第百四十七話 これぞう、白き箱に乗って帰郷する
3月にもなれば、朝陽が昇る時刻も随分早くなる。そんな3月中旬のある日の気持ち良い朝、ソニックオロチシティの街並を駆け抜ける影があった。
「はぁ、はぁ……」
リズムよく呼吸をして、みさきはテンポよく足を前へ前へと運ぶ。一般人のランニングにしてはペースが速いかもしれない。
「あー気持ちいい!」
溢れる若さ、みなぎるパワー、それらを体内に押し留めておくことは難しい。適度に排出してやらればならない。逞しき体を持つみさきは現在それの真っ最中であった。
彼女からすれば、こんなに気持ち良い朝にじっとしているのなどもはや拷問。体を動かしたい、その想いに耐えきれずにみさきは朝の街に飛び出した。3月の朝は、若きみさきにとっては大した寒さではない。
いつものコースを走り抜ける間、犬を連れた老人を三人見た。彼らが握るリードの先で尾を振るワンちゃん達、その犬種はいずれもダックスフンドであった。どうやらここらではダックスブームが来ているらしい。街をぐるりと回れば、そうした地域の事情だって分かる。
心身共に健康でいられ、知識も得ることができる。これだから運動って素晴らしい。
そろそろ家に入ろうと想ってみさきがダウンのストレッチをしている時、彼女の前を一台のパトカーが通り抜けた。この時、動体視力優れる彼女だからこそ、それに気づくことが出来た。それってのが何かと言うと、パトカー後部座席によく知る顔があったこと。そう、それはこれぞうであった。
「え!」
当然みさきは驚いた。何せ知り合いがパトカーに乗っているのだから。
間違いない。あれは絶対にこれぞう。とうとうやったのか。みさきはそう想った。
想ったと同時に、彼女の体は再び動き出した。それも無意識の内に。彼女はパトカーを追いかけて公道を疾走した。
パトカーが止まった。警官が二人降り、これぞうも降りる。
パトカーは普段街でよく見るタイプのものよりも少し大きいワゴンタイプの物であった。警官の一人が荷台を開けるとママチャリが入っていた。これぞうの愛車だ。警官はママチャリを降ろした。
「さぁついたぞ」
「はっ、お送り頂きありがとうございました」
これぞうがパトカーから降りた場所は、なんと引っ越し前のこれぞうの家。懐かしの我が家であった。
「お家の人、いないの?」警官が聞く。
「ええ、家族は遅れてこっちに来ます。今日は出発しませんから、今はこっちに僕だけです」
「そうか、一人で大丈夫かい?」
「お巡りさん、僕はもう17になったんですよ。親がいなくたって数日くらい楽に生活出来ますよ」
「そうかい。ならいいけどね」
「それにしてもパトカーに乗ったのなんて初めてだったなぁ~。いやー乗り心地良しで快適な旅でした」
「君ねぇ、確かに快適だったろうさ、そんなママチャリの旅よりかはね。しかし、私達も送迎サービスを仕事にしてるんじゃないからね。もうこんなことはこれっきりにしてよ」
「はい。それはもう深く反省しております。市民の平和を守るという重要な任務につく方を、しばしの間僕が独占するなどあってはならぬことでした。すみません」
「まぁ、わかったならいいよ。ご両親に心配をかけたらダメだぞ」
「はい!」
ここで足の速い乙女みさきはパトカーに追いつく。
「五所瓦く~ん!」
これぞうは声のする方を向く。
「これは、僕を呼ぶこの声は、一体誰の喉から奏でられるもの?」
「は?君、何を言って……」
これぞうは耳に意識を集中し、記憶を巡らせた。その愛しき声を思い出すまで0.5秒とかからなかった。
「間違いない。これは、みさき先生……」
朝陽の中を駆ける影、それが徐々に近づく。これぞうの確かな視力は、みさきのボディライン、なびく髪、その整った顔の輪郭までをも確かに捉えた。記憶と完全に合致する。駆け寄ってくるその人物は紛れもなく自分の愛した女、その名は水野みさき。
「先生!!ああ~みさき先生!!」
日々のトレーニングにより、一年前よりも確実に走力が上がったこれぞうの足が動きだす。二人の間はみるみる内に狭まる。これぞうも速いがみさきはもっと速い。
互いの距離を1メートル程開けた時点で二人は立ち止まった。
「はぁはぁ……」
互いにに大息が漏れる。みさきはかなりの距離を走って息が乱れ、これぞうは大した距離を走らずとも喜びと興奮によって息が乱れていた。
「先生、先生、ああ、会いたかった……」
さすがにこれぞう、これには感動せずにはいられない。目には涙を溜めていた。
しかしみさきはそれどころではなく、聞きたいことがある。
「あなた!パトカーに乗せられて、一体何をしたの?」
「へ?ああ、これは……」
警官二人も駆け寄って来た。
「この子の先生ですね?」
「いかにも、このお方は我が人生の師です」これぞうははっきりと言った。
「でしたら先生、高速道路を自転車で走ってはいけないと、しっかり教えておいてください」
「へえ?高速道路?」みさきには何のことだかよく分からない。
前話で父が五所瓦姉弟に話した耳よりの情報とは、春から父の勤務地が前の場所に戻るということであった。それはつまり、前の家に戻るということであった。なんと五所瓦家一行は、一年経ってまたここソニックオロチシティに戻ることとなったのだ。それを聞いたこれぞうは、3月になって終業式が済むと、次の日の朝陽が登らぬ内に一人先行してソニックオロチシティに向かったのだ。その時に使用したのが、先程パトカーから降りてきたママチャリであった。
「ああ~こっちに引っ越すことが決まりましてね。そうしたら一刻も早く先生に会いたくなり、僕一人だけでもこっちに向かうことにしたのです。しかし逸る気持ちがあれど、僕は単車や四輪車に乗る免許を持っていないし、出発時刻にはバスも電車も動いていない。なので自転車に跨がり、そして最速経路である高速道路を利用してここに向かったのです」
ここから先は警官が話す。「で、今朝になって高速道路を自転車で走っている者がいると報告を受けた私達が彼を捕まえたのです」
「はぁ……」
非常識すぎる。それゆえにみさきは呆気に取られ、まともに返事が出来なかった。
「先生、確かに学校では道路交通法をしっかり教える科目はないかもしれない。そういうのは自動車学校が担当しますからね。ですが、これは常識ですから。彼には自転車で走ってはいけない所があるとしっかり教えておいて下さい」警官はみさきに向けて言った。
「はっ、はい。すみません」
「では、お願いしますよ」
二人の警官は、予定にはなかった早朝からの面倒な仕事を終えるとパトカーに乗って帰って行った。
その時、みさきの携帯電話が鳴った。
「はい」
「あ、お姉ちゃん。ふふ、今ね、そっちにね、びっくりな人物が向かってるよ。今日はびっくりな出会いがあるかもね」電話をかけてきた妹はおそらくこれぞうのことを言ってる。
「うん、確かにびっくりしたわ、今会ったから」