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第百七十七話 ごちゃごちゃしたこの想いが僕の想いだ

 この春、ソニックオロチシティに帰ってからもこれぞうは料理の腕を磨くことを止めなかった。それは愛する女の胃袋を掴むための作戦だったから。そんなあくまで恋の戦術として始めた料理が、今となっては彼の趣味にもなっていた。

 野菜はそれ自体を見れば植物の根だったり葉だったり実だったりする。肉は買ってきたままの状態ならただの死骸の一部。魚もそうだ。意外とグロイ。

 食材単体は素朴な個体である。しかし、そこに包丁を入れる、鍋で煮る、フライパンで焼くなどの行程を加え、綺麗に皿なり弁当箱などに盛ると、食材のままの姿とは異なる何とも華やかな物になる。これが料理。これは(芸術)アートでもある。現在の彼はそんなことまで想っていた。

 これぞうは器用であり、そして家庭的な一面を持つ文学青年だ。平成の世なら稀少な人材ではなかろうか。


 そんな彼はみさきに電話した次の日にもみさきの弁当を作る。献立はいつだって彼の気分で決まる。今日も彼の気分が反映された物が出来上がる。料理家というのも、音楽家や画家同様に感情の表現者である。


「そんなわけで先生、今日のお弁当はコレ!」と言うとこれぞうはみさきの前に弁当箱を出す。

「ん?これは?」みさきは首をかしげて言う。

「うん、これはですね。まぁ家にある物で作ったごった煮です」これぞうはみさきの目をしっかり見て続きを言う。「昨日の電話を受けて、僕は様々なことを考えたんです。それはもう言葉通り様々。そう、感情のごちゃ混ぜ状態だったんです。まるでそのごった煮のようにね」

「はぁ……」職員室の自分の机に置かれたごった煮を見てみさきは答えた。

「そんなごちゃごちゃした想いの中でも、僕は僕の愛を貫く。そう、これは僕の感情と意志の現れなのです!」

 人参、ジャガイモ、こんにゃく、鶏肉、大根、里芋、インゲン、かぼちゃ、昆布、スイートコーン、ほうれん草。ごった煮の内容はこの通りであった。味付けには醤油、鰹だし、みりん、酒、砂糖少々を用いている。レシピは肉じゃがのような感じであった。

「さぁ、先生。僕の複雑ながらもまっすぐな想いをどうぞ召し上がれ!」

「あの、それを言われると食べづらいんだけど」

「はっは、難しいことを言いましたね。ご飯を味わうのに難しいことは抜きですよね。面倒なことを言いましたが、すっかり忘れてただただ料理を楽しんでください」

 みさきは腹が減っていた。ごった煮だろうが何だろうが、これだけ豊富に具材が入った料理なら胃が歓迎しないわけがない。


「おいしい」

「でしょでしょ。良かった」

 これぞうは彼女に美味しく食べてもらうのがとても嬉しかった。

「先生の小さな口にパクパクと調子良く料理が消えて行く。その光景は見ていて良いものですね」

 これぞうは愛しき唇を眺めている。

「ええ?ちょっと、何か気持ち悪いし、それにいやらしい」

「ああっ、そういうつもりは……ただ、嬉しいということです」

 みさきの可愛らしい口は、あらゆる食材を避けることをしない。好き嫌いのない彼女を前に弁当箱の中はどんどん減っていく。

「どうです先生。僕をお婿さんにすれば毎日だってそんなのが食べれますよ」

「もう、軽々しくそういうこと言わないの」

「ええ、そりゃ軽々しく僕の舌は回りますよ。しかし出てくる言葉はどれをとってもマジですよ」

「だから、そういうの……」


「おいおい、昼休みに教師を口説きに来るとはどういうつもりだ?」野太い声がこれぞうの後頭部を打つ。

「どういうつもりですって?聡明な田村薫ともあろう者が、まさかそんなことが分からないはずがないでしょう?」

「確かに」3年生学年主任の田村薫は微笑んで言った。

「田村先生、ご無沙汰しています。どうですかご機嫌は?」これぞうは改めて挨拶する。

「ああ、大事ないよ。しかしそんな挨拶をしてくるのはお前くらいだな」

「ええ、育ちが良いもので」

「水野先生、おつかれ様です。五所瓦の面倒を見るのは骨が折れるでしょう」

「いえ、まぁ……」

「先生は期待の新人ですからね。こういう変わった生徒を見るのはきっと良い経験になる。まぁこれも教師の修行と想って卒業させてやってください」

「はっは、さすが、あかり姉さんと桂子ちゃんという曲者を世話したお方だ。言うことが違う」これぞうは笑って言う。田村を前にすると、父を前にした時と同様の安らぎを覚えるのであった。


「お、もう授業ですね。それでは僕はここいらで失礼します。みさき先生、僕の愛のこもった弁当を血肉に変えて、お昼のお仕事も頑張ってください」

「ええ、血肉ね……頑張るわ」

 これぞうは職員室を去った。


「可愛いものですね。憧れの先生に弁当を持ってくるとは。背は高くなったけど、ああいうところは相変わらずだ。水野先生、まぁ色々大変だとは想いますが、教壇を楽しんで下さい。ここの現場は疲れるけど、刺激的で退屈はしない」

 田村は少なくとも仕事に退屈していない。それだけで職業人として幸福な部類に入ると自覚していた。世の中には疲れるし、やりがいがないし、つまらないし、おまけに給料の少ないものだってある。

 田村の言葉に偉大な職業人を見たみさきは午後の授業を張り切るのであった。

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