第百四十八話 一字違うだけで意味が変わってくる不思議
「なに?そんなにニヤニヤしてこっち見て」
みさきは自分に向けられるニヤニヤを鬱陶しく想って言った。
「先生、それを言うならニコニコです。ニヤニヤとニコニコでは似ているようで印象が大きく異なります。前者は何だか悪いことを考えてのこととか、後はその……いやらしいことを考えて浮かべる笑いみたいでしょう?」
「違うの?」
「違うに決まっているでしょう!僕は悪者ではないし、いやらしい者でもありません」
これぞうは弁明してみせるが、男の子なのでいやらしい気持ちが全くゼロの状態でみさきを見ていたかどうかにはやや自信がなかった。でもそこは言い切った。
一年の時を経て特殊な再会を果たした二人は今、これぞう宅のリビングにいる。二人は机を挟んで向かい合い、みさきはこれぞうが焼いた特性ココアパウンドケーキを食べている。これは彼が熱心に料理研究した上で作られた傑作であった。現在はホワイトデーを少々過ぎているが、これがこれぞうからみさきへのバレンタインのお返しであった。一刻も早くみさきに食べてもらいたいので、これぞうはパウンドケーキを持参して高速道路に突っ込んだのだ。
「で、どうでしょう?おいしいですか?」
「うん、とても。お料理の腕、また上げたんだね」
「へへ、春からはまた僕の料理で先生の胃を満たしてあげることが出来ます」
これぞうが去ってからの一年、みさきのお昼は味気ないものとなっていた。みさきとしてはこの申し出は嬉しかったが、教師としてあっさりそれを受け入れるのもどうしたものだろうと複雑な想いにもなった。
「お家の人は遅れて来るんだね」
「そうなんです。まぁ明日か明後日には来ると想います。それにしてもお父さんがエネルギー関係を復旧させていて良かった。こうして電気も水も来ている」
これぞうはみさきに会えたこと、パウンドケーキを美味しく食べてくれることが嬉しくて尚もニヤニヤ、もといニコニコしていた。
「先生……その、一年の間にまたお綺麗になられましたね」
これは照れと緊張の末にこれぞうが精一絞り出した褒め言葉であった。
「……なにそれ?最近の高校生の間ではそういうナンパ文句みたいなのが流行ってるの?」
おっと、これぞう不発。
「て、そうじゃないでしょう。僕が言ってるのはただの事実ですよ」
「五所瓦君も大きくなったね。走るのも速くなって、体力もついたみたい。以前だったら、こんな距離を自転車で走る気なんてとても起こさなかったでしょう?まぁ起こしたら起こしたでこうして問題になったけど」
「はい、それはすみません」
これぞうはみさきの顔を見ること、声を聞くことが幸せ過ぎてたまらない。何せ待ちに待った一年ぶりの再会だからだ。
「おいしいね。この紅茶も」
「その紅茶は表の自販機のですから」
現在これぞうの家にはお茶も置いてないのでこれぞうがひとっ走りして自販機の缶紅茶を買ってきたのだ。
「先生、お話したいことはたくさんあります。この一年には色々ありましたからね」
「五所瓦君のことは、みすずから結構聞いてるよ」
「ええ、彼女とは一年間実に親しくしてもらいました」
ここでみさきは気になることを聞く。
「ねえ、みすずとあなた。どうゆう関係?」
「え?友人です」
「正直に言って。みすずと付き合ってるとかじゃないのよね?何もなかったの?」
みさきはしっかりこれぞうの目を見て言う。
どうゆうわけだ。先生は何故にこうも真剣にそんなことを聞く?目がちょっと怖いし……しかしこれは、僕が街が去って浮気をしてはいないかとヤキモチを焼いてくれてるのか。だったらそれは光栄なことではないか。あの水野みさき嬢からヤキモチを焼いてもらえる程の男になったということなのかしら。
これぞうはこういうことを考えていた。
「先生、心配せずとも僕はずっとみさき先生一筋。浮気心を抱いたことなど一度もありません」
「みすずを私と間違えたとか、そんなことがあったと聞くわ」
「ああ!いや、それは違います。疲れて幻覚を見たというか……とにかくみすずちゃんとは何もないし、この街を出て今日まで僕の心は何も変わっちゃいない。ずっと先生が好きだったんです」
「あっ……」パウンドケーキを食べるみさきの手が止まった。自分で迫って吐かせておいてのことだが、久しぶりにこれを聞くとちょっとばかり恥ずかしくなった。
「そういうことを聞いてるんじゃないの。妹が心配だからね。もし、いい加減な気持ちで手を出しているならと想ってね、でも違うなら話は終わりよ」
「はぁ終わりですか……」
「終わり!」
「はっは、何かこの感じも久しぶりだな。この家も、先生も……やはり今日という日が来て嬉しい」
「そうね、でも一年って速いわね」
「僕には長いような気もしましたけどね。あ、そうだ先生。水もガスも来てるし、お風呂に入って泊まって行きません?アパートの光熱費が一日分浮くでしょう?」
「うん、そうね。って答えるとでも思うの?そういうことはできません」
「はっは、先生が一瞬でもノッてくれるとは嬉しい」
泊まるとか言ってるが時刻はまだ8時を回ったくらいである。
「考えたのですが、僕は4月まではこっちの生徒ではなく、毒蝮高校の生徒です。ですから、先生が人生の師であることは変わりませんが、現在では同じ学校内の生徒と教師の関係ではないわけでしょう」
「うん、それが?」
「だから、そう考えれば世間的に今の僕たちは師弟の関係ではなく、ただの男と女だ。となれば、あと二週間ばかりはそこのところを気にせず合法的にデート出来るじゃないですか」
「はぁ?」
「お父さん達が来るまで日もあるし、どうですか、デートでも。ケーキを食べてもまだ朝飯には足りないでしょう?とりあえず牛丼でも食べに行きません?」
「あのね、それでも、こっちからしたら未成年を連れ回してるのだから、それは世間的に良くないんじゃない?」
「アウチ!そうか僕はまだ17。はやく成人になりたい!周りからあーだこーだ言われずに先生とデートできるようになりたいよ」
「というか誰がデートするって言ったの?」
「え?してくれないんですか」
「しません」
みさきはパウンドケーキをすっかり食べ終わった。
「でも、このケーキはありがとうね。とっても美味しかったわ」
「先生、こんなものいつでも作ってあげますよ。また食べに来て下さいね」
「家の人の迷惑でなければね」
「ええ、ええ、その点なら問題ないですよ。僕の家族は皆して先生のファンですからね。特にお父さんなんて、ふふ……」これぞうは思い出し笑いをした。
「こないだお父さんが先生のことを話していましてね。この世にお母さんがいなくて、それでいて自分があと20程若かったらみさき先生のことは放っておかないって言ってたんですよ。まったく、あんなおじさんが20若くなったところでって話ですよね」
みさきは、ごうぞうならソレを言いそうと想って聞いていた。
「お父さんと言えば、あっちではみさき先生のお父さん、それからお母さんとも大変親しくさせて頂きました。ぷぷっ、それにしても、こう言ったらなんですけど、変わったご両親ですよね。あ、もちろん僕は二人とも大好きですけどね。面白いし。あそこからみさき先生が産まれたってちょっと意外」
「五所瓦君がそれを言う?」
皆までは言わないが、これぞう本人、そしてその姉と両親も皆変人だと想っていたので、みさきはそう返した。