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第百三十四話 次

 季節は春の一歩手前。今日は快晴、朝は少し寒かったが、昼になればポカポカしている。ちょっと走れば汗でもかきそうなくらいの天候だ。

 3月も中盤、ここまでくればもう春の足音も聞こえてくる。聴力優れる我らが主人公これぞうは、それをしっかり聞き取っていた。

 これぞうは校舎裏の大きな木を見上げている。大きな木は緑の葉をつけている。一体何の木かは分からない。ただ、この木は春が来るのを楽しみにしているように思えた。

「もう春だなぁ……」とこれぞうは一言漏らした。

「あ、お待ちしていましたよ」これぞうが視界に入れたのは愛しき女、つまりは物語のヒロイン水野みさきであった。

「おまたせ。何か用かな?」そう言ったみさきだが、こんな日にこれぞうが改まって自分を呼び出すのだから、別れの挨拶をしたいに決まっていると頭では分かっていた。

「ええ、どうしても先生と話がしたかったのです。いや、顔を見たかったという願いの方が強かったかな」

「もう、どっちなの?」

「ははっ、先生、この一年色んなことがありましたね」

「本当にね」

 二人は互いに、互いが登場する賑やかで喧しいこの一年を思い返していた。

「春には桜の木から降りられないところを先生に助けてもらった。その時には素敵なラッキーにも預かった。夏祭りでは偶然にも一緒に泥棒をとっ捕まえて、一緒に花火を見た。あの時先生が見せた柔道の腕前には本当に驚きました。あの泥棒だってこんなにか弱く見える女性にあんな技を食らうとは夢にも思わなかったでしょうね」

「はは、か弱く、見えはするのね」

 みさきの見た目は可愛いらしい女子そのもの。でもすごく強いので全然か弱くない。

「体育祭では弁当を忘れて先生のご飯を分けてもらった。その後には家なき子となった先生のお世話をさせて頂く栄誉に預かった」

「家なき子ね……確かに……」

「先生のお父さんと決闘し、警察の世話になり、自宅謹慎になった……あの時には家に閉じ困って病みそうになった僕の心を先生に癒された。そして、ゴキブリにビビった情けないところを見られた。あの弱点は少しずつ克服して行ってます」

「そうね、ゴキブリ一匹であの悲鳴は格好悪いわよ」みさきは笑って返した。

「クリスマスをご一緒し、正月にも押しかけて、バレンタインは、マジで嬉しいことに先生からチョコレートをもらえました。あれは一週間仏壇にお供えして、それから食べました」

「はは、そうだったの」みさきはさっさと食べればよかったのにと想った。

 

 これぞうは深めに息を吸って話し続ける。「先生、覚えていますか?春にも僕と先生はこの木の下でお話をしました。そして僕は愛の告白をした」

「うん、さすがに覚えてる」

「僕が先生に初めて何かを作ったのもあの時だった。最初に先生に食べてもらったのはクッキーです。これをどうぞ」これぞうはクッキーを差し出した。

「最初と最後はクッキーです。あの時よりも進化した味ですよ。と言っても、一旦の区切りを打つだけで、完全に最後とは言い切りませんがね」

「ありがとう」

「先生、僕はあの時、実は今っだって、本当は震えたい程緊張しているのです。軽はずみに愛を口にする子供だと、今は思われても仕方ない。そんなガキの僕が、精一杯、そこの所ををごまかしていただけなんです。僕が女性に告白したのは、先生が初めてなのですから」

 これぞうの声は震えていた。

「五所瓦君……」

「僕は何か答えが欲しいとか、付き合ってくれ、結婚してくれなんて今は言わない。ただ、やはり先生が好きだということはしっかり伝えたい。そこだけは真剣に言ってると分かって欲しいのです」

「うん。ありがとう……」

「先生、僕は、やはりお別れしたくはない……僕は……」

 これぞうの手も震えていた。

「ありがとう、勇気がいったのよね」

 みさきは優しい笑顔でこれぞうを見つめる。

「よし、五所瓦君が一生懸命言ってくれたから、先生からも一つ秘密を教えて上げる」

「ええ!スリーサイズですか!」

「何でよ。まったく、おかしな子ね」

「ははっ、良く言われます」

「じゃあ、言うけど。これ、内緒だからね」と言うとみさきはいつもかけている眼鏡を外した。

「実はね、私、すごい目が良いのよ」

「え、それはどういう……?」

「これ、ダテなのよ」

「そうだったのですか!」

「誰にも言ってないもん。内緒よ。五所瓦君もいつか言ったことがあったけど、私童顔みたいで、子供っぽく見られがちなの。でも社会人になったのに子供っぽく見られるのって嫌でしょ。だから就職したタイミングで、ちょっとでも大人っぽく見えるようにって、コレを買ったの」

 みさきは言い終わると恥ずかしそうに微笑んだ。

「秘密だからね」

「うっ……」これぞうは顔を真っ赤にした。可愛い、それしか思うことはなかった。

「どうしたの?」

「いや、これは。なかなかのパンチを打ってくる……」

「打ってないけど……」

 不思議だ。こんなにも年上なのに、この人はまだ可愛い。いつまで可愛いままでいるのだろうか。人生を共にしてそれを観察するのも楽しそうだ。これぞうはそう想った。


「いや、ありがたい秘密を聞けました。しかし先生、前にも言いましたが、眼鏡をしてもしなくても、どっちでも先生は可愛い。イケル。気にすることはないです」

「ははっ、ありがとう」

「ああ~やっぱり先生はいいなぁ~。何だか春を連れてきそうな感じのする人だ」

「何それ?」

「もうすぐ春ですね。先生と出会った季節だ……」

 これぞうは空を見上げた。

「じゃあ、僕は次だ」

 これぞうはまたみさきを見つめた。

「ありがとうございました。楽しい一年だった。きっとまたお会いしましょう。一旦のさらばです」

 これぞうは握手を求めて手を出した。

「うん。こちらこそ、騒がしい一年でした」

 みさきはこれぞうと握手した。

「これは……雰囲気まかせに、ほっぺにお別れのチュウの一発くらいかましても大丈夫ではなかろうか?」

「いけません」 

 

 こうしてこれぞうの一年は終わった。

 これぞうの次の春は、故郷を離れたポイズンマムシシティで迎えることとなる。  

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