第百七十八話 知らぬ間にグッバイ青春の最頂点
7月になった。春から夏へと季節はすっかりバトンタッチし、早朝や晩だって暑い日々が続くようになった。
そんなある日、あかりはアイスキャンディーを舐めながら弟に言った。
「ねえこれぞう?そう言えばあんたって修学旅行いつ行くの?」
「え?修学旅行?あーそう言えばいつ行くのか何も聞いちゃいないなぁ。よし、明日になったらそこら辺のことに詳しい彼にでも聞いてみるよ」
「あんたって旅行とか嫌いなタイプよね」
「ああ、あまり好きじゃないね。見聞を広めるのは良きこと。しかし僕としては、西へ東へ足を運ぶよりも本を読んでいたいね。僕は紀行文なんかも読むんだよ。読んでいれば気分だけは古今東西どこへでも飛ぶことが出来るんだ」
「そう、あんたは想像力豊かよね」
「ああ、想像力ってのは人生を楽しくさせるものだよ」
「で、今はその旅に、好きな人と、それも合法的に行けるからとワクワクしてるわけだ?」
「へへ、分かるかい?旅云々ではなく、環境を一つ変えてやれば心の距離がぐっと縮むってね。そういうことも本の中で言われている」
「そうね。時の力だけではなく、場の空気感ってのも人間関係形成と意外な関わりがあるからね。退屈な学校を抜けた先でみさき先生との関係に何か変化があるといいね」
「へへ、良いことを言うね姉さん。ところで、僕もこの乾いた喉に潤いが欲しい。僕のアイスはないのかい?」
「あるわよ。冷蔵庫の中、見てみなさい」
「わ~い」
これぞうはアイスを求めて台所に向かった。
そして次の日の朝。
「ということがあったのさ。で、僕らの修学旅行なんだけど、いつどこへ行くのさ?」これぞうはそこら辺のことに詳しいであろう友人に問いかけた。
本日は太陽が良く照り、蒸し暑い朝となった。そんな夏の太陽が差し込む教室でこれぞうから質問を受けた久松少年はしばし無言でいた。
「うん?どうしたんだい君?暑さでどこかやられたかい?」
「五所瓦、良く聞け……」久松はゆっくり喋った。
「ああ、聞こうじゃないか。この口はよく喋るが、耳だって人がよく喋るのを聞くに長けている」
「じゃあ、言うぞ。それな、もう終わったよ」
「はぁ?」
二人の間に数秒の無言が訪れた。
「いやいや、終わったって?」これぞうは問う。
「だから修学旅行。俺たちは二年の秋頃に行ったんだよ」久松の口から意外な言葉が出た。
「お、おかしいなぁ。僕だって学び舎は違えど、君達同様高校二年生を、しかも皆勤賞で済ませた。でも、修学旅行になど行ってない。僕の記憶違いか……」
「いや、違って無いんじゃない?学校によって行く時期と行く場所が異なる」
久松が言った通り、これぞうが現在通っている大蛇高校と去年通っていた毒蝮高校では修学旅行の時期が違った。大蛇高校では二年生で修学旅行に行き、毒蝮高校では三年生の早い時期に行く。こういう仕掛けであった。
「ちょっと待って!だったら再び転校して来た僕は、修学旅行に行かずに高校生活を終えるってことじゃないか」
「ああ、この件に関しては、行き着く答えはそれのみ。正解だよ」
「この世に腐る程いる高校生の中でも、幾らかは修学旅行に参加出来ない者がいるだろうさ。しかし、それは極めて少数のはず。よりにもよってこの僕がそこに含まれるなんてことがあるだろうか!」
「ああ、俺もそう想うよ。こんな数奇な運命の下、学生生活の中でも最大級の重要行事に参加出来ない奴がいるなんて始めて知ったよ」久松の記憶が正しければ、去年の大蛇高校修学旅行は欠席者ゼロだった。
朝のホームルームが始まった。
「おはようございます」みさきがクラスメイト達に元気に声をかけた。
「うん?五所瓦君、どうしたの?」
机に突っ伏すこれぞうを不自然に想ってみさきが声をかけた。
「いいえ、何も。ただ、己の数奇な運命と、過ぎゆく時の儚さについて考えていたのです……」これぞうは元気なく答えた。
またこいつはおかしなことを言っているとみさきは想った。
「そ、そう。まぁ、一時間目の授業はしっかり受けること。それは皆もよ。熱くなってきたから、体調管理に気をつけてね」
生徒たちはみさきの言葉に元気に「はい」と答えた。
今日も水野みさきの担任するクラスは平和である。