第百三十九話 それに気づいてしまった僕
「やあやあ姉さん。ご機嫌いかがかな?」
これぞうが陽気に姉の部屋を尋ねると、新たな家に来ても懲りずにケツアゴ男の落書きをしていた姉の姿が確認できた。
「もう、これぞうってば、ノックくらいしなさい」
「ああ、これはすまない姉さん。干し柿の良いのがあるからどうかなと想って」
「ええ、もちろん食べるわ」
そして姉弟は共に干し柿を食う。
「いやー柿ってのは、水分たっぷりに熟れても、逆にこうしてシナシナになっても美味いのだから優秀な食材だ。猿がカニを殺してまで欲するのも頷けるというもの」
「私はそのカニの方が好きかな?」
「おいおい、姉さんってば~、そうなると僕だってカニ派だよ。でもそこは海と山の幸を対決させるところじゃないよ。あくまで柿の良さを説いたまでさ」
そんな間抜けな話をする間にも早食いの姉弟は干し柿を食い終えた。
「で、どう?学校はもう慣れた」
「え?今更かい?もう転校して半年だ。慣れたも何もない。それだけの期間過ごせば、あそこはすっかり僕の空間さ」
これぞうは順応が早い。
「みさき先生のこと、忘れられた?」
「いや、忘れる気などない」
「会いたいんじゃない?」
「そりゃ、もちろん……」これぞうは何ともはっきりしない返しをした。
「ん?どした?」
「うーん」これぞうは考えこんだ。
「なんと言うか、会いたいのは会いたいが、今はその時ではないと言うか……よく分からないが、我慢の時もある。とも思えるようなぁ……」
「これぞう、あんたも辛い時期ね。あんたなら、先生に会いに行くんじゃないかと想ったこともあったわ。でも、今のあんたはそれをしない」
「うん。……怖いのかな」
「うんうん、それよね。今までのあんたはあまりにも真っ直ぐすぎた。もちろん私はそれが嫌いじゃないし、悪いとも思わない。でもね、恋愛はある種の戦い、戦いに恐怖心を抱くのは当然よ。恐怖を持たない者は慎重性を欠いて、肝心な時に失敗するわ。今のあんたは先生から離れて一呼吸置いてるの。それはおそらく必要なことよ」
「そうかい、姉さんはそう思うかい」
「うんうん。会えない距離を噛みしめるのもまた恋愛」
これぞうは一呼吸置くと、また話し続ける。
「実はね、今日、僕とみすずちゃんが男女の清き交際をしているのではないか、という噂がどこそこで立っていると知ったんだ」
「なるほど。実は私も最近のあんた達は良い雰囲気だって想ってたの。これぞう、お姉ちゃんは今まで黙っていたことがある。今、それを言うわ」
これぞうは緊張して姉が次に何を言い出すのか待った。
「もしかして、みすずちゃんを先生の代わりに見立てて心の寂しさを癒やしているんじゃない?」
この言葉を受けてこれぞうに衝撃が走った。
「姉さん……僕はね、ほんのさっき、今日になってそれを想ったんだ。今日の昼、彼女のことが本当に先生に見えた」
「で、どうだった?」
「虚しい精神の自慰だと想ったよ。そしてそれをすることはみすずちゃんに失礼だとも想った。みすずちゃんは先生じゃないからだ。でも日に日に先生に似てくるみすずちゃんを見れば、僕は平静でいられない」
「あんたはやはり賢いわ。理屈では全て分かっても、あんたの本能は理屈通りには動かない。それは仕方ないこと、あんたに罪はないわ。ただ、これからもみすずちゃんには普通に接しなさい。間違ってもあの子を傷つけてはダメよ」
「はい」
あかりは弟ににっこりと微笑みかけた。
「それにしても、みすずちゃんは本当に先生に似てきたわね。高校生なんて入りたては皆ガキだけど、15歳からスタートして18歳で卒業するまでの間、すごいスピードで良くなっていくからね。みすずちゃんは確かに綺麗になって来てるわね。そして、これぞう、あんたもよ」
「え、僕も?」
「うんうん。成長期かな?もうお姉ちゃんの背を越しちゃったじゃない。それに顔付きも凛々しくなって来たわ」
「そうかな?自分じゃ分からないんだ」
「いいのいいのそれで。あんたの評価は、あんたを見つめる私達周りの人間が付けるものだもの」
「ええ、僕は採点されてるのかい?」
「そうそう、可愛い弟に点を付けるのもお姉ちゃんの役目ね」
「先生は……再会した時にどう思うかな」
「それよね。楽しみね。先生はガキのこれぞうを見ても弟くらいにしか思わないわ。あんたは焦らなくても大人になっていくの。そうしたら大人の男に見てくれる日も来るかもね」
「ああ、先生……半年は長いなぁ。織姫と彦星は一年に一回しか会わないと言う。この二倍の期間我慢するのか。決めたぞ、いくら何でも一年以上はない。別れから一年後の次の春には先生に会うぞ」
「そうそうその息よ。まぁ先生が男でも作ってたらおしまいだけどね」
最後の言葉でこれぞうは落ち込む。
「ええ……それは考えていなかった。ど、どうしよう……」
「まぁ今の所は男の影は見えないってみすずちゃんが言ってたからさ。安心しなさい」