第百四十九話 袖振り合えば牛丼の縁
みさきには振られたが、腹が減るのでこれぞうは牛丼を求めて久しぶりに街に繰り出した。
前方を見れば、人が三人集まっているのが見れる。その内の一人は彼の良く知る懐かし人物であった。
「ああ!松野さん!松野さんじゃないか!久しぶりだなぁ~」
松野ななこは10メートル向こうから聞こえるうるさい声を聞いて、一年ぶりであってもそれがこれぞうだとすぐに分かった。
これぞうが声をかけると、松野を囲んでいた二人は黙って歩き出し、その場を去っていった。
「五所瓦君!どうしたの?」
「いやいや、久しぶり~。君こそどうしたんだい?随分ファンキーなお友達と一緒だったね。あ、邪魔だったかい?彼ら、陸上競技の仲間か何かだろ?」
視力の良いこれぞうには見えていた。先程まで松野と一緒にいた二人は、どちらも男で、見た目がとてもファンキーであった。
「いや、あの人達はその、なんと言うか……」
「ああ、これは僕としたことが……君だってお年頃、そういう人間関係には触れて欲しくないよね」
これぞうは、ややこしくも愉快な男女三角関係を頭に想い描いた。最近姉と共にその手のドラマの再放送を見たからだ。
「ちょっと、違うわよ。いわゆるナンパよ。助かったわ、五所瓦君が大きな声をしたから居心地が悪くて去ったのね」
「何だ、どっちにしろ邪魔をしたなぁ。彼ら、君をお茶か映画にでも誘うつもりだったんだろう。松野さんがご馳走にありつくチャンスを奪ってしまったなぁ」
何という思考回路だろうかと松野は想ったが、これが五所瓦これぞうという変人だということを彼女は良く知っていた。
「あぁ、そうだ!ナンパ飯にありつくのを邪魔しちゃったし、僕としても道連れが欲しかったところだ。どうだい松野さん、腹と時間が空いてるならこれから僕と牛丼を食いに行こう」
「ええ?今?」
「今よ、今よ!すっごい腹が減ってるんだ。何せ朝から長距離運転をしてね。なにお金のことなら良いよ。再会を祝して僕がご馳走するさ。君はどっちだい?並盛り、大盛り?それともそれより上の特盛かな?特は値段的にきついから、大盛りまでならご馳走するよ。ささ、行こう行こう」
これぞうは、松野に返答の隙を与えず誘いをかける。そして特盛はきついという懐事情を正直に語った点は実に彼らしい。
「そんな、ご馳走してもらうなんて悪いわ」
「はは、慎みあるお嬢さんの常套句だな。しかし君は何も悪いことなどしていないじゃないか。ご馳走してもらうと決めたなら大人しくご馳走されたまえ」
話はまとまり切っていないが、既に二人は牛丼屋に向けて横並びで歩き出していた。これぞうが強引なので、松野も合わせることとなる。
「あっ、しかし最近の女性は、男だからって理由で何でもかんでも奢ろうとすると、いかにも自分が弱い立場に立たされているようで対等性にかけるとか、優しいようでそれは見下しているとか、一理あることをうるさく言うとも聞くなぁ。それだったらきっちり割り勘が良いのだろうが、それでは誘った手前こっちが納得いかない。だったらこれはどうだろう。君はとりあえず100円だけ出したまえ。あとは何を頼んでも僕が残りを全額出そう」
これぞうは女子の心理はおそらくこうだということを勝手に先読みして100円だけ払え提案を投げかけた。
「ふふ、じゃあそれで良いわ」
「はっは、100円だって安くない額だ。それだけ出せば罪悪感も無くなるだろう」
「五所瓦君、相変わらずね。面白い」
「はっは、松野さんに喜んでもらえるなんて光栄なことだ。松野さん、やっぱりまだ走ってるの?」
「うん、陸上は続けてるよ。水野先生の教えの下でね」
「健康でよろしいことだ」
これから牛丼が食える、それだけでこれぞうのテンションは高めだった。そして偶然にも友と再会出来てもっと嬉しくなった。
時刻は11時前。
これぞうと松野は牛丼にありついている。
「いや~美味いな。チェーン店のこのチープな感じが一周回って優良なブランド感を出している。そんな味覚的倒錯でも起こしそうな状況下で噛みしめる肉は一層美味く感じる」
「ちょっと何言ってるのか分からないわ」
松野の意見には激しく同感である。
「まぁ、大衆向けを突き詰めた、広く世間に受ける味だってことさ。美味しいよ」
この時間、店は大分空いていた。まだお昼のピーク時間ではないからだ。
「それにしてもびっくりね。またこっちに帰ってくるなんて」
「はは、天の神様と仕事を頑張ったお父さんに感謝さ。春からはまた一緒だね、よろしく頼むよ」
「何か不思議ね。一年会ってないけど、久しぶりな感じがしないわ」
「まぁ一年なんて感覚的にはあってないような期間さ。人生は長いのだから」
それは言い過ぎな気もするが、一年の速い遅いは人それぞれ感じ方次第である。
「しかし、松野さん。チンピラにナンパされるなんて、君もなんと言うか隅に置けない。ああいうのはお好みではなかったかい?」
「うん、そうね。あんまりチャラい感じの人はね」
「はっは、そうかいそうかい。そこはしっかり分析してから選ぶといいね」
「水野先生には会った?」
「それがすごいんだよ。ここに帰って一番に会ったのが先生なんだ。現実主義の僕だってコイツには運命ってやつを感じてしまったなぁ。あ、僕はパトカーでここに運ばれたんだけどね」
これぞうは米をかきこみながらも土産話をするのであった。松野はニコニコしてそれを聞いている。
「はは、君が良い顔で笑うのを久しぶりに見たよ。松野さんは良い顔で笑うのが印象的なんだ」
これぞうはこれまで数回松野の笑顔を褒めている。松野としては何度経験してもそれを言われることに慣れない。なのでまた顔を赤くして照れるのであった。