第7話 俺、大地に立つ、はずが……なんだこれ
「何なんだよ!これはぁ!」
大きな声を出し、大きく目を見開き、勢い良く立ち上がる。
立ち上がった瞬間、膝の裏あたりに何かがぶつかり、倒れる音がした。
その音に、はっとして、目の前にはっきりと視認できる景色があることに気付く。
わずかに顔をあげ、あたりを見回す。
周りに木々の葉が青々と茂り、かすかに鳥の鳴き声が聞こえる。
穏やかに差す陽光が肌に熱を与え、目が眩む。
水のせせらぎが鼓膜を優しく撫でる。
声を張り上げるために大きく吐き出した息を取り戻すように、大きく息を吸い込む。
肺が満足したのか、わずかに、ため息をつくように、再び吐き出す。
その息に乗せて、頭の中でスチールウールのようにこんがらがったモヤモヤも、ゆっくりと吐き出される。
すると、全身の強張りが和らぎ、脳が状況を把握しようと五感を冷静に動かし始める。
生きてる……?
助かったのか……?
あの高さから落ちて……?
そんなまさか。
でも、高所から落ちても、木々がクッションになって助かったって話はよく耳にした記憶がある。
……そうか……助かったのか……。
自分の無事を確信すると、この光景が愛おしく、そして何物にも代えがたいほど美しく思える。
まるで天国のようだ。
自分の無事に安堵したのも束の間、最後に攻撃を受けたらしい自分の船の存在を思い出す。
船は?コワモテさんは?二等さんは?班長さんは?
上げていた顔をさらに上に向け、船を探す。
何かが陽光を一瞬だけ遮る。
船かと思って目で追うが、鳥だった。
……無い?
船ごと落ちたのか……?
もしそうなら、探さなきゃ。
助けなきゃ。
彼らは懸命に生きている。
この地獄のような世界で。
それなのに、船ごと落ちてみんなで仲良死ではあんまりだろう。
何より、短い付き合いではあるが、この地獄へ勇敢にも立ち向かっていたあの人達がそんな終わり方を迎えるのは、俺にとっても許し難く、悔しいことだ。
そうだ、死ぬことは悔しいことなんだ。
ふと、俺が殺した敵の姿が思い浮かぶ。
……彼もきっと、同じ思いだったかもしれない。
胸が締め付けられる。
こんな気持ちはもう御免だ。
いや、まだ戦いは続いてるんだ。
すぐにでもまた、この気持ちに襲われるだろう。
それでも……それでもしばらくは、御免被りたい。
探そう。
助けよう。
全員が全員でなくても、少しでも、出来る限り。
鉄砲の感触は既に手元から消え失せてはいるが、代わるように、その使命感が俺を強く支える。
決意を込めて、空を睨む。
「おかえり」
不意に誰かの声が耳に入る。
その声が聞こえた方向に……視線を下げる。
どこかで会ったことが……どこかで見たことがある……女性。
先ほど音がした後を振り返ると、瀟洒な椅子が倒れている。
…………。
「天国じゃねぇか!」
両手で強く手元の机を叩き付ける。
その振動に、机の上に乗っていた茶器が音を立てる。
いや、天国じゃない。
かと言って地獄でもない。
あの世だ。
俺を地獄に送った、閻魔の法廷だ。
「……びっくりしたぁ……」
引っくり返りそうになった茶器を押さえながら、言葉通りに驚いてか、目を見開いている閻魔が目に入る。
「こんな短時間に2度も驚かさないでよ……寿命が縮まっちゃうじゃないか、ふふっ」
「こっ、ここ、こぉっこ、こっここ、こぉ……」
「ん?次は鶏がご希望かい?」
「ちゃうわ!こっ……この……この……鬼!悪魔!人でなし!閻魔!あー……あと、えーと……あっ、美人!」
「おや、ありがとう」
彼女はニコリと微笑む。
怒りに身を任せ、思いつく限りの悪罵をぶつけるが、元よりボキャブラリーが貧困であることと、途中から困惑が邪魔をしてきたのが合わさり、目に入っていたものの感想を述べてしまう。
彼女が微笑む様は美しい。
だが、そうじゃない。
「もっとこう……冒険とか……魔法とか……可愛い女の子とか……それにすごい能力とか!あるもんじゃないのか!常識的に考えて!」
「常識……と言われてもねぇ……」
「冒険と、魔法と、可愛い……女の子とか……は……まぁ、いいとしよう。元の世界にも無くなってたり、そもそも無かったりしたものだし。急に与えられてもその……困るかもしれなかったし……。で、でも、せめて活躍させるための、その、特殊能力とかさぁ!あっても良かったんじゃないの!?」
「あげたよ?」
「え?」
……なんかあったっけ……?
「言葉」
「……ん?」
「通じたでしょ?」
…………。
それは標準装備じゃないのかよ!
オプションかよ!
「あー……そう……そうなの……。ま、まぁ……それは……ありがとう……」
「いえいえ、どういたしまして」
「それはさて置き……」
「さて置くんだ」
置かせてください。
……そう、そうだ。
それよりも、何よりも。
「よ……よくも……よくもあんな地獄に……」
「地獄?」
「ああ、そうだ!地獄だった!こんなことなら……」
「元の世界の方が良かった?」
「そうだ!」
「五体不満足でも?」
「それでもだ!」
「犯罪者としてでも?」
「そ……っ……え?」
何を言っている?
「五体不満足な上に、一生犯罪者扱いされる世界の方が、あの世界よりも安らげる世界だと?」
何だそれは。
「何を……」
犯罪?何を言っている?
