49 極悪非道エルフと昼休み 1
森を歩くこと三十五分。
道無き道を進み続ける師弟は緑に癒される事もなく、退屈そうに林道を歩いていた。
「ねーねー、おねーさん」
「何だ?カイン」
「おなかへった」
「あー、もうそんな時間か…………」
生憎ルナリアは干し肉しか持っていない。
お腹を空かせてその場に座り込む憐れな弟子の頭を撫でながら、師は腹を満たす方法を思案する。
一分程考えた末に思い付いた案は、普段のルナリアならば決して採用しないものだった。
「…………アリスを呼ぶか」
「え?」
珍しく前触れなしにルナリアは方針を決定した。
そのせいで、話に付いていけないカインは黙って首を傾げるしかない。
弟子が黙っているのを良い事に、ルナリアは魔力を集中させると地面に魔法陣を展開した。
「【第三界位より、第二界位へ。契約に基づき我が下へ参れ、“裁定者アリス”】」
『はーい』
ルナリアの詠唱が終わった直後、ひどく呑気な声が周囲に響き渡る。
少し遅れて魔法陣から現れたのは、背中に蝙蝠のような翼を生やした金髪ツインテールのメイド―――アリス・アルタードだ。
「やっほー、お嬢様。ここが人界?」
ルナリアに手を振りながら、アリスは右目を頻りに動かして辺りを見回している。
因みに左目はルナリアを見たまま全く動かない。
「ああ、来るのは初めてだったよな?」
「そうだよ。空が青いし、太陽か月か分からない変な物が空に浮いてるし、面白い所だね。愛娘達が帰って来ないのも納得だよ」
「二人が帰ってこないのは、お前ら夫婦に問題があるからだろ」
溜め息を吐きながらルナリアがそう言うと、アリスは心底意外そうに目を見開いた。
「え!?問題って何?」
「仲が良過ぎる所だっ!年中イチャついてる両親を思春期の娘が無心で見てられると思うか?」
「仕方ないでしょ?お互いに愛が溢れて止まらないんだから」
結婚して二千年とは思えない発言だ。
いつまで経ってもマンネリ化しない夫婦仲に半分呆れながら、ルナリアは溜め息を吐く。
「…………本題に戻るぞ。軽食を取ろうと思っているから、用意を頼みたい」
「了解だよ、お嬢様。あそこで座ってるのがお嬢様の弟子?」
「ああ、名前はカインだ。仲良くしてやってくれ」
「はいはーい」
気の抜けるような声で返事をすると、アリスはカインの所へトコトコ歩いていった。
アリスの後ろ姿を見送りながら、ルナリアは不意に近くの木を折れない程度に蹴って揺さぶる。
「むごわっ!?」
ドサッという音を立てて木から落ちてきたのは、角の生えた初老の男だ。
燕尾服に蝶ネクタイという如何にも執事のような格好をした彼の腕を掴んで体を引き起こし、ルナリアはフンッと鼻を鳴らした。
「どうせ来てると思ったぞ?ラグザール」
「さ、流石はお嬢様。私の考えることなどお見通しでしたか」
頭に付いた木の葉を取りながらそう言うと、ラグザールはばつが悪そうにルナリアから目を逸らす。
「お前が何を考えてるかなんて分かるかよ。私が知ってるのは、お前がどれだけアリスの事が好きなのかだけだ」
「お恥ずかしい限りです。して、私に頼みたいことは御座いますか?」
「そうだな…………マントと仮面を魔界に持っていって欲しいのと、もし無事なら弓と矢を人界に持ってきてくれ」
そう言うとルナリアは仮面を外し、マントを脱ぎ捨てた。
それらを大切そうに回収すると、ラグザールはどことなく暗い顔をして仮面を撫でる。
「旦那様…………」
「見上げた忠誠心だが、もう先代は戻ってこない。いい加減吹っ切ったらどうだ?」
いつになく真面目な声でルナリアはラグザールに語りかける。
一方ラグザールは考えが甘いというように首を横に振って、ルナリアの言葉を否定した。
「お嬢様の御考え以上に心という物は複雑です。そう簡単に過去を割り切れるものではありません」
「お前は本当に人間みたいだな、ラグザール」
「お褒めに預かり光栄です」
そう言って皮肉めいた笑みを浮かべるラグザール。
対してルナリアは不機嫌そうに眉をひそめ、彼に背を向ける。
「…………さっさと仕事に掛かれ。人間の方が良く働くぞ」
「仰せのままに」
恭しく一礼するとラグザールは魔法陣を展開して魔界へと戻っていった。
後に残されたルナリアは言い知れない感情に胸中を引っ掻き回され、不快感に顔をしかめる。
「所詮、神殺しは人間。どう足掻こうとも神には成れない、か」
師が残した言葉を噛み締めるように復唱し、ルナリアは深々と溜め息を吐いた。
「おねーさんっ!たすけてー!」
ルナリアの物悲しい気分を叩き壊すかのように、カインは悲鳴を上げながら走ってくると、彼女の足にすがり付く。
「どうした、何があったんだ?カイン」
「ぼく、ありーさんにたべられちゃうよ!」
「アリスに…………?」
半泣きでそう語るカインの頭を撫でながら、ルナリアは妖艶な笑みを浮かべるアリスを睨み付けたのだった。




