第百二十三話 ただただ青かった日々
「ああ、遅れた遅れた飯残ってる?」
宴も盛り上がりの頂点を迎えた頃、遅れてやって来た男がいる。その名を神山といった。
「ああ、かみやん!おっそ!もう飯ないよ」とビールを片手に長田君が言った。
「ああ~実家で面倒があったせいで俺の飯がー」
神山の実家は酒屋であった。店に大量注文が入ったのだが、そのことについて彼の父が色々ポカをやらかした。息子の彼はそれを何とかするために奔走し、その結果こんな時刻に到着することとなったのだ。父のポカの詳しいことについては割愛しよう。酒屋の商売事情なんて聞いても楽しくないだろうから。
「何だよ。この店は古臭いから場所代は安いだろう。だからその分飯の量は多いと、そういう前情報を耳にしてるぜ」
「ああ、それで間違いない。味は普通、量は文句なし。こっちのテーブルじゃ確かにお残しがあったのだが、うちらの学年にはお残し知らずがいるだろう」酔って顔が赤くなった國光が答えた。
「水野と土上、あとはたっちゃんの三人が良く食うのよな」と長田君が説明した。
それを聞いた大食い三人は、ドキリとして現在食べている刺し身の盛り合わせを漁る手を止めた。
「はは、かみやん。年始からお勤めお疲れ様。お腹が減ってるだろう。あとは君が食べるといいよ。ささ、こっちへ、醤油とワサビを用意してるよ」たっちゃんは神山を招いた。
「神山君の分を忘れて食べてしまうとは、これは大変な失礼をしました。お詫びに私からは、ここの美味しいうどんをご馳走させてもらいます」そう言うと土上は呼び鈴で店員を呼び、さっさとうどんを注文してしまう。
「あの……ごめんね」みさきも一言詫びる。
「ああ、水野、久しぶりだね。街を離れたって聞いたよ。戻ったんだね」
「酒ならまだあるわよ。みさき、あんたが神山君の分も食べたんだから、せめてお酌して上げなさいよ」とリツコが急な提案を行なう。
「じゃあ……」みさきは酒瓶を手にする。
「駆けつけ一杯か、それもいいなぁ。酒ならさっき嫌と言うほど見て運んだが、全く飲んでないからね。飲むなら歓迎だ」神山君はみさきからの酒を受けた。
「はっは、それを言うなら駆けつけ三杯だろ。しかし良い飲みっぷりだ。僕も調子に乗って食べ過ぎたからね。ささ、僕からのも受けてくれよかみやん」たっちゃんも酒を注ぎたがる。
「では、私からも」と土上も酒を注ごうとする。
「そんな、土上さんまで」
「私からのお酒は受けられませんか?」
「まさか、土上さんにお酌してもらえる者なんてそうはいないはず。喜んで受けるさ」
「でも喜んで受けたい相手は一人だけなのでしょう?」土上はクスリと笑ってみせた。
「はぁ……」とだけ返すと何故か神山は頬を赤らめる。
「かみやん、そんなに僕から酒を注がれて嬉しいかい?ああ、だったら僕も嬉しいさ。かみやんが立派に家の仕事をしている。その忙しい中でも僕たちとの友情を忘れずにここへ来てくれた。仕事が友情を殺すなんて言った人もいたが、かみやんは違う。君は仕事も友情も両立できる立派な男さ。さぁどんどん飲め。うどんがくるまでもっと飲めぇ」
「たっちゃん、お前酔ってんのか?いつもそうだけど、今日はまた違ったおかしさが見えるぞ」神山的にはたっちゃんは通常時でも変人扱いだった。
「はい、たっちゃんは酔っていますよ。訳の分からないことを並べてもお気になさらず」と土上はクールに処理した。
神山が到着した後も宴は続いた。
「神山君、いい事をお教えいたしましょう。先程届いた熱々のうどんの汁に、このマグロを泳がせます」と言うと土上は、箸でつまんだマグロの刺し身を熱々のうどん汁に泳がせた。
「すると、ですね……」
「ああっ色が変わってる」みさきはマグロの変化に気づいた。
「はい、これで新たなうどんの具の完成です。どうぞ」土上はマグロしゃぶしゃぶを神山に勧めた。
