第百六十五話 打って出ずにはいられない乙女
後日これぞうが登校すると、教室にひよりの姿は無かった。
これは自分が原因ではないだろうか。昨日のことがあってひよりは登校しづらくなったのでは?だったら自分にも責任がある。これぞうはひよりの不在を大変気にして一日を過ごした。
そんなことがあったので足取り重くこれぞうは帰路に就き、元気なく「ただいま」を言って帰宅した。
そして帰宅後、自室の扉を開けるとなんとびっくり。
「六平さん!何をしてるんだ!」
これぞうの部屋にひよりがいた。
本日彼女は校門をくぐりもしないのに制服姿でそこに座り、これぞうの母が運んだお茶と菓子を食べていた。
「あ、おかえりこれぞう」
「ああ……ただいま……」
「びっくりした?」
「それはもう。ここに人がいるとは微塵も予想しないじゃないか」
「玄関の靴を見て何か気づくんじゃないかって想ったけど?」
「いや、そんなところに気がいくどころじゃなかったのでね」
「ふ~ん。でも、おかえりと言って迎えてくれる人がいること、ちょっと良いと想わない?」
「ああ、それは確かに、悪い気はしない。うん?君は何を言って、そんで何を食べてる?」
これぞうは腹が減っていたので菓子に目をやる。
「あ、これぞうのお母さんが用意してくれたの。私はもういいから、これぞうもどうぞ」
「ふむふむ、では」と言うとこれぞうはひよりの横に座り、母の用意した安そうなスナック菓子をつついた。そしてひよりの残した茶も啜る。
「ええ?そっちも飲んじゃうの?」
「だって君がもういいからと言ったんだじゃないか」
そのタイミングで母しずえがこれぞうのお茶と菓子を持って部屋に入ってきた。
「あ!これぞう!お客様の菓子や茶を横取りする者がありますか!恥を知りなさい」
「へ?お母さん、僕は恥の少ない生い立ちを歩んでは来たが、それを知らずにここまで来ちゃいないさ」口に入った菓子を茶で流し込みながらこれぞうは答えた。
「腹が減ったからって客のものを取るなんて、ごめんなさいねお嬢さん、うちの子が失礼ばかりで」
「いえいえ、いいんですよ」
「仕方ない。じゃあこちらをまたお嬢さんがどうぞ。ではごゆっくり。これぞう、くれぐれも失礼のないように、二人切りだからって滅多なことを考えたら、分かってるわね」
「わかってますよ。紳士の僕がこちらの乙女に何をするというのだ」と返した彼は紳士にしてはおやつへのがっつきがすごい。
これぞうとひよりはおやつを食べ終えて落ち着いた。
「で、君、その……今日はどういった要件で?」
「うん。昨日のこと、あれね」
やはりそうか。これぞうは急に緊張して来た。
「私ね、今日は何も無かった感じで普通に学校に行こうとしたんだけど、途中でどうしても無理で、だって恥ずかしいじゃない?」
「うん、それは僕も分かるよ」
「で、初めて学校をズル休みしたの。これぞうのせいね」
「それは乱暴な言い分じゃないか。僕だって昨日は寝不足さ」
「何で?私のせい?」
「そりゃそうさ。女子にあんなことを言われた晩に、それをすっかり忘れて快眠とはいかないよ。僕はそこまで鈍感じゃない」
「そうか……それだけ私のことを考えてくれたってわけね。これぞう、私ね、昨日は好きと想うとか言ったけど、あれは嘘。本当はすっかり好きなの。想うは無しよ」
ひよりはこれぞうの目をしっかり見て言った。
「六平さん……」
これぞうはその言葉を受けて思わず目を反らしてしまう。
「ごめん。これぞうを困らせることになっても、やっぱりちゃんと言っておかないとと想って。でもね、私は分かってるの、これぞうはそれでもあの人を……」
「いや、待って、僕に言わせてくれ」
これぞうはひよりの言葉を遮った。そしてひよりの目を見た。
「ふぅー言うぞ。僕は、君の気持ちがとても嬉しい。でも、それでも僕はみさき先生が好きだ」
「やっぱりそうか……」
二人は5秒ほど黙る。
「でもさ、水野先生は、これぞうの先生なんだよ?分かってる?」
「ああ」
「難しい恋だよ」
「ああ」
「振られるかもだよ」
「それは恋する者皆がそうだ」
「今、目の前に彼女をゲットできるチャンスがあるのに、それを蹴ってまで賭ける価値があるの?」
「それは分からない。君は、確かに素敵な女性だ。そんな君の申し出を蹴る僕はバカ者に見えることだろう。でも、僕は今の恋に賭けたい」
「そうかぁ……」と言うとひよりはこれぞうの後ろに回り込み、これぞうの肩に額を乗せて寄り添った。
「へ?六平さん?」
「これぞう、私、これが男子への初めての告白だったんだよ」
「ええ!君の初めてになるとは、それは誇らしいことで……」
「で、初めて振られたんだよ……」
「それは、すまない……」
ひよりの両手はこれぞうの両肩の上を通り、これぞうの胸の方へと回って来る。後ろから抱くような形になる。
「あの、六平さん?」これにはこれぞう、さすがに動揺する。
「私、結構諦め悪いんだよね……」
次の瞬間、ひよりの両手はすばやく動き、これぞうの首に十字固めを決めた。
「うぇええ!六平さん!入ってる!うぇええ」
「うん、この結果は満足いかないかも……」
ひよりの息がこれぞうの耳に当たる。耳がくすぐったいが、それ以上に首が苦しい。
「ちょっと、まいったまいった」これぞうが床をタップすると、ひよりはこれぞうを解放した。
「ああ!びっくりした!何だい、いきなり!」
「ああ、ごめんね。ショックだったからつい」ひよりは笑顔で返す。
彼女は良い子だが、やはり怖い子でもある。これぞうはそう思った。
「納得いかないのよね。私が振らえて、これぞうは水野先生が好きで、水野先生はこれぞうに何も言ってこない。これって不戦敗みたいじゃない」と言った後にひよりは不戦敗というのが何に対し、誰に対してのことなのかよく分からないけどとも思った。
「とにかく、私が正面切って戦ったのに、あの人がこれぞうを惹きつけておいたせいで私は振られたのよ。何か先生がこれぞうをキープしてるみたいでムカつく感じもするじゃない。そういうのって何か嫌。この際、これぞうもはっきり振られるといいのよ。曖昧になってる水野先生の答えを聞き出すのよ」
「へぇ?」と言ってこれぞうは驚くばかりである。先程、自分はこの子のまっすぐな真心のこもった想いを振った。ショックを受けているはずだが、それでも彼女の豪気は健在であった。
「よし。水野先生もこのステージに引きずり出そう!とりあえずこれぞう!」
「は、はい」
「今日は遅いから帰る。ちゃんと送って行ってよね」
「なんだ、無茶苦茶だな君は」
「振りはしたものの、これぞうは私のそういう所、好きなんでしょ?」
「う、うん。そりゃ、悪くないよ」
そうしてこれぞうは、ひよりを家まで送っていったという。