第百九十七話 夕陽の中であなたはもっと綺麗になる
「という訳で、僕の進路が正式に決定しました」
今は放課後、夕陽の照る教室でこれぞうとみさきは進路面談をしていた。
9月半ばでこの段階のこれぞうは、他の生徒と比べて活動がやや遅くれていた。
「はい。これでいいのね?」
「ええ、もちろん」これぞうは笑顔で言った。
「いや~しかし、偶然にも先生の足跡を辿ることになりましたね。先生が青春を過ごした場所を僕の目にも焼き付けよう」
「もう入った気でいるの?」
「ええ、僕は決めたからには入ります」
「う~ん、それは分かったけど……」
みさきが気にしているのは、これぞうの進路希望が本当に毒蝮大学一択だと言うこと。揺るぎない目標があるのは良い。しかし、教師としては第二の進路、この場合には滑り止め受験先も決めて欲しいと想っていた。
「滑り止め?そんな後ろ向きな進路選択はしたくないですよ。落ちる可能性がゼロではないことは確かにそうですが、落ちないために僕は全力を尽くします。駄目だった時にこうしようなんて手を打つ暇があるなら、第一の目標に向けて邁進するのみです」
これぞうは一端のことを言い切る。それには頷ける点も確かにある。
「でもね、先の先のことも考えて欲しいの」
「先生、僕を信じて下さい。他でもないあなたが育てた生徒だ」これぞうは熱っぽい目でみさきを見つめた。これぞうは、まずは自分を、そして次にみさきを信じている。
「う、うん。まぁ仮に受験に失敗したとしても、そこからでもまだ手は打てるわ……」
「じゃあ、このお話はこれで終わりですね」
これぞうは強引に場を仕切りだす。
「では、次は僕の用を少々……ああ、お時間は取らせません」と言うとこれぞうは自分の鞄に手を突っ込んでごそごそとあさりだす。
「まずコレ、桂子ちゃんから渡されたこないだの写真です」
これぞうは夏の旅行写真を机に出した。
「良く撮れていますよ。先生は写真写りもいいなぁ。無論、動きの加わった実物をこうして見るのが一番ですがね」
「へぇ、ありがとう……コレ、いつ撮ってたの?」
「ああ、甲本さんですよ。彼は桂子ちゃんからのお呼ばれがない間、どこかしらに隠れてカメラマンをやってたんですよ。その昔、写真館で働いたこともあると言うので腕はバッチリですよ」
みさきは手にとって写真を見る。その時のみさきの顔は穏やかなものだった。
「あれ、最後に撮ったのは?」
「え?」
「ほら、二人で撮った……」
「ああ、あれは……僕が持ってます。その、そこには基本的に皆で写っているがあって、あれは、何か先生に渡すのが恥ずかしくて……」
これぞうは思わず顔を赤くする。
「人を写しておいて、本人には見せないの?」みさきはいつにも増していたずらぽく言った。
「いいえ、それはお見せしますホラ」と言うとこれぞうはガラケーを開いた。写真を更に携帯のカメラに撮ったものをみさきに見せた。
「ふ~ん。まぁ良く撮れてる……」それを見てみさきは想った以上に恥ずかしくなった。こうして男とツーショットを撮ったことなど過去にあったかどうか思い出せない。
「まぁいいんじゃない。五所瓦君が満足なら、持っておけば」
「ありがとうございます。良い想い出になりました」
二人共照れてしまい、少々の間無言の時が流れた。
「で、次です。こうして楽しい旅行に一緒に行ってくれたことのお礼です。僕の焼いたシフォンケーキです。親戚の所で取れた柚子が入っているんです。僕は大好きな味だけど、姉さんは柚子がちょっと苦手って言うんです。先生は大丈夫でしょうか?」
「ええ、柚子は好きよ。実家ではお味噌汁に入ってたし、お風呂にも入れてた。色々使えていいよね」
これぞうは「お風呂」というワードに飛びついた。
「へぇ……柚子風呂によって……その美しい肌が仕上がるのですね。参考になります」と言うとこれぞうは、ポロシャツの袖から覗くみさきの二の腕に目をやった。
「五所瓦君、あんまり見ないの」
「あっ、これは……申し訳ない」これぞうはうっかり、そしてうっとりみさきの柔肌に見とれてしまった。やはり思春期少年にみさきの美貌は危ない。
夕陽に映えるみさきは、普段見える幼さを一旦忍ばせ、いつもより色っぽく見えた。これを感じたこれぞうはドキドキしていた。今まで意識しなかったが面談中は教室に二人切り。しかも好きな女性とだ。いけない。この状況が長く続くのはきっといけない。恋を知った者にだけ察知できるその気配に気づいたこれぞうは解散を急いだ。
「で、では、今日はこれで。これから帰って勉強しますから。先生も気をつけて帰ってください。少しずつ陽が短くなっていますからね。暗くなって溝にでもはまったら大変だ」
「もう、私にする心配がそれなの?」
「はは、先生がそんな間抜けを踏むはずがないですよね。では、これで失礼します。さようなら」
これぞうは教室を後にした。
学校を出て最初の信号に引っかかるまで、彼のドキドキは止まらなかった。