第百五十六話 LIMIT~緊張の時~
あかりはこれぞうを自分の部屋に呼んで今日の報告会を開始した。
「で、学校に行ってどうだったの?」
「ああ、兼ねてからの願いであったみさき先生のクラスへの配属、これを確かに約束して来た。やったね!」
これぞうは小躍りして喜んでいた。憧れのみさき先生と毎日会える。それも教室で。今までは休み時間に職員室を訪ねてみさきに会っていたが、クラス担任になれば毎朝向こうから教室まで会いに来てくれる。これが嬉しくないはずがない。
「これぞう。まずはおめでとう。で、みさき先生の態度はどうだった?」
「ああ、こないだの鍋パーティーであんなことがあったけど、まぁ日にちを跨いで会えばいつも通りさ。僕の方も落ち着いて話せたよ」
「そう、それならいいわ。ではこれぞう、あんたはきっと気づいていないあんたが置かれた状態について、お姉ちゃんが詳しく話してあげる。これはあんたにとって重要な話よ」
「ん?何かな」
姉の真剣な顔を見て、これぞうに緊張が走った。
「いい?あんたはあと一週間もすれば高校3年生。落第でもしなけりゃこれが最後の一年よ。ここで大事なのは、みさき先生と過ごす日々も、ことによるとこの一年で終わりになるかもってことよ」
「ええ!!」これぞうは驚きの声をあげる。
「普通なら、教師は卒業する生徒を見送ってはいさよならで終わりなの。それっきり死ぬまで再会しない師弟は多くあるわ」
「た、確かに……」
現にこれぞうはかつて所属した小中学校を出て以来、そこの教師に会ったことがなければ会おうとも思わない。世の中は広く、人生は長い。そんな中で、通過点に過ぎない過去に所属したコミュニティーを振り返って辿ろうとする人は少なくはないが、かと言って多くもない。これぞうが過去を忘れ、みさきもまた過去を忘れて互いをすっかり忘れてしまうことも十分にありえる。
「そうなることを避けるなら、この一年間で単なる教師と生徒以上の関係を築く、それもぶっちぎってそう言えるものを作るの。今のままではダメよ。ちょっと自分に憧れてるガキ、そのレベルでしか先生に意識されていないならあんたが過去になるまで長い時間を用しないわ。生徒と教師、学校内で完結する関係を脱するのよ。あんたが卒業してからだって繋がる関係の構築、これがズバリあんたの今年の課題」
「……」これぞうは黙って聞いている。ことの重大さに気づいた彼は冷や汗をかいていた。姉の部屋は暖房が効きすぎていたのでそのための汗かもしれない。
「あんたの生死に拘らず、一年なんてのはぼう~としていれば過ぎるわ。あんたがみさき先生との未来を掴んでその先を生きるっていうなら、この一年が全てよ。この一年で勝利を掴めない時、今のあんたの未来予想図にいるあんたは死ぬの。いい?これはある意味では生き死にのかかったラストバトルよ」
「はわぁぁぁ」これぞうは口から情けない声を漏らして震えていた。
「しっかりしなさい五所瓦これぞう!」
「はい!」
これぞうは背筋をピンとさせて綺麗な正座状態に戻った。
「事は言葉にする以上に中身が難しいわ。春からあんたと先生は正式に教師と生徒の関係になる。わたしの言った教師と生徒を越えたような関係ってのは、簡単に言えば恋人になってしまえばいいってことなんだけど、これはNGでもあるわ。法律とか校則でどうあるか知らないけど、世間様の抱く意識として、校内で教師と生徒のラブの関係が産まれるなんてのは良いこととされないわ。だってあそこは学びを得る場であって色恋にうつつを抜かす場ではないもの」
「うん。それは確かにそうだ。では、事の解決を見るにはどうすれば?」
「それはあんた自身がヒントをもっているはず。こないだあんたは、先生を想い続けることで自分に明るい未来はあるのか?みたいなことを先生に問い詰めたわね。そこよ、付き合うとかどうとかはまだ先のことと置いていて、まずはそこに辿り着くようなあてがあるのか。それをあんたと先生のそれぞれが確信できれば、卒業した後にも可能性はある」
「なるほど、僕の恋が砕け散るのはもちろんダメ。かといって、攻めすぎては世の攻撃を受けかねない。あくまでもプラトニックにして強固なラブ、これの構築に努めるべし!」
「恋は焦らず。若い内には想いが暴走しがちだけど、今のあんたはそれを抑えつつも、攻めることを止めるてはいけないという矛盾した状態で戦わないといけないわ。難しいでしょうけど頑張って」
「ええ、もちろん。耐え忍ぶことは好きじゃないが、苦手ではない。なんとかしてみせよう。明るい未来のために!」
愛した女と添い遂げる。恋する男全ての本懐がそれだ。その栄光を手にするには並々ならぬ苦労と努力が必須。これぞうはこの日、男の覚悟を決めた。
緊張感漂う姉弟の会議を、その父は扉の向こうで聞き耳を立てて盗み聞いていた。
「何てレベルの高いシリアスなやりとりをしているんだ。我が子達があんな会談を開いているとは……いやはや若き蕾の成長は恐ろしく速いものだ」
そう言うと父ごうぞうはこっそりと扉を離れ、階段を降りていくのであった。