第百三十三話 一年の終わりに想うこと
一年、それは実に早いものであった。これぞうは今、それを強く感じていた。今日は、彼が大蛇高校に登校する最終日であり、1年生三学期の最終日でもあった。
「皆、僕は今日をもってこの学校を去る。この学校での一年間は、思い返してみると何とも刺激的で、そして早いものだった……」
この日、これぞう達のクラス最後の学活の時間、学校を去るこれぞうは、一年を共にした仲間達に向けてお別れの挨拶をしていた。担任の田村による粋な図らいであった。
「はっきり言って、僕は君たちのことを隅から隅まで知ってはいない。何せたったの一年しか一緒にいなかったのだから、それで全部分かれと言う方が無理というもの」
これぞうは人の名前を覚えるのが苦手というか、本人で苦手という自覚もなかった。ただ、ほとんどのクラスメイトの名前は覚えていない。それが事実。
「しかし僕は、このクラスで、君たちと、それもこの優秀な田村教諭の元で教えを請えたこと。これを誇りに想う。ここでの一年は我が青春の宝物」
普段は担任の田村が両手をつく教卓に、初めてこれぞうが手をついて喋っている。その内容は何だか堅苦しい。
「体育祭、文化祭、クラスで事にあたった素晴らし行事の数々がまるで半日前のように思える。しかし、どれもこれもがしっかり遠い過去の話だ。人の記憶とは不思議なもの。充実した過去ってのは、いつ振り返ってもちょっと前のことのように新鮮なんだ。君たちは、いつまでも僕の中で新鮮だ」
「俺たちは港に上がったばかりの魚か!」これぞうがおかしな例えを言うものだから、つい久松はツッコんだ。このやり取りを見て皆は微笑んだ。
「五所瓦、お前の挨拶は堅苦しいんだよ。おっさんが喋ってるみたいじゃないか。まぁ、そこがお前らしくていいけどな」
「ふふっ、ありがたいな。君という相棒から、こうしてまるでカミソリのように鋭いツッコミを入れられるのも最後か。まったく、寂しい話だよ……」
これぞうは、視線を前に向ける。
「僕はここを去る。間違いなく去る。だが、魂はここに置いていこう。だから来年からだって、君たちと僕は学び舎を共にする仲間だ」
「おいおい、気味の悪い話だな。魂もちゃんと体と一緒に連れて行けよ」
「久松君、そこは笑ってツッコむところじゃないよ」
一同はまた笑う。
「最後に、皆ありがとう。ただ、ありがとう」そこまで喋るとこれぞうは教壇を降り、自分の席へと戻っていった。
「そういう訳だ皆」担任の田村が話し始めた。「寂しいが五所瓦は転校することになった。本人も言った通り、魂は皆と共にあるらしいから、何かスピリチュアルなものを感じながらも高校二年目を送ってくれ」田村もこれぞうの魂残留論をイジっておいた。
「勉強だけを頑張れとは言わんが、まぁでも勉強は頑張れよ。教師のワシから言えるのはこれくらいだ。一年間お疲れ様。皆気をつけて帰るように。再会は春だ。それでは、これにてこのクラスは解散」
長年教師をやっている田村にとって毎年の恒例行事が終わった。
可愛がった生徒達と時を共にしたクラスという一つの団体は、いつだって活動一年間で解散する。次の一年は違う学年の違う子らによって構成される新たなクラスの面倒を見ることになる。今まで何度となくクラス担任をしてきたが、解散して次にクラスを担当した時、そのメンバーが同じだったことは一度もない。同じ学校に集まる子供達で構成されるのに、そのメンバーでクラスが作られることは、本当に人生の内のたった一年のみでただ一回切りなのだ。それを想うと、まさに一期一会の考えが田村の頭を巡るのであった。
「やれやれ今年の仕事も片付いた。また来年だ……」
こうして田村の一年の仕事が終わった。
「五所瓦君」
「おや、松野さん」
「お別れだね」
「そうだね。君には大変世話になった。色々と迷惑をかけてごめんね」
「いいのいいの。楽しい一年だったよ」
松野は色々あったこれぞうとの一年を思い返していた。
「それで、水野先生のこと、どうするの?」
「はは、優しいなぁ、君も心配してくれるのかい?僕の青春の決着を見るには、そこを何とかしなきゃだよね。今から乗り込むのさ。僕の青春を、こうも胸騒ぎ一杯にしてくれたのは何を隠そう彼女だからね。最後まで付き合ってもらわないと」
松野にとって、今日のこれぞうはなんだか頼もしく見えた。
「そう、じゃあ頑張ってね。いってらっしゃい」
「松野さん!」
これぞうは松野の目をしっかり見た。
「昔のことを蒸し返すようで悪いけど、それでも言わせてくれ。僕は以前君からもらった優しい好意によって、自分を見つめ直すことが出来、それによって更に恋に前向きになれた。僕はこの一年間できっと成長している。そのいくつかは、間違いなく君に手伝ってもらっている。ありがとう。君との出会いは、僕にとって幸運な物だった」
「へ?」急な告白にびっくりして松野はそれしか答えられない。
「ありがとう。じゃあね」と言うとこれぞうは教室を後にした。彼の向かう先は、彼の愛が向かう場所だった。
松野ななこ、これぞうが初めて女性と意識して接した同級生が彼女である。松野は、ほんのり顔を赤らめてこれぞうの背中を見つめていた。