第4話 死闘の末に……なんだこれ
どうにか落ちることなく橋を渡りきった。
膝が笑っていたのか、足を床に着けた瞬間、前につんのめって崩れ落ちる。
自然と突き出された右肘と左手にもった鉄砲で、なんとか上体を支えようとする。
しかし、右肘が滑って、右の頬が比較的穏やかに床と接触する。
さらに左手に持っていた鉄砲が手を離れ、倒れ掛かってきて、俺の側頭部を容赦なく叩いた。
「ふべっ」
変な声が出た。
かなり情けない女豹のポーズをしている気がする。
男の俺がこんな格好をしたところで誰が喜ぶというのだろうか。
ああ、せめて女の子が……女の子は……そう言えばさっき見かけたな……。
見かけたけど、それだけだ。
一切、関わりを持っていない。
可愛い異世界の女の子との交流は、遠き夢幻のごとく……。
身体の支えを失って崩れ落ちるのに併せて、心の支えも失ったように感じた。
いや、そんなものは初めからなかった。
混乱と、緊張が、俺を支えていたのだと気付く。
めちゃくちゃだ。
胸が締め付けられ、それに押し出されるように悲しさが喉を駆け上がってくる。
「うぅ……っぐ……ほげっ!」
また変な声が出た。
我が身の悲哀を慎ましく嘆く暇もなく、誰かが俺にのしかかって来たのだ。
まさか男の女豹のポーズで劣情を催すとは……元の世界でも俺にとっては異世界だったが、まさか異世界で異世界に踏み込んでしまうことになるとは……。
いや、でも女の子もいたし、その可能性も……?
なんて、馬鹿なことを考える余裕はない。
戦いの真っ最中なんだ。
こ、殺される……!
慌てて、のしかかって来た体から転がり出て抵抗しようと相手に視線を向ける。
船の向こうから見えていた服を着た男……敵だ!
武器を手に取るため、腕でわずかに身体を起こし、周囲に視線を巡らせようとしたその時、その身体に刃が突き立てられるのが見えた。
彼からわずかなうめき声が漏れる。
刃が引き抜かれ、それを突き立てられた彼が相手を制止しようとしたのか、手をかざす。
刃の煌きが瞬き、振り下ろされていく様が目に入る
そしてそのまま、もう一度突き立てられ……なかった。
すんでのところで刃が動きを止めた。
喉元に、その刃が突きつけられている。
彼のすぐ傍にあった鉄砲が蹴られ、手元から離れさせられる。
「バッグを下ろせ」
刃を突きつけている何者かから声が発される。
敵の男は黙ったまま頷き、上体を起こして、言われた通りにバッグを下ろす。
「手を上げて、後を向いて、うつ伏せに」
緩慢な動きで起き上がり、言われたとおりに男が動く。
後を向いた時に、彼と俺の視線がかち合う。
特に感情らしいものが見えない彼の表情に、なぜか俺の心がざわついた。
少し視線を移すと、胸と肩の間ぐらいの位置に、赤いシミが広がっているのが見えた。
あそこを刺されたのか。
かなりの痛みはあるだろうが、指示に従ってしっかりと動けているあたり、命に別状はないのかもしれない。
彼はゆっくりとうつ伏せになる。
「やあ、魔法使いくん。生きてたか」
刃を突きつけていた人から、声をかけられる。
刃の切っ先を下ろし、こちらに手を差し伸べてくる。
逆光でよく見えないが、服の色からして味方だし、俺の呼び方からコワモテさんか二等さんだと分かる。
「くん」付けだから……二等さんかな。
座った姿勢に身を正し、左手で銃を拾い上げ、右手で彼の手を掴もうとする。
その時、彼の後ろに誰かの影が見えた。
二等さんと同様に、逆光で誰かは分からない。
だが、明らかに鉄砲を振り上げている。
咄嗟に、二等さんに伸ばしていた右手を鉄砲に移し、彼の脇をすり抜けて、その影に向かって刃を突き出す。
何かが鉄砲の先に当たったのは感じたが、刺さったかどうかは分からない。
刺さったという感触が無いのだ。
だが、その誰かの体重が鉄砲にのしかかり、取り落としてしまう。
その影が二等さんへと倒れ掛かり、先ほどうつ伏せになった男との間にサンドイッチになってしまう。
まずい。
また起き上がって襲ってくるかもしれない。
慌てて飛び起き、誰のものか分からない鉄砲を手に取り、さっきの二等さんのように刃を突きつける。
「う、動くな!」
二等さんに襲い掛かろうとしていた……男だ。
彼の腹部が動いていて、わずかに呼吸をしているのが背中からでも分かる。
誰のものとも分からないうめき声、咳が聞こえる。
二等さんが二人の男の間から這いずり出て、サンドイッチの具から一人の人間に戻る。
彼の背中を見た瞬間、さっと血の気が引いた。
服に大量の血が大きく広がっていた。
「に、二等さん!血が……」
「ん?……んー……僕のじゃないな」
「え……?」
