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第百七十二話 一般人は立ち入り不可能な強者の領域

 6月になり、衣替えの時期もすっかり過ぎたある日のことである。

 我らが主人公五所瓦これぞうの通う大蛇高校の体育館では、乙女の気迫と気迫がぶつかり合っていた。平和な学校で、この時間のこの場だけは聖戦を行う緊張の空間が広がっていた。これぞうは今、現実世界にいながら異世界に迷い込んだ気持ちでいた。と言ったら大げさかもしれないが、そのくらいに現在の体育館はいつもと異なる空気が漂っていた。

 本日の体育の授業は剣道。これは選択種目であり、この時期になると、体育を受ける三年生は、ダンスと剣道の好きな方を選んで学ぶようになる。ダンスの授業は、ダンス経験のある男性教師が担当し、剣道はみさきが教えた。彼女が大学時代に所属した部は柔道部だったが、剣道も小学校、中学校で学んでいた。腕前はもちろん強者のそれであった。

 これぞうは叶うことならどちらも選択したくないと思っていたが、みさきが教えるという理由で剣道を選択した。そしてもう一つ、これは褒められたことではないが、面を被っていれば誰が誰だか分からないのでサボってもバレないとも思った。

 今これぞうの目の前では、強者と強者がぶつかり合っている。それはみさきとひより。

 ひよりも柔道と剣道の両方を嗜んでいた。彼女がそれらを学ぶに至る考えはこうである。まずは獲物を扱うことができれば敵を撃退出来る。そして、獲物を有しない状態であっても、己自体を鍛えれば素手だけで撃退出来る。彼女は、武器の扱いを心得、次いで自分自身も武器となれば、それが最強への道を開くことだと考えていた。その思考は真っ直ぐにして究極。

 体育館の床には力強い二つの足音が響く。ひよりが打ち込み、みさきも打ち込む。互いが足を踏み込んだ後には、竹刀がどこかしらを殴打した音が響く。それは耳に入れるだけでも痛い気持ちになるものであった。竹刀による打撃音を聞いてこれぞうの心音は大きくなる。

 手に汗握るバトルなんて触れ込みがその手の作品で用いられることがあるだろう。これぞうは、今この瞬間手に汗を握っていた。本ばかり読んで武道にかすりもしない青春を送ってきた彼が剣道の一戦を見たのは初めてのことだった。これぞうは、昔読んだ小説「蝉しぐれ」の熱いチャンバラシーンを思い出していた。

 

 みさきとひより、剣術を操る二人の乙女が試合をすることになった流れはこうだ。剣道経験豊富なみさきは、まず剣道ってこんなものだという軽い手本を生徒達に見せたかった。そこで誰か経験者はいないかと呼びかけると、すぐにひよりが名乗り出た。そしてひよりは、どうせなら丸っと試合形式で皆に見せれば良いと提案し、ガチ対決を申し込んだ。彼女とみさきは恋敵と言えばそうとも言える関係で、ひよりはみさきに対して複雑なフラストレーションを抱えたいた。そして、それとは全く別に、武道家として、剣士として、強い者と戦いたかった。強者の好物が弱者な訳がない。強者たるひよりは同じくか、それ以上かの者を求める。そこでみさきに白羽の矢が立った。矢を立てられたらみさきとしてもこの申し入れには燃えた。二人とも剣を交えることに前向きであった。これは一般人からすると荒唐無稽とも言えよう武道家の、中でも強者が持つ独自の心理である。


「ごくり」

 これぞうが唾を飲み込む音は隣に座る久松にも聞こえた。これぞうは目の前の激戦に魅入って言葉を口にしない。これぞうも久松もその他有象無象も黙ってじっと二人の試合を見ていた。今現在、体育館で動いているのは剣士二人のみ。


 長い。1分、2分、いや3分経ったかもしれない。二人の試合は、スピード感ある激しい攻防の末、唾競り合いとなる。そこから離れるとまた先程の繰り返し。攻めと守りの手を一度に考え、一度に行う。そのくらいの速さで試合は進む。どちらもたくさん攻撃を仕掛けているが、得点となる技は決まらない。これぞうをはじめ、多くの生徒がどうやったら勝ち負けが決まるのか知らないでいる。でも休まず続くのだから勝負は着いていない。

 二人の汗量、集中力、消費されるカロリー数、その全てが尋常ではない。ここまでくると互いの吐息が面の中から漏れて周りの者の耳にも届く。

 周りの者からすれば二人の試合は実力伯仲に見えた。しかし、ひよりは苦しい思いでいた。


 何て反応スピードと多彩な攻撃手数を持っているの。ザコな訳はないと想っていた。本気で行けば押し切れると想っていた。でも私が学んだ戦術の全てを試しても水野先生には届かない。

 

 ひよりは追い込まれていた。ここまで試合を長引かせているのは、辛うじて防御しているだけのこと。今となってはどこに打っても防がれる気がする。自分たちは確かに同じ長さの獲物を持ってぶつかり合っている。でもみさきの竹刀が長く、自分の握るものは短い。力の差を感じたひよりはそのような錯覚に陥っていた。


 この人は強い。いや、怖い……


 ひよりの背中に震えが走った。恐怖を感じた瞬間、みさきの体が二倍、いや三倍にも大きく見えた。

 みさきが竹刀を振り上げた。次の一撃が来る。すぐにでも来る。自分はこれを防げるだろうか。膝まで震え、手が痺れて来た。

 襲いかかる恐怖の中でひよりは敗北を感じた。そんな彼女はいたちの最後っ屁とも言えよう一撃を放った。

 ひよりの一撃がみさきの喉に向かう。それは危険行為だからと言ってみさきが生徒達に禁止した「突き」だった。ひよりは不味いと想ったが、既に放った技の勢いは止まらない。竹刀の先がみさきの喉を突いたと思ったその瞬間、ひよりにはみさきの姿が見えなくなった。彼女が突いたのはみさきの残像であった。それに気づいた瞬間、ひよりの手首に衝撃が走った。ひよりは体育館床に獲物を落とした。みさきの小手が決まった。


 ルールを知らない者達が勝負の終わりを見たと判断した後、体育館がどよめいた。長き静寂の時が終わり、生徒たちは名勝負を称賛して声をあげた。これぞうも思わず叫んでいた。

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