「はは……これは素敵なアイデアだね。質素なうどんが華やかになったよ」神山はやはり土上は変わっていると想った。
「あ、おいしいねこれ」
そしてそのマグロは美味しかった。
たっちゃんは向こうで皆と一緒に海老の尻尾は食うのか残すのかの談義で盛り上がっていた。くだらないことをくだらないで済ませず面白き話題に高めること、それが彼の能力の一つであった。
土上はまた自分の食うものを食い始めた。
「皆変わらず愉快な連中だよね」
「うん、そうね」
神山はみさきの横顔を覗いた。神山は穏やかな目をしていた。
「俺も……やっぱり変わらんなぁ……」
「え?神山君は変わったんじゃない。背も伸びて、なんかたくましくなった感じもするね」
「ははっ、重い酒を運んでるからだろう」
神山はうどんを食べ終わった。
「神山君、お酒はいかが?」
「ああ、じゃあもらうよ」
みさきは神山に酒を注いだ。こうすればどうしても二人の距離は近くなる。
「神山君もう酔ったの?顔が赤いよ」
「え?ああ、ここ暖房が効きすぎだな。それにうどんも熱々だったし」
神山は一気に酒を飲む。
「あ、遅くなった。水野に返すものがあったんだよ」
「え、何?」
神山は鞄に手を突っ込んだ。
「これだよ。覚えてる?」
「ああ、これ、懐かしいなぁ」
それは古いゲームソフトだった。水野みさきと名前まで書いている。
「いや~悪い。もう10年くらい借りっぱなしなんじゃないかなそれ。年末に掃除してたら出てきてさ~」
「そういえば無いなって想ってたのよ。貸したことも忘れてたけど、確かにこれで神山君と遊んだことがあったわね」
「昨日久しぶりにプレイしたんだけど、プレーヤースコアを見れば水野のスコア記録で埋まっていて、俺の腕じゃランキングにくい込めなかったんだよ」
みさきはゲームがすごく上手い。
「それからさぁ、興味があって調べたんだけど、そのゲームな、通販サイトで検索かけたら今じゃレアもの扱いでさ、結構なプレミア値がついてるんだ。実はちょっとだけ、本のちょっとだけ、水野に黙って売ってしまおうかと考えたんだ。でも最後には俺の良心がそれに待ったをかけたよ。こいつは確かに返したからな」
「うん、わざわざありがとう」
みさきは確かにゲームソフトをその手で受け取った。
「はぁーこれで俺の青春、完全終了だ」
「はは、大げさだよ」
神山は二秒目を閉じるとまたゆっくりと開けた。そして喋り出す。
「いや、まだかもな……水野、俺はな、まずはそのゲームがそう。水野に勝ちたかった」
「へ?」
「俺だってゲームが下手じゃない。でも水野の記録には全然届かなった。それに勉強でもそう。俺も頑張ったが、水野はいつもずっと上を行ってた」
「え、神山くん?」
「一番悔しかったのは運動だ。俺は野球部でたくさん鍛えたさ。しかし中学でも高校でもスポーツテストから水泳から野球から水野は女子なのに俺よりも強かった。俺はいつも水野に勝ちたいと想ってたんだ。勝手に張り合ってた。そういう青春だったんだ」
「……」みさきは黙って聞いていた。
「変な話かもしれないけど、これは本当のことだ。水野のことはいつも意識していた……憧れてたんだな」
「神山君……」
みさきは神山の顔を覗き込んだ。神山の顔は真っ赤だった。酒が回っているだけではなかった。
「ああ、もう!ここは暑くていけないなぁ。ちょっとお手洗いでも行ってくるよ。水野の注いでくれた酒、美味しかったよ」そう言うと神山は席を立った。
みさきは神山の背中を見つめていた。
「ふふ、神山君の青春は長かったようですね」それを見ていた土上が言った。
こうして会場の使用時間ギリギリまで一同は宴を楽しんだ。たっちゃんは酔いすぎたため、車で迎えに来た嫁と共に帰ることとなった。次の日、嫁にかなり叱られたと言う。
みさきは久しぶりに会った仲間達と穏やかな時間を送り、満足な気持ちでこの日を終えた。