第百二十五話 僕が欲しかったのはその笑顔
「いやー良い運動になりますねー」
これぞうは、杵を持ち上げては振り下ろして餅をつく。
「正月にはたくさん食べてしまいましたからねー。こうしてちょっとの運動をすれば鈍った体もまた目を覚ましますよ」
これぞうは背中にうっすら汗をかいていた。
「こうしてリズム良く餅をついていると体が温もるなぁ。それにプラスして、先生の温もり宿るこのトレーナーに身を包まれているとなると更にそうだ」
これぞうはみさきのトレーナーを着れて嬉しかった。
「そのリズムも何だか乱れて来てるわよ。それにそのトレーナーにはそんなオプションはついていません」
「へぇ?何ですって先生?はぁ、はぁ……」
これぞうは疲れていた。次にこれぞうが杵を振り上げた時、情けないことに彼はふらついてしまった。
「あ、危ない」反射能力と判断力優れるみさきは、すぐにこれぞうの腰を手で抑えた。
「おいおい、兄ちゃん。どうしたの?サンタ服を脱いでから腰が入ってないじゃないか」アパート住人の中年男が言った。
「もう、しっかりなさい」
「はぁはぁ、すみません先生。杵ってのは案外重いんだな。しかしこれは最新の餅。先生には最も新鮮なものを食べてもらいたい」
「仕方ないわね」そう言うとみさきは服の袖を捲った。
「私が代わるから休んでなさい。あかりさん、お願いね」みさきは杵を握った。
「はい、先生。先生と共同作業ができるなんて……これぞうには悪いけど、今は私が先生の恋女房ね」合いの手はあかりが担当していた。
「先生の恋女房だって!それはずるいよ姉さん」
「だったらあんたは先生を恋女房にする努力をしなさい」
「なるほど、僕が女房じゃ立場が逆だもんね」
五所瓦姉弟の緩い会話が終わると、みさきとあかりのコンビで餅つきが再開される。二人は抜群のコンビネーションで餅をついた。そして見事な餅が完成する。
「分業だったけど、これも共同作業と言えばそう言えなくもない。ふふ、図らずも先生と僕とで愛の共同作業となりましたね」
「バカ言わないの」
一仕事し終えた後のみさきはとても満足そうな顔をしていた。彼女としても正月はよく食ってよく休んだので、元気の余った体を動かしたい気分でいた。みさきはやはり体育系女子、こうして体を動かすことが快感なのであった。
「ふふ、ここからは僕の仕事。先生に是非召し上がって欲しいとっておきを用意しています」
「なに?」
これぞうはタッパーを取り出した。
「まぁコイツを見て下さい」
タッパーの中は餡こが詰まっている。
「いい匂いね」
「でしょう。こいつは蜜柑の餡です。親戚のところで取れた蜜柑をもらいすぎて余らしたので、こうしてアレンジしました。絶対に美味いです。姉さんなんか昨日作った分に指を突っ込んでベロベロ舐めていたのですから。乙女にあるまじき光景でしたが、姉さんが美味しいというならそうなんです」
これぞうはあかりの無作法を暴露し、同時に姉の味覚は信用出来るとも伝えた。
「この餡を、先程先生と共にこしらえたこの餅に入れて……はい、蜜柑餡こ餅の出来上がりです!」
みさきはそれを受け取って食べる。
「うう、これは、甘い中に甘さを邪魔しないだけの酸味が加わって良きアシストとなっている。知らなかったわ、小豆と蜜柑がこんなに組み合わせが良いなんて。完全に美味しいわ」
「頂きました、先生からの完全に美味しいの一言!」
美味しいものを食ったみさきからは思わず笑みが溢れる。これぞうはその一瞬を見逃さない。
「ああ、やっぱりいいなぁ……」
「え、五所瓦君も蜜柑餡がお気に入り?」
「もちろんです。そしてそれよりもお気に入りなのは、そいつを美味しそうに食う先生の笑顔です。100点ですなぁ」これぞうはうっとりして言う。
「……そんな顔してた?」
「してたしてた。素敵に笑いますね」
周りにはたくさん人がいて、皆談笑しながら餅を食っている。とても賑やかだ。そんな中、今だけは二人の時間が流れていた。
「……」みさきは無言のまま頬を赤らめた。
「良いことですよ。食をただの栄養摂取と考えて楽しまない者も多い中、美味しいものを美味しいと言って食って楽しそうに笑う。普通なようで、これこそ尊く、豊かな感性といえるものです」
自分はこれぞうの前でそんなに自然に笑っていたのか。みさきはその辺のことなど全く意識していなかった。
「先生はそうして笑っていると、立派な大人なのに、まるで少女のようにも見える。そんな訳で不思議に魅力的なんですよね」
これぞうは、息をするようにこんなことを恥ずかしげもなく言う。みさきは言われて恥ずかしい想いもあり、言ってるこれぞうを想っても恥ずかしいと想った。
「君ね、そういうこと言うの平気なの?」みさきはそう尋ねたが、その答えは聞かずとも分かっていた。これぞうなら平気に決まっている。それでも、恥ずかしい時に黙りこくるのはもっと恥ずかしさを育てるので、とにかく何か言い返したかった。それで出たのがこの言葉だった。
「何でです?いいじゃないですか、先生の笑顔は可愛いですよ」
これぞうは自分の妹と同じ歳、自分の弟のように見て問題ない子供。そう思い込むのもそろそろ限界に来ていた。これぞうはみさきの中に入り込みすぎている。みさきの中で、これぞうはただの子供から男へと認識を変えつつあった。そう言えばこれぞうの背だって少し伸びたような気もする。
「ああ!途中でへばった杵担当のこれぞうですが、次は交代手を口説いてる模様です!これはよろしくないですね」と桂子はメガホンで言う。そのせいで一同の目が二人に向く。
「ああ、桂子ちゃんたら、二人の時間を邪魔して欲しくないなぁ」
「ごめんねこれぞう。なんか背中が痒くなる想いがして黙って見てられなくなったの」桂子はメガホンを口から離して言った。そして最後には舌をぺろっと出してみせる。こんなことをしても美少女の桂子なら画になる。
「はっはー、まぁ先生、今年もと言わず、来年も再来年もその先もよろしくお願いします」これぞうは頭をかきながら言った。
「そんな先のことまで約束出来ないので、とりあえず今年だけよろしくお願いします」とみさきは返した。
「ははっ、先生ったら、そんなインテリめいた返しをして、冗談でも良いから乗ってくれればいいのにー」とか文句を言うこれぞうだが、顔を見ればとても嬉しそうだった。
「そう言えば先生、僕は運動して汗をかいてしまった。この服はクリーニングして返しますね」
「え、いいわよ別に」
「ええ、じゃあくれるのですか!」
「いや、そうじゃなくて、ここで脱いでくれたら家で洗濯機回すって話」
「な~んだ。……あれ?このやり取り、前にもしませんでしたっけ?」