第百十一話 届けたい想いを届けてこそ青春
タクシーは五所瓦家前に到着した。
「それではお気をつけて」
タクシードライバーはその言葉を残すと次の客を求めてタクシーを発車させた。
「五所瓦君、しっかり歩きなさい」
「ほぇ?ああ、どこかと思えば、ここは僕の家じゃないか。先生がまた僕の家に来てくれるなんて嬉しいなぁ……」
これぞうはまだ酔っている。わずかばかりの日本酒を口に含んで深く酔っている。そんな状況のこれぞうを支えてみさきは五所瓦家の玄関扉を目指す。
「もう、子供じゃないんだから、しっかり歩きなさい」
「うぇ……失敬な、僕はそりゃ大人にしてはまだ未熟かもしれない。しかし子供じゃない。先生にだけは子供扱いして欲しくない」
我が家を目前にしてこれぞうは足を止め、みさきを見つめる。みさきはその熱い眼差しを感じ取った。
「うぁ、ひっく。いいですか、あかり姉さんも桂子ちゃんも松野さんだって、皆引く手数多の素敵な女性です。ヒック……僕はそうした素敵な女性に囲まれて生活しながら……その中でもあなただけに心惹かれているんだ。ケツの青いガキが初めて性に目覚めてから幻想を見てのことじゃない。誓ってそうじゃない。僕の愛が若さまかせに、たまたま近くにいた美人に向けられた浮ついたものであるわけがない。あなたは大人で、僕はガキかもしれない。でも何度考えても好きな想いは絶対に偽り無きマジなものなんだ。はぁはぁ……」
酔った状態でたくさん喋ったこれぞうの息は上がっている。
「はぁはぁ……歳の差が邪魔だな。あなたと同じ歳に産まれたかった……そうしたら、もっと真剣に取り合ってくれたかもしれない……」
これぞうの顔は前よりもっと赤くなっていた。
「……」
酔っ払っての戯言とは思えない熱のこもった愛の告白を受けて、みさきは口を開くことが出来ない。
一度でも恋をしたことがあるものならきっと分かる。想いを寄せる相手に振り向いてもらえないこと、それはとても苦しいことなのだ。これぞうは今それを感じている。15年間生きて初の感情だった。
「みさき先生……」
「はい?」
「……はぁ~もうダメ~」
これぞうは言うと目を回してしまい、再び意識を失ってしまった。
「ちょっと!家はすぐそこよ!」
これぞうの体重が一気にみさきに寄りかかる。
「もう、しょうがないなぁ」
こうなったらみさきは、自分としては一番楽な方法でこれぞうを運ぶことにした。お姫様抱っこである。
「ヨイショ」の掛け声も無しに、みさきは楽々とこれぞうを両腕に抱える。彼女の豊満な胸は、これぞうの体にあたって形を変えるのであった。これだからこの方法はあまり取りたくなかった。
時刻は21時過ぎ、五所瓦家玄関の呼び鈴が鳴った。
「お父さん、ピンポンが鳴ってるわよ」
「ふむふむ、あかり、それは聞こえてるよ。お父さんは耳が良いのだから。だけど、どうしてお前が出ようと思わないのだ?」
「うん、それはちゃんと理由があるわ。これはお父さんが出た方がいいって私の直感が言ってるの」
「ふむふむ、感じやすい五所瓦の女の中でも頭一つ抜けて感じやすいあかりが言うなら、その直感、きっと何かあるな」
「お父さん。若い娘を前にして感じるとか感じないとかあまり言わないで。なんだかいやらしいわ」
「おっとこれはすまないねぇ」
これぞうの父と姉がこんなやり取りを行っている間に二分くらいの時間が過ぎた。せっかちなヤツならここまで待てずに帰っている。
「はーい、今開けます」
父は玄関の扉を開けた。
「な!これぞう!!」
デカい。遅くに帰宅した息子を視界に捉えてからの父の一声は非常にボリュームがデカいものであった。
「しかも先生まで!おまけにお姫様抱っこ!」
父は事態にびっくりし二歩下がる。
「ああ、あかりの直感恐ろしや。何かあるとは聞いていたが、こんなことがあるとは……」
「あの、お父さん……その、五所瓦君はちょっと酔っていまして」
「ええ、そりゃそのバカ息子はいつだって水野先生の美貌に酔っていますとも。そういう話でしょ?」
「違います」
「なんと!酔うと言えば、こちらで思いつくのはもう一つ……酒、ですか?」
「そうです」
息子が未成年にして酒を口にした。これを受けて父はショックと怒りを感じた。
「なんと!バカ者!柔らかい腕の中で気持ち良くイビキをかいている場合では無いぞ!起きんか!」
玄関で父が大声を上げるので、何事かと思ってあかりが様子を見に来た。
「どうしたのお父さん。あら、これぞう!先生も!」
「あかり、バケツに水を汲んできなさい。すぐにだ!」
あかりが持ってきたバケツを手にすると、父は玄関に転がる息子におもいきり水をかけた。
「わあ!なんじゃこりゃ!お父さん!お父さんが一生懸命建てた家が派手に雨漏り……いや、床下浸水か?」
「バカ者!このマイスイートホームはそんなやわな作りではない!いいからそこに正座しろ」
これぞうは正気を取り戻した。しかしこの状況を見ても訳が分からない。自分は冷たい玄関の床に座り、もっと冷たい水を浴びている。目の前には怒った父、その奥には姉。そして彼が首を左に回せばそこには自分の愛した女が立っていた。
「みさき先生!これはまたどうしてこんな所へ?」
これぞうは酔っている間の記憶がなかった。だから迷惑をかけた先生にもそんな惚けたことを言うのであった。