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第百八十四話 浮くこと、戦うこと

 海を前にしながら、海に入らぬ内に結構な疲れを抱えた一同は想った。自分たちは海に入る前から何でこんなに疲れているのだろう。海に来たんだし水着も着たならしっかり泳がなきゃ。

 これぞうを除いた他の者達はビーチバレーにのめり込みすぎていた。なので、今から海に入ろうと想ったわけである。プロの体育教師であるみさきの指示の下、一同はしっかり準備体操をしてから海に入った。

 肌を海水に浸す者たちがいる中、これぞうはパラソルの下で顔を赤くして「ふーふー」と大量の息を吐いていた。

「これぞう、何してんのよ?」

「やぁ姉さん。いや~肺の空気が空になりそうになってやっと完成したよ」

 これぞうは浮き輪を膨らますことに成功していた。

「いや、それ何?」

「何って、こいつが命を守りし聖なる輪っかだと分からない姉さんじゃないだろう?」

 聡明な姉が浮き輪を知らないはずがない。彼女が「何?」と言ったのはそういう意味ではない。

「いやいや、あんた、こんな広い海に来て、そんな体の自由を奪う輪っかをはめることないんじゃない?」

「ははっ、面白いことを言うね姉さん。その輪っかがないと、僕は二度と再び大地を踏むことが出来なくなるんだよ。それ即ち自由を失うことじゃないか」これぞうは笑いながら返す。

「え?あんたまさか……泳げないの?」

「う~ん、厳密に言うと浮けないのかな。沈むんじゃ泳ぐも何もないよね」

 姉はその事実を知らなかった。確かに弟とプールに行った時、弟はいつだって浮き輪をはめていた。そして最後に姉弟でプールなり海なりに入ったのは遠い昔のこと。その遠い昔から今日まで、姉弟はいつだって丘で会い、水場では会っていない。だが、いくら何でもあれから弟の水泳能力が伸びていないとは予想だにしなかった。

「信じられない。義務教育を終え、そろそろ高校も出るって者が泳ぎを知らないなんて」

「知ってるさ姉さん。ただ実践は出来ないんだな~これが」

「よし決めた。ここであんたを泳げるようにする。弟が泳げないなんて、全ての姉の恥よ」

「ちょ、ちょっと姉さんそれは言い過ぎじゃないか。カナヅチの弟を持つ姉さんだって地球にはたくさんいるだろう」

「そんなのがたくさんいるものですか。とにかくこの私が、自分の弟がそうなのを許せないの!」

 あかりはこれぞうの腕を掴んだ。

「さぁ来なさい。あの塩水が自分の産湯だったと言わせるくらいに慣れ親しんでもらうわ」

「いやなことを言うなよ姉さん。僕の産湯は例の産院の洗面器に注がれた暖かいものだったじゃないか」

 もちろんそんな記憶はないが、母の残した写真で彼はそこのところの事実を知っている。

「あんたはよくもそうしてペラペラと舌が回るわね。その調子で手足も動かしたら普通に泳げるわよ」

「あ、あ、ちょっとちょっと。とにかく水ってのをなめたらダメだよ。大地を育てる母なるものだが、怒りを買えば命を飲み込んでしまうのもまた水なんだからね。マグロ漁船の上で学んだことさ」

「まったく信じられない。あのマグロを食べた人達は、まさか泳げないポンコツが捕まえた物だとは微塵も想わなかったでしょうね」

「ははっ、そもそもマグロを捕まえたのが誰かってこと自体普通は考えはしないよ」

 そんなことを話している間に姉弟の足は海水に浸されていた。

「浮き輪はなし!私が手を引くから」

「あ、姉さん!いやちょっと、本気なの!」

「それを読み取れない程あんたは愚かな弟なの?」

 これぞうが見た姉の顔はマジであった。

 こうなった以上、姉はもう引かない。ならば腹を括って今日限り自分はトビウオになろうと覚悟を決めたこれぞうであった。


 それから30分。

 

 これぞうは浮き輪に乗っかって疲れた体を休めていた。浮き輪は海を漂う。

「だめね。まさかこれぞうがここまで泳げないとは。カナヅチじゃなくてもっと大きなハンマーじゃないの?」

 これぞうはトビウオになれなかった。そして、あかりのレッスンは一旦休憩に入った。


「あかり~何してるの~?」遠くから桂子が声をかける。

「これぞうの泳ぎの練習~」とあかりは返す。

 皆は姉弟から離れた所で思い思いに遊んでいた。

 あかりは桂子達がいる場所まで泳いで近づいた。

「これぞうったら、高校生にもなってまだ泳げないでいたのよ」

「あらあら、そんな状態で正月には海に出たのね!」

「そう言えば、あれはあんたの指名で決まったことだったわね。乗組員にカナヅチかいないかどうかくらい確認しときなさいよ」

「まぁまぁ、あの時は救命胴衣を着ていたし、それに漁師はあくまで船の上で戦う生き物よ。海に入って戦うことはないわ」

 あかりと桂子が話している所に松野が泳いで寄って来た。

「何してたんですか?」

「ああ、ななちゃんは泳ぎが達者なのね。やっぱり泳げないのはこれぞうくらいね」

「五所瓦君、泳ぎの練習してたんですか?」

「そうなのよななこ。このブラコン女が手とり足取りでね」と言うと桂子はあかりを指差す。そしてまだ喋る「まぁ成果は無かったみたいだけど。次は私がお教えましょうか」

 松野はあかりと桂子の後ろに目をやる。

「あの……その五所瓦君はどこに?」

 松野が問いかけるのであかりと桂子は後ろを振り返る。

 いない。さっきまで浮き輪に乗っかってプカプカと海上を楽しんでいた彼の姿がない。というかその浮き輪すらない。

「これぞう!」異常事態を察知したあかりが大声を上げる。よく通る彼女の声はそこから500メートル、いや1キロの範囲にだって届いただろう。しかし、弟の応答はなかった。


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