第5話 一難去って……なんだこれ
「遅かったな」
船の後方に向かい、辿り着くと、構造物の陰になっていた左側から、コワモテさんの声が聞こえた。
「魔法使いくんの初体験を見届けてました」
誤解を招く言い方はやめていただきたい。
「……そうか」
しかし、正確にその言葉の意味するところを汲み取ったのか、コワモテさんは静かに呟く。
「状況は?」
二等さんがコワモテさんに尋ねる。
コワモテさんが視線を移すのに合わせて、同じ方を見やる。
わずかに下へと降りる階段があり、その先には2人がすれ違えるかどうか程度の幅の扉がある。
幾人かがそこを覗き込むように鉄砲を中へと向けて構え、張り付いている。
あたりを見回すと、10人ほどが神妙な顔つきで、扉の方へと目を向けていた。
「呼びかけてはいるが、返ってくるのは鉛球だけだ」
その言葉と同時に銃声が鳴り響く。
味方が中へと撃ち込んだらしい。
その音と同時に中から同じように銃声が聞こえた。
撃ち終えた味方が急いで敵の死角に身を隠す。
「長くなりそうですね……」
「前からも行ってるはずだ。そう時間はかからないだろう」
二等さんとコワモテさんはぼやくように言葉を交わす。
再び銃声が鳴り響く。
膝立ちで壁からわずかに身を乗り出して中に発砲した味方の一人が銃を取り落とし、尻餅をつくように座り込み、手を押さえている。
「チッ」
コワモテさんが舌を打ち、彼の元へと駆け寄り、ショルダーバッグのヒモが背中で交差している部分を掴み、引っ張り上げてくる。
彼の手を見ると、多くの部分が赤く染まり、指の数が足りないことに気付く。
彼を助け終わると、コワモテさんは彼がいた場所へと就く。
コワモテさんが振り返り、俺を指差した……かと思ったが、方向を変え、二等さんに指先を向ける。
そして手の平を下にして、それを上下に動かし、ピースサインを作り、目を突くような動作をする。
5本の指先を突き合わせ、それを広げてみせる動きをしたあと、再びピースサインで目をつつき、人差し指で扉の中を指示する。
ハンドサインか。
意味はさっぱり分からない。
えーと……白鳥が……?
浮いたり沈んだりして……?
目潰しして……昔日のコメディアンの持ちネタを披露して……また目潰しして、中に入れ?
何言ってんだこいつ……。
そんな古いネタ、今時分かるやつなんているわけないだろう。
コメディアンのネタはハクチョウというよりガチョウ……いや、そもそも住む世界が違ってたな。
二等さんを見ると意図を理解したのか、コワモテさんに頷き返していた。
彼は全てのショルダーバッグを下ろし、俺に差し出す。
「君が代わりに装填してくれ。僕は撃つのに専念するから。僕たちと敵の、2種類の銃があるのに気をつけて。銃にしても、バッグにしても、デザインが違うから分かりやすいと思う。くれぐれも間違えないでくれよ」
受け取りながらそれぞれを見比べてみると、鞄は色からして違うし、鉄砲は施されている意匠がまったく違う。
ソウテン……というのは、弾を込めることだよな?
「間違えて入れたら、暴発の危険性が跳ね上がるからね」
ソウテンの意味の解釈は間違ってなかったみたいだ。
だが、「暴発」という言葉の意味するところを思うと、その責任の重大さに少し臆してしまう。
“少し”……そう、本当に、“ほんの”少しだけ。
実際にそのような場面を目にしたことはないが、どこかで見たり聞いたりした話だと、良くて大怪我、最悪死に至るとか何とか。
その光景を想像し、恐怖心が芽生えるが、不思議と難なく抑え込めてしまった。
俺も暴発した時、自分に顔……やめようね!
