第十五話 素晴らしきかな人生と思った者が勝ち
これぞうと松野の間で色々あった次の日の陸上部でのことである。
部室の前近くのベンチにはみさきと松野が座っていた。
「先生、私、五所瓦君に告白して振られちゃいました」
「松野さん、あなた行動が早いのね」
「うん、でもなんか悲しいってよりはスッキリした」
「そう、それなら良かったけど」
みさきは松野の想いはもちろん、これぞうの想いも知っているのでこの件に関しては意見しづらかった。
「先生、五所瓦君の気持ち、聞いてるんでしょ」
「えっ、何で!?」
「水野先生が好きだからっていう理由で振られたんです」
「へぇ……あの子そんなことをねぇ……」
みさきは、これには何と反応したものか困った。
「先生、五所瓦君が相手だと気持ちを受け入れるのも断るのも大変だと想うよ」
「私は教師だから、そんな受け入れることは……」
「でもあの人を振って諦めさせるのもは簡単じゃないわ」
「松野さん……あなた何だか強くなったみたいね」
「うん、変な人だけど、変な人との出会いで強くなることもあるみたい。先生、あそこ気づいてる?」松野はそう言うと、校舎の方を指差した。みさきはその方向を見た。
「あっ!あんな所から!」
みさきが見た先はこれぞうの教室だった。教室の窓には双眼鏡を手にしたこれぞうが立っていて、遠くから愛しのみさき先生を覗いていた。
「あんなストーカーみたいな真似を……」
「昨日の五所瓦君は顔も言葉も真剣だった。あの人、いつもふざけてるみたいに見えるけど、水野先生には本気だよ」
「えっ……」
ここでみさきは3秒程停止した。
「先生、これからが大変だよ。五所瓦君の本気は言葉通りの本気で、他の人以上に情熱的だからね」松野はそう言うと立ち上がり、トレーニングに戻っていった。
これぞうが本気、これを聞いてみさきはこれぞうに対しての考え方を変えないわけにはいかなかった。
(あの子が、本気で私を!まさかね、まだ子供なんだから一時の感情ではしゃいでるだけよ。好きってのが何なのかまだ知らないのよ。きっとそう)
みさきはそう自分に言い聞かせていた。そして少しばかり頬が赤くなっていた。
女性同士が恋の話をしていたその一方で、部を追放されたために校庭に降りていくことが叶わないこれぞうは、双眼鏡でみさき先生を見ては目の保養としていたのだ。
「ああ~みさき先生可愛いなぁ~」
双眼鏡で女性を見てこんなことを言ってるこれぞうは、周りから見ると完全にストーカーであった。しかも彼という男はとにかく周りを気にしないから教室に生徒が何人か残っているにも拘わらずそんなことをやっていた。
彼は入学して半月が経たない内にクラスの変人と認定され、男女問わずに引かれるなり恐れられるなりの扱いを受けていた。特に女子の中では完全に怖がっている者が少なくない。しかし隣の席の久松や松野など、少数の者の間では面白いヤツと想われて人気者扱いされることもあった。
これぞうは昨日のこともあったので松野の姿も双眼鏡で追っていった。
「松野さん、昨日はあんなことがあったけど元気そうだ。良かった良かった」
中学校時代には同級生女子のことを、人間の女子にはまだ届かないちょっと本が読める猿までにしか認識していなかった彼が、年頃の女子として初めて気にかけたのが松野であった。そんなわけで、松野の思いを断りはしたが、彼にとって松野は特別な存在となっていた。高校生になってこれぞうの内面は少しずつ変わってきていた。初恋をしたこと、女子に告白されたことで、彼の感情はこれまでに受けたことのない刺激で揺れ動いていた。そう、今のこれぞうは人生で一番充実していた。これぞうは初めて学生生活を楽しいと思い始めていた。
「素晴らしきかな人生……」
双眼鏡を目から離し、腕を下げながら彼は一言口にした。
それから彼は満ちたりた表情をして学生カバンを持つと教室を後にした。
これぞうは1人の世界に首まで漬かっているため、周りを全く気にせずに独り言を言う。彼が教室を出ていった後、それまでの彼の奇行を嫌でも目にすることとなった数人の女子達は、先程の一幕に対して笑いながら感想を言うことは出来なかった。
「何今の……ちょっと怖くない?」
数人の女子の間からそのような意見が聞こえた。