第百二十七話 二月の戦い~girls side~
2月11日。この日は建国記念の日である。「の」を抜いて建国記念日なんて言う人もいるが、社会科のテストで「の」を抜いて回答すると容赦ばくバッテンをもらう。これぞうの通う大蛇高校の日本史のテストでもそうなっている。友人との会話でなら良いが、公の場で発言したり記述したりする時には正式名称が「建国記念の日」であることをしっかり意識しよう。
そんな2月11日の休日、みさきの家には妹のみすずが遊びに来ていた。この日はソニックオロチシティのとあるデパートでバレンタインチョコキャンペーンが行わわていた。全国の色んなチョコレート店が出張でやって来て、所狭しとデパートのフロアを埋める。そんな期間限定のお祭り市である。こうなるとバレンタインだからということは関係なしに、男女問わずのチョコ好きも集まって来る。
みすずにはチョコをあげたい程に愛して止まない男はいなかった。でもチョコが好きだし、珍しい催しものなので姉と一緒に訪れることにしたのである。みすずにも友達への土産として買うチョコならあった。いわゆる友チョコってやつだ。
会場はチョコの匂いに満ちている。多くの店では試食できるので、ここを一周すれば結構腹が膨れそうだ。なので金も持たずにそれ目的で来る者もいた。
「あ、お姉ちゃん見て。何だかみずぼらしい身なりで、背中に空き缶がたくさん入った籠を背負っているおじさんがいるよ。何をする人だろう。ひたすら店をまわってチョコの試食をしている。味の審査とかする人かな」
みすずが見つけたそれが金も持たずにチョコだけ食って腹を満たしたいおじさんであった。
「絶対に違う……」みさきには分かった。あれは空き缶を売って生活する人。チョコの品評が出来るような有識者ではない。
二人はたくさんの店のたくさんのチョコを見て、食べた。みすずは長らく使っていなかった百貨店の商品券を引っ張り出して来て、それでいくつかのチョコを買っていた。
「良かった。この商品券、もらったのは良いけど、欲しい物がないから使うことなく長いこと置いといたのよね。金券ショップに売ろうとも想ったけど、いくらかは向こうにお金を取られて損した感じがするじゃない。やっぱり額面の100%を楽しむには店で使わないとね」
ちなみに百貨店の商品券はお釣りも出る。それでまた別の物も買える。
「もしこのグループが倒産したら、これもただの紙切れだもんね。グループが元気な内に使う目的が出来て良かった」
「みすず、あんたってぼぅーとしているようで、考えることが現実的でずる賢いというか、ケチというか……」
「あら、お姉ちゃん、ケチはないじゃない。こうしてお姉ちゃんにも日頃の感謝としてプレゼントを買ったじゃない」
「そうね、ありがとう」
水野姉妹はとても仲良しである。
「お昼は何がいい?」
「うーん、チョコの甘い匂いを吸って、食べもしたから、次は辛いものね。下の階のカレー屋さんで食べたい!」
「あんた、甘い物の次は辛い物って、また何というか……」
「良いでしょう。お姉ちゃんが何でも食べさせてくれるって言ったんじゃない」
「そうね、私も辛いのは好きだし。ここのカレーは美味しいものね」
デパートのカレー、それはそこらの大衆食堂のものよりも値段が張る。しかしたまの妹との買い物、そこでケチケチ言えば、姉の威厳を損ねる。みさきは快く可愛い妹にご馳走するのだ。いる者にしか分からないが、血を分けた妹というのは可愛いものなのだ。理屈じゃない。
「それよりもお姉ちゃん」
「うん?何?」
「お姉ちゃんは買わないの?あげたい人とかは?」
「私はそういうのはないわ」
みさきは義理チョコをあげることもない。高校教師の現場では、そういうことはあまりおすすめしていなかった。男女が揃う仕事現場だが、例年義理チョコのやり取りを行なうことはほとんど見られなかった。
校長が言うには「義理の愛情をばら撒くくらいなら、生徒にこそ真の愛を与えてくれたまえ。無論、掛け値なしの愛を込めての贈り物であれば、私はいつだって受け取るがね」ということであった。校長は独身である。そしてチョコが大好き。
「でもさ、これぞう君……」
「はぁ?どうしてあの子が?」
どうしてもこうしてもない。みすずは、みさきがこれぞうのことを少なからず意識していると勘付いていた。
「お姉ちゃんがプレゼントしたら、手作りでもここのでも絶対に喜ぶと想うよ。それこそ小躍りして」
これぞうはチョコが、というかカカオや砂糖などの原材料自体も好きだった。それを愛する女に貰えば嬉しさは倍どころではない。
「……買わない」
「じゃあ作る?」
「私が料理ダメなの知ってるでしょ」
「お姉ちゃん、学生の頃から運動ばかりでそういうところを抜かしてるよね」
みさきはフライパンや鍋を持つ間があれば、バットや竹刀を握って素振りをする。そんな素敵な青春を送っていた。手作りチョコなんて作ろうと想ったこともない。
「もう、チョコはいいでしょ。今はカレーよ」
「お姉ちゃんったら、チョコ売り場に来て大きい声でカレーとか……ぷぷっ」
先にカレーの話題を仕掛けたのはみすずだが、みすずは「ぷぷっ」と可愛らしく笑った。
「お姉ちゃん、サービスのらっきょうと福神漬は?」
「もちろん、良識の範囲内限界の量を入れるわ」
みさきは、らっきょうと福神漬が大好きであった。カレーとこの二つの組み合わせは神がかっていると常々想っていた。
「カツ乗せのでもいいの?」
「あんた、がっつりいくのね。欲しかったらどうぞ」
みすずも育ち盛りのスポーツ女子、がっつり食いたいのであった。
一方その頃これぞうはと言うと。
「うわーこいつは美味いな。姉さん、桂子ちゃん、来てみなよ。ここのチョコ、見た目は綺麗だし味もピカイチと来ているよ」
「あら本当、美味だわ。店主、お一つ頂くわ」桂子は上品に食って、華麗に購入した。
なんとこれぞう一行、偶然にも水野姉妹が訪れた会場に来ていた。ばったり顔合わせこそしなかったものの、大した偶然である。
桂子が行こうと誘うので、これぞうは面倒に想ったが結局引っ張られてきた。でも来れば、チョコが好きなこれぞうははしゃいでしまった。与えられた状況で楽しむこと、これはこれぞうの人生の一つのテーマであった。
「姉さんは?」これぞうが振り返るとあかりは向かいのチョコレート店にいた。
「これぞーう。これ見て」と言ってあかりが手に取ったのは、クリスマスの晩にこれぞうの醜態を引き出した例の商品「日本酒ボンボン」だった。あかりはそれを試食している。
「美味しいわよ」あかりは食べても平気だった。
これを見てこれぞうはちょっと嫌な顔をする。
「もう、姉さんったら、僕が気にしていることを。意地悪なんだから……」とか言っても姉が大好きなこれぞうであった。