ったらまた次のスタートがやって来る季節。人生の内にあと何回この残念な感じを味わうことになるのだろうか。
僕はちょっと前に我が人生一鬱屈たる時の横に=(イコール)を置いて義務教育を終えたばかり。うん、分かりやすく表記するとこう。
我が人生一鬱屈たる時 = 義務教育
この義務教育というのは何と9年もあった。僕はこれがスタートしてから2週間で飽きてしまった。残った8年と300うん日……いや、ほぼ9年を大変つまらない想いで過ごした。
この9年間で学んだことは、人生にはこうしてつまらなくて下らない時間があるということだった。だからこそ実りある楽しい時間がかけがえのない物であるという事が分かった。
正義を知るには、正義を執行するべき悪が何かを先に知っておかないといけない。先に起こるのは悪、遅れて芽生える感情が正義、悪あっての正義ということだ。僕はこの9年で悪が何かを学んだ。あとはこの悪に対して正義を執行しなければならない。それはつまり、これまでのクソみたいな生活を抜けて、楽しい人生を送らないといけないということ。時間を無駄にするのは大罪、楽しい人生でなければ本物じゃない。
しかし僕の前にはまた次の学校が、高等学校が現れた。ここでの生活はもう避けて通ることが出来ない。僕はここでの三年間を有意義なものにしなければならない。でないと僕は自分の人生に、いや命に顔向け出来ない。
今日踏み出す。僕の人生の新たな一歩を。
しかしその一歩は幸先の良いものではなかったようだ。何故って?僕、遅刻しちゃったんだ。初日からね。
遅れたものは仕方ない。入学式に遅刻するという人生裏ルートを楽しもう。本当ならこの時間には在校生に混ざって、まだ着慣れない制服を来てそわそわしている新入生なんかが見られるんだろうけど、まぁいないわな。その風景は明日から見ることにしよう。
高校は中学より少しだけ近いから助かった。この通学時間ってのも無駄な時間なんだよね。
学校に着くと、体育館裏に桜が咲いてるのが見えた。体育館ではもう入学式が始まっている。いまから入るのも何だし、終わるまで僕は花見でもさせてもらおう。
僕が桜の木の下まで歩いて行くと、「ニャア」と鳴く声が聞こえた。上を見ると桜の木の枝に猫が座っている。
うん?これはもしかして降りられないのでは?
こうなったら見捨てておけないのが僕という王子様キャラ。僕は木に登って猫を捕まえようとした。すると猫は枝の上を歩き、壁に飛び移ってトボトボと向こうに歩いていくではないか。
なんだ、助けはいらなかったのか。僕は安堵の息を漏らした。
そして次には困って唸ることになった。今度は僕が降りられない。登るのは良かったのだが、下を見ると怖くて動けない。こうなるとは全く予想ができなかった。僕のうっかりさん。
「コラ、何してるの!」
木の下から声がする。それは初めて僕の鼓膜を震わせた声。春風のように爽やかで、風鈴のように心地良い音だった。その声は恐怖の中にいる僕を一時安心させた。どこの誰がこのような何とも言えない心地よい声で僕に話しかけるのだろう。そう想って僕は下を向いた。
そこには緑のジャージを着て、メガネをかけた女性がいた。黒よりは茶色がかった長い髪を春風に泳がせながら彼女は僕を見ていた。
「ややっ、どこの御婦人だろう」とつい声が出た。
「私はここの教員です!君こそどこの誰で、そこで何をしてるの」
「質問は一つずつにして欲しいな。まぁ良いや、ではその質問を順に潰していこう。僕はそこの通りを真っ直ぐ行ってぶつかった所を右に曲がってから三軒目の家に住んでいる五所瓦これぞう」
これ、僕の名前ね。
「今は入学式に遅刻したついでに木から降りられなくなった猫を救出しようとしたら、今度は自分が降りられなくなってにっちもさっちもいかない状態になっている。以上」
「え!降りられないの?」
「嘘はつかない!」
僕はこの女性に救出を求めたのである。
「待ってなさい」女性はそう言うとしばらく席を離れた。
言われなくてもこっちは待ってることしか出来ない。
女性は高跳びで着地する時に使うデカくて柔らかいマットを引き摺って来た。
「ここに飛び降りるのよ!」
いや、そういう問題じゃない。それが敷いていれば体は無事だろうさ。でもね、僕はビビって動けないんだ。真下にクソデカイマシュマロがあったところで、そもそも飛ぶって行為がこの状態では叶わない。だって僕、高所恐怖症。一回下を見て高さを確認したらもう無理。
「はやくしなさい!」
「だってさぁ、怖いんだもの無理言わないでよ」
女性はマットの中央に立ち、足下を指差す。
「ここよ、ここ目掛けて飛ぶの!怖かったら目を瞑って。大丈夫だから」
怖い。しかしこんな木の上で残りの人生を過ごすわけにはいかない。僕は一刻も早く地上で過ごす人生に戻りたかった。という訳で僕は目を瞑り、どうゆうわけか鼻まで押さえて飛び降りた。
「え!今!」という彼女の声が聞こえた。
僕は全身に柔らかい物を感じた。やった!マットの上だ。地上に帰ってきたぞ。そう想って僕は目を開けた。眼の前には緑、マットは確か赤色をしていた。
顔をあげると、そこは女性の上、胸の部分だった。どうやらきっちり彼女の示した地点に落下して彼女を下敷きにしてしまったようだ。となると彼女が無事か確認せねば。
「これは失敗。大丈……!」
僕が顔を上げたこの時、彼女の顔が間近に見えた。僕が乗っかった衝撃で彼女のメガネはマットの上に転がっていた。彼女の素顔に僕は見惚れてしまった。そして自然と口を衝いて出た言葉がある。
「綺麗……」
桜よりもこっちが上だった。




