第百十七話 やはり完全キャッシュレス化社会にはまだまだ遠い
「シゲ爺さん快適な運転ありがとうございました」これぞうは元気に礼を言った。
「ああ、これはこれはこれぞう坊っちゃん。こんな爺に労いの言葉を下さるとは嬉しい限りです」
「こんなもそんなもありませんよ、良い仕事をしてくださった爺にはもれなく称賛の言葉が送られて当然です」
「ははっ、これはこれは聡明な男児に育ったものです。桂子お嬢様がホの字になるのも頷けるというもの」
「シゲ爺さん、さっきの坊っちゃんもそうだし、後はホの字なんて古臭い言い方は止めてよ」
「はは、何せ人間が古いものでしてね。最新のパソコンだとかスマホなんてものみたいに中身の記憶をホイホイ新しいものに書き換えるなんてことはこの爺には出来ない相談です」
「はは、シゲ爺さんってば、こりゃまた会話の返しがウィットに富んでる。そうでないとあの桂子ちゃんの世話役はできやしないね」
目的地に到着すると、これぞうはリムジン運転手のシゲ爺さんとの談笑を楽しんだ。彼は年寄りとの会話に充実感を覚えることが多かった。なにせ無駄に歳だけ食っている人間というのは、年寄りの総数に対する分子の中にはそうたくさんはいない。よってほとんどの年寄から歳を食った分だけ味の染みた話を聞くことができた。彼が祖父と仲が良かったのもそういった理由による。
「これぞう、そうしてあなたが行儀良くするのは良いことだけど、勤務中の者には極力話しかけちゃないルールなの」
「桂子ちゃん、厳しいなぁ……」
「シゲ爺、ここにその車を停められる場所はないから。ほら、お小遣いを渡すから、これでそうね……1時間くらいどこかの喫茶店でも行って時間を潰して戻って来て」
「これはありがたいですお嬢様。丁度この辺りに美味しいフレンチトーストを出すことで有名な喫茶店があるのです。爺はそこで一服しますよ」
「へえ!フレトだって!そりゃ僕も味見したいなぁ!」これぞうはフレンチトーストを縮めてフレトと言う。
「もう、これぞうは私とデートでしょ。シゲ爺、これぞうの分も持ち帰りをお願い」
「はい、かしこまりました。それでは爺は、ヨダレがこの高級シートに垂れる前に喫茶店に向けてハンドルを取るとします」そう言うとシゲ爺は旅立って行った。
「まったく物言いのおしゃれなお爺さんだね」
「ところでお嬢さん、ここに残された僕は何をするんですかね?僕もシゲ爺とお茶したかったのになぁ」のんきに突っ立ったままの甲本が言った。
「護衛がいるでしょ?あなたは私とこれぞうの邪魔にならないように、ちょっと離れた所でその任を務めるの。いい?」
「良いも悪いもないですよ。お嬢さんがいい?と聞けばそれをはいはい言って答えるのが僕の仕事。ありがたくちょっと離れたところから見守らせていただきます」
「まったくあなたって人は、余計な言葉が一言二言に留まらないわね。それにはいは一回よ。はいに関しては数を足しても褒美は出ないのだから」
「そうでしたね。はい」と言うと甲本はさっそくちょっと離れたところからお嬢様を見守る護衛モードに入った。口はアレだが、彼はこの筋では一流の職業人。大事の際には悪党からお嬢様を守るだけの行動力と戦闘力を持ち合わせている。
「ほんと、桂子ちゃんの所で働く人達って曲者揃いだよね~」
「まぁそのお嬢様事態が人類の中でもかなりの曲者だもの」とあかりが口を挟んだ。
「はぁ~あなた達兄妹がそれを言う?私は好きだけど、あなた達って近所では変人兄妹として有名よ」
これぞうもあかりも良い子。でもそれは別にして完全なる変人ということは周知の事実であった。
「では、楽しい初詣と行こうじゃないか二人共。そのためにもまずはあそこで善哉をいただこう。僕はアレのメインの食材餡こってのがもうどうしようもなく好きなんだ。餡こってのは何をどうしても美味しいんだよね。それと餅もね」言うとこれぞうは善哉求めて駆け出す。
「これぞうったら、行くのを面倒がってもやっぱり来ればはしゃぐ。ああいう所が可愛いのよね」と桂子は微笑んで言う。
「まぁね。それは私もそう想うわ」とあかりが返す。
「でも、着物を着て動きにくいレディを後に残して自分はさっさと行くってのはジェントルマンシップにかけるわ。これじゃみさきに振られるわよ」
「まぁそうして足りないところはあの子の小細工と、天然の何かで埋めるわよ」
二人の姉さんは話しながらこれぞうの後を追った。
「美味い、美味い!なんて美味いんだ!こいつはどこ産の小豆を用いているんだろうか」これぞうはさっそく善哉に舌鼓を打っている。
「おや、坊っちゃん、気になるかい?そいつは何でも北海道産のを使っているとか聞いたよ」と売店のおっさんは答えた。仕入れをしたのはこの者ではないらしい。
「良い飲みっぷりだね。坊っちゃん、もう一杯はサービスだ!ぐいっといきな」粋な商人は粋なサービスをした。対して粋でも何でもないスイーツ男子のこれぞうは遠慮なくそれを受け取り二杯目もすぐに腹に入れてしまう。
「ぷは~、こいつは一年の幕開けには良い一杯だった。ごちそうさまでした」
「ほぉ~今時珍しく行儀の良い坊っちゃんだ」
「主人、支払いはコレで」と言って桂子は某会社のとんでもなくVIPな会員しか手にできないクレジットカードを出した。
「お嬢さん、これはウチでは使えませんよ」
「何ですって?キャッシュレス化著しいこのご時世において、商業の面では決してよその都市にも劣らぬ盛り上がりをみせるこのソニックオロチシティにカードを使えない店があるなんて!」
「こら、バカ桂子、そんなカードの使えない店ならいくらでもあるっての。しかもここは今日限定で出してる売店でしょ。そんなカードを通す機械なんて置かないってば」とあかりがツッコミを入れた。
「あらそう?現金オンリーの店なのね。だったら先にそう言いなさいよ。一万円しかないけどよろしくて?」
桂子は一万円しか入ってない財布を取り出して支払いを行なう。
「へえへえ、もちろんよろしいですとも。ただし算術に不慣れなもんで、このそろばんを弾いてお釣りの額を叩き出すだけの時間はいただきますがね」
「もうアナログすぎるんだから、そんなお釣りの計算くらい、海の向こうで鍛えた私の頭脳を持ってすればサクッと暗算で叩き出してあげられるわよ」
桂子は海の向こう、つまりは海外に留学して鍛えた時期がある。しかし、そんな経験を省いたところで常人以上に勉学に長ける彼女には、釣りの計算など朝飯前のお茶の子さいさいであった。
「やっぱりこうして見ると、桂子ちゃんってお嬢様なんだよね。それも世間を知ってそうで、実は知らないっていうね」とこれぞうはヘラヘラしながら言った。