第百五十四話 なかなか決着を見ることが出来ない関係
「それで先生の家を出て来たっての?」
「は、はい……」
「バカ!あんたはバカよ!」
すっかり陽も沈んだ夜の路上にあかりの声が響いた。その言葉は弟これぞうに向けられたものであった。
「はぁ~バカねぇ。本当にバカ、あんたがバカでないならバカって言葉の定義が揺らぐわ。そうでしょ?だったらあんたがバカってこと、まずはそれを認めなさい」
姉は弟を厳しく叱りつけ、弟はそれに対して「はい」と答えて自分の不出来を認めた。
「まぁまぁあかり、これぞうをそんなに強く叱っちゃ可哀想よ」桂子はこれぞうに寄り添い、可愛いこれぞうとひとまず庇ってやった。
「でもね、これぞう。あかりがああ言うのも無理ないわ。これぞうの気持ちも分かるけど、それでもその行為は、世間的には腰抜けのそれと言われても仕方がないものよ。あなた本当に腰がついてるの?と尋ねてたくもなるわ」尋ねたくなったので桂子はこれぞうに尋ねた。
「ああ、その問答なら先に姉さんと終えて、恥ずかしながら腰はしっかりついているという答えが出たよ」
現に彼は、抜けていないからこそ腰の力を頼ってここまで駆けてきたのだ。
「もう、仕方のない子。そこまで迫って先生に答えを聞き出さないなんて。こういうのは雰囲気とその場の勢いに任せないとダメなのに。今から帰って仕切り直しとも行かないわね。とりあえず、先生にアイスを持って行くわよ」
「はい。あの、僕のは?」
「あんたには冷たいかき氷を買ってるわ。これをガリガリやって反省なさい」
これぞうは口当たりしっとりのラクトアイスを求めていたが、そのリクエストは叶わず脳天に一撃くる冷たさの氷菓を食べることとなった。
ところ変わってみさきはと言うと。
「はぁ、はぁ~~~」みさきは大きく息を吐いた。
みさきは座位を崩し、床に腰も頭もつけて転んだ。
みさきの心臓もまたこれぞう同様にドキドキと喧しく音を立てて打つのであった。顔も耳も赤く熱くなっている。鏡に頼らずともみさきはそれを理解していた。
何これ、どういうこと!こっちだって、緊張したわ。五所瓦君がまさかあんなことを言うなんて。
みさきは大人らしい余裕が見えるよう装ったものの、内心では年頃の男子と二人切りなのにやや緊張していた。そしてこれぞうのいつもより一歩踏み込んだ告白を受けて、その緊張が一気に膨れ上がった。
おかしいわこんなの。五所瓦君相手にこんなにドキドキするなんて。あの子は答えを欲しがってる。でも、どう答えたらいいの?そんなことを言われても私には分からない。
これぞうの願いは分かっている。頭脳明晰なみさきにそれが分からないはずがない。なのに彼女は自分の答えが分からない。だからこれぞうの願いを叶えられない。
なんてもどかしく歯痒いの。胸が騒ぐ。彼がまっすぐ持っている確かな意見が、私の方ではこうもまとまらない。一年の猶予があったのに、私は結局何をどうしたいのか分からない。
大人なのに、これぞうに出来るそれがみさきには出来ない。この成長ばかりは年齢がどうこうと言った問題ではない。速い者は速く、遅い者はいつまで経っても遅い。みさきが遅いのは仕方ないことだ。彼女は恋愛に不得手なのだから。これまでの人生で多くのことを経験した彼女だが、この分野では経験値が足りなかった。
二人の関係において明確となるもの。そんなことを言ってた。私が彼と……未来も彼と、なんてことがありえるの?ああ、分からない。
多くの大人が用いる処世術として、臭いものに蓋をするというものが上げられる。みさきも、現在ぶち当たっている恋愛沙汰においては、兼ねてから蓋を被せて視界から遠ざけることをしてきた。でもそれは開いてしまった。
恋愛ってのは臭気の上がるものでもなければ醜いものでもない。むしろ美しいもの。それでも蓋を置く理由、それは良く分からないから。開けたところでどうしようも出来ない。だから蓋をしてその場を凌ごうとする。
みさきは開いてしまった蓋の始末に手間取っていた。今程これぞうのことを考えたことはない。
その結果、みさきの方でも頭がパンク状態になってしまった。所詮今のみさきでは処理出来ないレベルの感情だった。これは、最新のゲームソフトを前時代のゲーム機で起動しようと試みるようなものだった。互換性がないのはもちろんのことだが、データ量が豊富な最新ソフトを、出力可能なデータ量がわずかしかない旧時代の機械で映し出せるはずがないのだ。
この問題は、今のみさきの身の丈に合わない。だからこれだけ集中して考えても結局みさきは答えを出せなかった。人の心は、中でも繊細で純情な乙女心ってのはその構造が複雑で、ほとんど謎だらけのブラックボックスと言っても良い代物であった。謎を秘めた黒き箱の解析は一朝一夕には終わらない。よって二人の恋の決着も先送りとなる。お分かりか?