彼は痛みはあるか、どこか怪我をしているかを確かめるように、自分の体のあちこちを触ったり、動かしたりしてそう結論付ける。
二等さんは自分に倒れ掛かってきた男を転がし、確かめる。
「こいつの血だ」
そう言われ、男の体を見ると、服の胸のあたりが赤く染まっている。
彼が咳き込むと口から血が飛び散る。
「肺か。もうダメだな」
男が再び咳き込み、呼吸を再開しようとするが、口角から赤い泡が吹き出してくる。
時を置かずして、彼は呼吸を止めた。
「助かったよ」
そう言いながら、二等さんは、動かなくなった男のまぶたをそっと閉じてやる。
「えっと……」
「殺したのは初めて?」
脳から一瞬にして身体全体に痺れが走る。
「ころっ……いや、その……そんなつもり、は……あ、いや、えっと……初めて……です……はい」
「そうか」
おそらく、これまでの記憶の中で、これほど挙動不審になったことはないだろう。
口から出そうとする言葉も、身体の動きでさえも、何か言い訳を探そうとしている。
いやに速い心臓の鼓動が、まだしっかりと機能している俺の肺を打ち鳴らし、呼吸が乱れる。
言葉が出ない。
「殺したり、殺されたり、それが当然の鉄火場だ。彼は運が悪かった。ただそれだけさ」
「は……はい……」
「……お互い様だよ。……お互い様なんだ……」
俺の強張った顔を見てだろうか、二等さんの表情は悲しそうな、困ったような、そんな色を含みながら苦笑いを浮かべている。
「そのうち慣れるよ。嫌でもね」
そんなわけないだろう。
こんなものに慣れてしまったら、俺はもう人じゃなくなる。
慣れるわけがない、というよりも、慣れたくない。
絶対に!慣れたく!ない!
二等さんの非情とも思える言動に、怒りから……いや、何に起因しているのか分からないが、頭が沸き返る。
しかし不意に、「やらなきゃやられる」という班長さんの言葉が思い起こされる。
頭の熱さが急速に失われる。
「……さぁ、行こう。あと少しで終わりだ」
どのくらいの間だったのだろう、神妙な顔つきでずっと俺を見つめていた二等さんが声をかけてきた。
あと少し……あと少しか……。
あと少しで、この地獄から……。
二等さんが俺の左腕を自らの肩にまわし、立ち上がらせてくれる。
視点が高くなり、あたりを見回すと、すぐ傍で揉みあう人たちはいないことに気付く。
離れたところで揉みあう姿が目に入る。
「敵さんの銃も持っていこう。弾を込めてくれ。あー、敵のは僕たちのとはちょっと違うから、僕のと君のだけ頼むよ。僕は敵のをやる」
「は、はい」
自分の鉄砲を拾い上げた俺に、二等さんは彼の鉄砲とショルダーバッグを渡してくる。
その代わりに、敵からバッグを取り上げ、自分の肩に下げる。
言われたとおり、立ったまま弾を込め始めようとする。
だが、血のついた剣が折れ曲がっているのに気付く。
い、入れられない。
「それはもう外そう」
俺が対応に苦慮してるのに気付いたのか、二等さんが声をかけてくれる。
頷いて、先に班長さんがしていた剣の付け方を思い出し、その手順を逆再生しながらガチャガチャと剣を動かす。
えー……えーっと……。
ややおいて、剣の輪の部分がくるりと回転し、外れた。
よ、よし、弾を入れよう。
俺が2本……単位は本でいいのか?
とにかく、2本目に弾を入れ始めようとした時には既に二等さんは入れ終えていたみたいで、黙って待っていてくれた。
さ、さっきの事がショッキングすぎて、手が震えてるんだからしょうがないじゃないか……。
そう心の中で弁明をする声も震えている気がする。
「さ、行こうか」
「は、はい」
さっきから「はい」ばっかりだな。
すっかりイエスマンだ。
そんな人間には決してなるまい、言うべき事は言うのだ、と常々心がけていたが、この状況では仕方あるまい。
いや、元の世界でも結構イエスマンだったような気がする……。
そんなくだらない事を考える余裕が出てきたのに、自分でもちょっと驚いた。
二等さんが思い出したかのように、鉄砲の肩に当てる部分で、うつ伏せになっていた男の横の床板を叩き鳴らす。
「動かないでくれよ。……頼むから……」
どんな顔で彼はそう言ったのだろうか。
男を見るために俯き、影になったその顔は、いまいちよく見えなかった。
男は黙したまま、わずかに、小刻みに頷く。
二等さんは、それ以上何も言わず、先ほどは揉みあいが起きていた方に向かって歩き出す。
揉み合っている様子は見えなくなっている。
少しだけ振り返り、既に息絶えた男の亡骸を一瞥するが、すぐに視線を戻し、二等さんの後に続く。
乱れていた呼吸は、気付かない内に、穏やかなリズムを取り戻していた。
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