第百三十八話 弁明の時
これぞう第二の学生生活は穏やかに流れ、今は秋の文化祭が近づいていた。早いもので、これぞうの転校から半年が経った。
みさきは盆になると実家に帰ってきたが、その時期には入れ替わりに五所瓦家が龍王院家にお呼ばれして街を離れていた。なので、これぞうとみさきは3月からずっと会っていない。これぞうとしてはみさきに会いたいと考えていたが、他でもない龍王院家の一人娘桂子の誘いを蹴るとなると後で面倒なので行かざるをえなかった。
これぞうはやはり文化祭にはそんなに乗り気でない。皆が忙しく何かしらの準備をする中、彼は一歩引いた場所で安穏と学生生活を送っていた。これも一つの処世術である。
みすずはダンボールに入った荷物を運んで校内の廊下を行く。
「ねえねえ、みすず」
「何?」
道行くみすずに話しかけたのは、みすずが所属するソフトボール部のチームメイト女子であった。
「あんた、あの転校生のブチャラティだかカムチャッカだかっていう変人と付き合ってるって本当?」
「へぇ、ブチャラ……ああ、五所瓦ね。五所瓦これぞう君」
「それそれ、五所瓦。まったく変わった名前よね。覚えられない」
「はは、にしても派手な間違え方。全然違うじゃん」
「で、どうなの?」
「へぇ、そんな噂になってるのね」みすずは事態を面白がり始めた。もちろん二人に交際の事実はないが、事実かもしれないと疑いの目を向ける者はちらほらいた。
「う~ん、どうなのかな~」とみすずは惚けてみせた。
「え、何で否定しないのよ」
「何か面白そうだから」
「分かんない子ね。みすずが良いなら良いけど、大丈夫?変なことされたら言いなさいよ。バットで一発食らわせてやるから」
彼女はみすず想いの友人であったが、少々発言が過激だった。
「大丈夫大丈夫。こっちで勝てちゃうと思うから」
みさきがそうであるように妹のみすずだって女子にしては戦闘力が高かった。
「じゃあ、荷物運びの途中だから行くね」
みすずはダンボールを持ったまま教室へと向かう。
これぞうは机に突っ伏して昼寝をしていた。
「ねえねえこれぞう君」
「ふえぇ?何」
「もう、起きなよ」
「もう起きたさ」
これぞうは前の学校と同じ過ごし方、つまり暇な時には机で寝るということをここでもやっていた。
「さっきね、友達から聞いたんだけどね」
「ふむふむ、何を聞いたんだい?」
「私達って付き合ってるって思われてるらしいよ」
「そりゃ僕らはご近所付き合いをすれば、こうして学友としての付き合いもしているじゃないか。何を今さら」
「ううん、男女の仲って意味の付き合いってこと」
「……何?」
「だから彼氏彼女の付き合い」
「何だと!誰がそんなことを!そう見られるのは困る!」
さすがのこれぞうもこれにはびっくりした。
「困るの?」
「当たり前じゃないか。だってそれは間違ってることだからさ。そういった事実は無いじゃないか」
「事実って思われるくらい私達が仲良しだからじゃない?」
「そりゃ仲良くはしてもらってるけど……」
ここでこれぞうは気づく。
「まさかその話、みさき先生にまで行ってないよね?」
「さあどうかな。世間は狭いから、街二つ分くらいなら噂も届くんじゃない?」
「ノー!それは困る。そんな誤解をされたらそれだけでもまずい。その上、怒られてしまう」
「何でお姉ちゃんに怒られるの?」
「だって大事な妹に手を出されたとしたら姉なら怒るよ。僕だって大事な姉さんが訳の分からない男にちょっかいを出されたら怒るさ」
「これぞう君は訳の分からない男なの?」
「いや、その点僕はしっかり素性の知れた好青年じゃないか」
「じゃあ、その誤解は受けても大丈夫じゃない?」