冗談はさておき、、この短期間で随分と度胸がついたものだと、自分で自分に感心してしまう。
やらなきゃ、やられるからな。
そうだ。
やらなきゃ、やられるんだ。
俺に3本の鉄砲と、鞄を渡し終えると、すぐさま二等さんは残りの鉄砲1本を持ち、床にうつ伏せで寝そべる。
それを見て、コワモテさんが何を指示したのかをようやく悟る。
低い姿勢で扉の中を見て、相手が撃つ時の光を見て、どこに撃つべきかを見定め、撃ち返すためか。
弾を込めるのを俺に任せたのは、その姿勢では無理だから。
なるほどなー。
そこからでは中は覗けないだろうと思える位置で寝そべった二等さんは、イモムシだかシャクトリムシだかのように動いて、その位置を変える。
そしてコワモテさんに向けて握りこぶしを少しだけ上げる動作を見せる。
コワモテさんを見ると、それに返答するように頷く。
彼の足元に膝立ちで構えている味方に何事かを囁き、一緒になって中に向けて構え、ほぼ同時に撃ち込む。
若干、中からの射撃の方が早かった。
そうか、暗いところから明るい方は見えるが、明るいところから暗い方は見えにくいのか。
そのために二等さんは……。
コワモテさんを見ていると、二等さんの方に振り返る。
それに応答するかのように、二等さんは再び手を上げる。
しばらくの間を置いて、弾を込め終わったコワモテさんが中へと銃を構えた瞬間、撃つ。
コワモテさんのところから、中から、そしてすぐ傍らの二等さんから、わずかに間隔がずれて銃声が上がる。
二等さんが鉄砲をこちらに滑らせて寄越す。
それと交換するように、鉄砲を彼に渡す。
再び、それぞれが準備を終え、射撃する。
もう一度。
……もう一度。
…………もう一度。
……もう一度。
そして、もう一度……を撃ち終わった時に、中から何か音が聞こえた。
何度目かの弾を入れ終えた鉄砲を二等さんに渡し、彼が静かに構えると、間もなく、再び中から音がした。
その音が聞こえ、コワモテさんが中を確認したのち、周りの全員に向けて中へ入るようにと促す。
コワモテさんが先頭に立ち、突入していく。
「僕たちも行こう」
二等さんに声をかけられ、頷く。
わずかな高さの階段を駆け下り、中へと入る。
幾人かが、服装からして敵が、それぞれどこかしらから血を流しつつ、力なくもたれかかっている。
それに対し、味方が鉄砲を突きつけている。
そして、敵のもう幾人かは、息絶えている。
今の銃撃戦によるものか、あるいは、何か別の機会での死者なのかは、俺には分からない。
見るに堪えない悲惨な光景が目の前にあるはずなのに、あまり何かを感じることが出来ない。
再び、死というものが縁遠い存在になっていく気がした。
二等さんがさっき言ったように、慣れてしまったのだろうか。
だが、他人の死に対する感覚が麻痺してしまっても、自らの死が直前に迫った時はどうなる?
どう感じるのだろう。
……。
『総員、戦闘停止!戦闘停止!我が艦は降伏した!戦闘停止!身の安全は保障されている!』
得体の知れない考えが頭の中を支配し始めた時、それを打ち切ってくれるかのように、どこからか伝声管を通した声が聞こえた。
わずかの静寂の後に、突然肩に手を回される。
振り返ると、これまで――と言ってもごく短期間ではあるが――見たことも無い二等さんの良い笑顔が映った。
「お疲れさん!お互い、生き残れたな!」
生き残れた?
「終わったん……ですか?」
「ああ、そうだよ!終わったんだ!」
「終わった……生きてる……」
「終わって、生きてる。生き残ったよ、僕たち」
そう……そうなのか、生き残れたのか。
酷い目に遭った。
撃ったり、撃たれたり、殺されそうになったり……殺した。
でも、生き残れた。
ようやく、ようやく終わったのだ。
上半身が締め上げられ、脳が震え、喉から、耳から、もう、何だか、よくわからないが。
一気に体中の水分が目に押し寄せ、溢れ出した。
「ふっ……うっ、ぐぅ……んあ゛っ……あ゛い゛ぃ……っ!」
一挙に身体中の筋肉が弛緩し、床に崩れ落ちそうになる。
我が身に降りかかった唐突な不幸への嘆きと、その嘆きを吐き出すことが出来るようになった幸せの喜びとがない交ぜになって。
しかし、それをこらえ、壁に腕と頭を押しつけ、涙を流す。
よかった。
よかった。
本当によかった。
生き残れた。
死ななかった。
ただ、ただ、嬉しい。
ただ、ただ、生きていることが。
こんなにも、嬉しい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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