第百九十五話 決意、その胸に……
ベースに日常を敷くからこそ、非日常は面白く、刺激的である。たまの旅行を終えて、これぞうはいつもの日常に戻った。
夏休みも過ぎ去り9月に入った。秋はまだ遠く、相変わらず日々くそ暑い。
出来上がった旅行写真を桂子から受け取ったこれぞうは、それを毎日のように眺めて過ごしていた。なぜってそこには愛しのみさきの姿があったから。
その夜もこれぞうは自室の机引き出しから写真を出して見ていた。
「先生~やっぱり可愛いなぁ……」
二万回見たってみさきの美しさはこれぞうを飽きさせない。彼にとってみさきの存在はこの世の奇跡であった。
写真には、白いビキニを着て砂浜を舞うみさきの姿がある。ビーチバレー中のワンショットだ。白い砂浜に白いビキニ、そして白き乙女の柔肌とくれば、エフェクトでも効かせているかのように写真は明度の高いものに見えた。しかしそんな仕掛けはない。写真に写る画は混じりけなしの天然物である。
順に写真に目をやり、最後の一枚を手にする。最後の一枚は最高の一枚。甲本の図らいで完成したベストショットには、これぞうとみさきが二人で写っていた。これぞうはこの時ばかりは甲本に感謝した。
こうして自分とみさきが並んでいるのを客観的に見れば改めて良く分かる。すっかり自分の方がみさきよりも背が高くなっている。みさきと出会った高校一年生の春はみさきの方が少し背が高かった。みさきと別れて再開した春には背が同じくらいになっていた。それから半年ほど過ぎた今、自分の方が背が高くなっていた。
「そういえば僕、結構背が伸びたみたいだな……」
見た目だけでも成長が分かると彼は嬉しかった。今ほど未熟をもどかしく想ったことはないからだ。憧れのみさきがすっかり大人になったのに対して、自分がいつまでも子供のままでは振り向いてもらえるはずがない。これぞうは早く大人になりたいと思うようになっていた。
「お祖父さんが言っていた。人生、おっさんになってからの方が長い。焦らなくても、後から飽きるほど大人をする時間はある。だからガキは背伸びせず、短いガキの期間を楽しめってね。何だか今になってあの言葉の重さが分かってくるなぁ……お祖父さんって破天荒な人だったけど、ここぞって時に良いことを言うからな。無駄に長生きしてる訳じゃないんだなぁ」
これぞうは祖父を尊敬している。ゆえに祖父の教えをよく聞き、その際放った言葉をしっかり覚えていた。
「僕は、もうガキじゃない。先生だってそう言ってくれた。さよならの時かもしれない。本気で先生と向き合うなら、大人にならなくては」
こんなことを口にしたこれぞうは、ガキをやっていた今までの人生を振り返った。彼は一般的に見て少々の変人。人並みな青春ではなかったかもしれない。それでも彼は、自分の17年とちょっとの人生を嘘偽りなく完全に楽しきものと確信していた。ゆえに、ガキを脱する時期にある自分のライフステージを寂しく見つめた。
「そうかぁ、子供でいることって楽しいことだったんだな。比較できる大人の世界を知らない以上、子供の内はそれを自覚できない訳だ……」
これぞうはみさきと写るツーショット写真に再び目をやった。
この人の隣に、来年以降も立っていたい。彼の本能が出した答えだった。
これぞうは、愛しき日々を記録した写真をまた引き出しにしまった。
「よし、次の戦いだ。高校生活を綺麗に終わらせなくては……」
決意を胸にこれぞうはHB鉛筆を握る。
これぞうは机に開かれたドリルに向かい、優秀なおつむを忙しく回転させるのであった。
お気楽な文学青年は一旦休み。今の彼は受験生だ。
青春はもちろん楽しい。しかしお気楽なばかりではいられない。こうして戦うことも忙しい青春の一部なのである。