「だぁ~もう、君はことの重大さが分かってないね。いいかい、意中の人の妹にちょっかいを出す。こんな安いドラマにでもありそうな不貞のテンプレに手を染めたら、世のそしりを受けて然るべきだと思わないかい?」
「え、何?天ぷら?」
「テンプレ!定型ということさ!」
これぞうとみすず、二人の会話は何だか噛み合ってない。
「先生がダメだったから、その無念を晴らすため、先生とそっくりの妹さんに気持ちを向けた。そう取られて不思議はない。ああ……これはまずいぞ」
これぞうだけが焦る中、みすずはそれを楽しんでいる。
「でもお姉ちゃんそっくりなら私でも良いって思わない?」
みすずは運んで来たダンボールの中にあった長髪の黒髪カツラを被ってみた。これはクラスの演劇で使う小道具が詰まったものであった。
「ほら、こうして髪が長くなったら、お姉ちゃんに見えてこない?」
「ううん?」
これぞうは顔を近づけて見る。
「確かに……みすずちゃん、僕はね、こっちに来てかれこれ半年が経ったけど……君が日に日に先生に似てきているってここ最近はいつも想っていたんだ……」
「あ、やっぱりそうだったんだ」
「うん、こうして髪の長さも先生と合わせると、もうこれはほぼ先生だ……丸い小顔、ぱっちりとした目、その周りには、目を更に美しく見せる長いまつ毛……鼻も口も、それに声だって先生に似ている。たまに名前を呼ばれたら先生かと思ってドキッとすることもある」これぞうは尚も顔を近づけて話す。「それにこの髪……」これぞうはみすずの髪を、と言ってもカツラの毛を触る。「髪質も先生そっくりだ」
「お姉ちゃんの触ったことあるの?」
「いや、それはないが……なんと言うか、脳内で触ったというか、とりあえずそこで出したイメージとして、近しい髪質なんだな……ああ、それに匂いも同じだ」
「それは、お姉ちゃんと同じシャンプーを使っているから……ちょっとこれぞう君?」
これぞうは尚も髪をいじくり回し、更にみすずに顔を近づけている。
「これぞう君、さすがにもう……」これぞうの顔が近いのでみすずもさすがに慌てた素振りを見せた。
「うんうん、首だって先生のそれだ……」これぞうは顔、首、それからまだ下に目線を落とした。そこでハッと夢から覚める。
「わっ、ああ、僕としたことが!」これぞうは慌ててみすずから離れた。その瞬間、これぞうの頭に重い衝撃が走った。
「痛い!」これぞうは感じたままを口にした。
「おのれブチャラティ!みすずに何を変態的なことをしてるの。それも真昼の教室で」
先程みすずに声をかけた友人がこれぞうのあたまに新聞紙を丸めた棒を食らわせた。
「あ、ちょっと待って待って、これは私がちょっと悪ノリして……」みすずは、これぞうに第二撃を打ち込もうとする友人を止めに入った。
みすずが説明して場が落ち着き、血の気の多い友人は教室を去って行った。
「ああ、僕としたことが!先生に会いたいという欲求から白昼夢を見たというのか。ああ、情けない」先程のこれぞうは、目の前にいるのがみさきの妹ではなく、みさき本人だと思うまでに妄想に入り込んでいた。
「これぞう君。正直に答えて」
「ああ、ああ、いいとも。今の僕は懺悔の人。なんでも正直に答えようじゃないか」
「さっきの、あれって最後に私の胸を見てハッと目を覚ましたんじゃない?」
「……なぜにそう想ったの?」
「いいから答えて」
「はい、その通りです」
姉妹は顔がそっくりだったが、胸はと言うと、姉の方がデカかった。服の上からでもそのサイズを記憶していたこれぞうは、胸を見てこれは本人ではないと現実に戻って来たのであった。
「これぞう君っていやらしい。お姉ちゃんに言っとくから」
「ちょっと、待ちたまえ!僕が不利になるあれこれを吹聴されると大変困る」
これぞうは教室を出ていくみすずを追いかけるのであった。