こんな気の小さい俺が、どんな罪を犯せると言うんだ。
「君は……」
彼女は立ち上がり、呆然とする俺を横目に見ながら俺の後ろに回り、椅子を立て直す。
後から俺の両肩に手を置き、優しく俺を座らせる。
「死を望んだんじゃなかった?」
いつの間にか近づけられた彼女の口から、耳元で、そう囁かれる。
ゾクリとした。
「横領」
その言葉に反射的に身体が震動する。
「貨幣というシステムは実に良く出来ている。塩が安定して十分な量を供給されるようになったから。金や銀のインゴットが持ち運びに不便だから。まぁ、理由はもっとあるが、割愛だ。本題じゃない」
横領…………?
「人類の誕生から随分と時間はかかったが、そのシステムの誕生から3000年程度という僅かな時間で、ここまで発展させたのには素直に感心するよ」
そんなこと…………。
「しかし、嫌だね。物、酒、女、他にも様々な娯楽……人の世界には色んな楽しみがあるが、その楽しみを得るには代価が必要だ。そのための金。そりゃ誰だって欲しいさ。幾らあっても足りない。色んな手を使って、頭を使って。時には目聡く、時にはあくどく、貪欲に欲しがる。」
するわけが…………。
「いや、それだけじゃないか。外敵から身を守るため、健康を保つため、飢えを凌ぐため、もっと他の、金があれば回避できる不幸全般から逃れるため……要は、穏やかな生活を保障するため。そのように必要に迫られて欲する場合もある」
できるわけが…………。
「だから決して悪いものだと決め付け、言いたいわけじゃない。自分を守ろうとするのは生物としての本能だ。その上で考えれば、むしろ平和的で、合理的で、機能美に富んでいる。物の価値を時代や状況に合わせてかなりの確度で算定し、万人に対して平等に、簡便に伝わる」
…………違う。
「結局のところ、そのシステムが善か悪かを決めるのは、陳腐な言い回しだが、使う者次第だ」
…………違う。
「さて……君の使い方はどちらに分類される?善?それとも悪?どっちかな?」
…………俺じゃない。
「違う」
「……何が?」
「俺じゃない」
「横領のこと?」
「そうだ」
俺がそんなことするはずがない。
俺の気の小ささは素粒子に比すると言っても過言……かもしれないが、そんな事をする度胸は絶対にない。
「ボクの高説をご静聴いただいて感謝申し上げたかったが、耳に入ってすらいなかったみたいだね。まぁ、いい。長くみっともない前置きを省けて、こちらは大助かりだ。本音を言えば、もっとしたり顔で垂れ流したいところだけどね」
「……俺じゃないんだ」
「……思い出したかい?」
ああ、思い出した。
帳尻が合わない。
何かがおかしい。
どこかで誰かが間違えたか。
いや、実際に足りない。
誰かが盗ったのか。
そうだ、誰かが盗ったに違いない。
金銭をよく扱う部署はどこだ。
その部署に在籍していて怪しい奴はいるか。
それは……。
「俺じゃない」
「……そうか。……それで?君はどうした?」
「俺は……」
会議室に呼び出され、多くの部署の長、それよりもっと上の人達に囲まれる。
その大勢に向けられる疑いの眼差し。
時を置かずして、どこからかそれが漏れ伝わったのか。
上司、先輩、同僚、後輩の態度の変容。
「君は……どうしたんだ?」
「目の前に大きくて、眩しい光が来たんだ」
「…………」
「辛かったんだ。耐えられなかったんだ。しょうがないじゃないか」
「…………」
「あの地獄から、抜け出したかったんだ」
「…………」
「だから……」
「だから?」
「諦めた」
何もかもどうでもよく、何もかもを感じないで済むところへ行きたい。
その思いで。
でも、もしかしたらあの友人が言っていたような世界へ行って、そこは夢と希望とスリルに満ち溢れていて、別の形でやり直せるかもしれないという、愚かな、荒唐無稽な、実にバカバカしい、淡い期待を僅かに抱いて。
足を止めた。
そうだ。
俺は。
死を、望んだのだ。
自ら。
「俺じゃない……俺じゃないのに!なんで俺があんな……あんな……」
「じゃあ、誰なんだ?」
「それは!……っ……分からない、けど……」
「それじゃあ、どうするんだ?」
「……どうもしない」
「もういいの?」
「もう十分だ」
拳を痛くなるほどギュッと握り締め、俯き、それを見つめる。
理由はいまいち判然としないが、その拳が震えている。
「悔しくはないのかい?」
はっとして彼女を見る。
「このまま終わりで、本当にいいの?」
いい……とは思わない。
だが……。
「自由を失って、何が出来るって言うんだ……」
誰かに罪を擦り付けられて、大いに不満足だが、身体の方がもっと不満足なのだ。
その身体で何が出来るとも知れない。
「もういいんだ……。早く、天国なり、地獄なりへ送ってくれ……」
肩を、声を震わせて、搾り出すように、そう、呟いた。
「ははっ……はぁ……まぁ、犯罪者だから、地獄しか行けないか……」
「ふっ、ふふっ……ははは」
口をついて出た辞世の句……ではないが、それを聞いて彼女は笑い声を漏らす。
「あはははははっ!」
「何がおかしい!」
大笑いし始めた彼女に、瞬時に激高してしまう。
自分で言っといてなんだが、そんな大笑いされるほど面白い事を言ったか!?
「はーっ……はーっ……いやいやいや……」
彼女はひとしきり笑ったあと、のけぞっていた姿勢を戻し、俺の顔に視線を戻す。
笑いすぎて涙が漏れ出たのか、目尻を拭う仕草を見せる。
顔はまだニヤニヤしている。
「実はね」
なんだ?
苛立たしく思いながら、続く言葉を待つ。
「ボクは女神じゃないんだ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ご意見等、お待ちしております。
次回、ようやくヒロイン登場回です。