第0話 導入
導入部なのでありきたりな入りです。
5話前後での完結を予定しております。
よろしくお願いします。
死を強く意識した瞬間はあるだろうか。
平和な国で暮らしており、なおかつ若い俺にはその意識はまだぼんやりとしたものだった。
世話になった人の葬儀に参列したことがあるが、やはりどこか他人事で、まったくと言っていいほど死の気配を感じ取れなかった。
そもそも感じ取ろうとも思わなかった。
俺が小さい頃、あわや、というところで車に轢かれそうになった時も、自分の身が無事であったことを確認できた瞬間、「ああ、良かった」と思うだけで精一杯だった。
あとになって「死んでいたかもしれない」と考えたが、「結局のところ無事だったのだからいいじゃないか」と、すぐにその考えを頭の片隅へ追いやった。
この場合、死を意識する余裕すらなかったというのが正しいだろうか。
わずかにあるとすれば、血縁者が息を引き取り、その死に顔を見た時かもしれない。
周りに親戚連中がいたが、目に涙をうっすら浮かべるだけで、静かにその死者を見下ろしていた。
そんな場面で俺は、馬鹿みたいに泣き喚いた。
静かな周囲を気にせず、恥も外聞もなく。
それほどまでに、俺はその人のことを大切に思っていたがゆえ……であると信じたい。
思い出して少し気恥ずかしさを感じる。
「自分がそうなるはずはない」
「自分に限って」
無意識下で誰もがこう思っているかもしれない。
俺がそうだから、きっと他の人もそうに違いない、という思い込みかもしれないが。
だから。
まさか自分が。
眩しい光。
身体に重い衝撃。
天地が引っくり返った景色。
ああ、これは……。
また、死を意識する余裕がなかった。
……――君を助けてあげようか?――……
耳に……ではなく、頭の中に響き渡るように聞こえる声。
「是非助けてください」と答えようとした瞬間、こういった状況で答えるべき模範解答を、俺の演算装置が弾き出す。
(○o○チキください)
違うだろぉ?
*
真面目にやってやってんだよ、こっちはよぉ。
このっ!この低脳めっ!
じわりじわりと頭に痛みが広がる。
痛みを鎮めるついでに、自分の低脳具合への腹立たしさをぶつけるため、頭を手で叩く。
この!この!お馬鹿!
……叩くほうが痛くなってきたので手を止める。
あたりは真っ暗闇。
思うに、あの最期の映像は事故に遭う瞬間で、俺は死んだということだろうか。
やはり死後の世界は無かった。
常々そう考えていた。
無から生まれたのなら、無へと還る。
当然の帰結だ。
あれ?じゃあ、この痛みは……?
なぜ考えることが出来ている?
と思い至った時、自分が目を閉じていることに気付く。
まぶたの向こうに光、そしてその熱を感じる。
眩しさをこらえながら、ゆっくりと目を開いて辺りを見回してみると不思議な光景が広がっていた。
青々とした葉が生い茂った木々。
その中を流れる川……というよりは、整然と舗装された水路。
水面がキラキラと輝いている。
いくつかの開けた場所に咲き乱れる、様々な彩りの花々。
お上品な装飾を施された……これは大理石だろうか、白い円柱が立ち並び、それらが小さな屋根を支えている。
アズマヤとかなんとかというやつか。
あれ?俺は確か、仕事からの帰り道で……駅を出て……バイパスを渡って……。
渡って?渡ったか?ん……?
思い返そうと腕を組んで考え込む姿勢を取ろうとした時、ふと背中が支えられていることに気付く。
寝ていない。
椅子に座っている。
んん~?
目の前に白いテーブルがあり、その上にソーサーに置かれたカップがある。
金に輝く意匠がささやかに入っており、こちらもお上品。
光が反射され、ちょっと目に悪い。
紅茶か何かだろうか。
茶褐色の液体が注がれ、湯気がゆらりゆらりと立ち上っている。
「ご機嫌はいかがかな?」
機嫌が良さそうに聞こえる声が、俺の機嫌を伺ってくる。
「あっ、えーと……」
唐突な質問で答えに窮する。
声のするほうに視線を上げると、美しい女性が目に入る。
さらりとした長く、美しいプラチナブロンド。
薄く青みがかったキャミソール……に見えるが、下が見えないのでおそらくワンピース。
さすがにはいてないってことはなかろう。
ないよね?
胸元が開いているので、まったく控えめではない胸の谷間がしっかりと見える。
ひ、控えおろう。
色々と眩しかったが、こちらは一際眩しい。
激マブだ。
「ご機嫌ですね」
思ったことがそのまま口をついて出る。
あっ、そういうことじゃない。
俺の機嫌がどうかと聞かれたんだ。
そうじゃない。
「そう、それは良かった」
言い直す隙は与えられなかった。
まぁ、綺麗な女性を見て気持ちが浮ついたのは確かだ。
混乱してる頭で真面目に考えたところで、正答が導き出されることも無いだろう。
訂正する必要はあるまい。
彼女は微笑んで、手に持ったソーサーからカップを持ち上げ、口へ運ぶ。
こくりと喉を鳴らし、再びカップをソーサーの上へと戻し、テーブルに置く。
その所作の際、片側の肩にかかった服を支えるヒモがするりと滑り落ちる。
俺はごくりと喉を鳴らす。
こちらの反応に気付いたのか、彼女の表情は先ほどの柔和な笑みとは違い、いたずらっぽい笑みへと変わる。
「ふふっ」と微かに笑い、テーブルの上にひじを置き、軽く頬杖をつく。
「今、どういう状況かわかるかな?」
「いえ、まったく……」
まったく分からない。
「君はね、轢かれたんだ」
「……」
轢かれたのは分かる。
轢かれて死んだ。
そこまではいい。
分からないのは今いるこの場所、そして状況だ。
「つまり、ここは死後の世界……?」
「うーん、まぁ……そういう場合もあるかな?」
やはり死後の世界は有った。
常々そう考えていたのだ。
魂は流転するのだ。
魂の有無こそが生物が生物たり得る要件であるならば、魂は滅びず、次へと移らなければならない。
当然の帰結だ。
「ということは、あなたは女神様か何かで……?」
「女神か。ふふっ、悪くないね。それでいいよ」
うん?
「でも、君の場合、死んだからここへ来たわけじゃない」
「それは……どういう……」
「選択肢を与えるために招いたんだ」
「選択肢……?」
「そう。君は轢かれた。でも、しばらくは生死の境をさまようことになるけど、死ぬわけじゃない。ただ、身体の自由が失われる」
それって要するに、不随になるってこと……?
うわ、嫌だな。
女神様(仮)がニッと笑みを深める。
「嫌そうな顔をしたね」
「そりゃ、まぁ……」
「そこで君に選択肢だ」
付いたひじをこちらに進め、顔を近づけてくる。
「身体が思うように動かない元の世界に戻るか、別の世界で生を送るか、どちらがいい?」
今、俺はどんな表情をしてるのだろう。
少なくとも身体が強張ったのは分かった。
「君の人生はさほど悪いものじゃなかった」
……確かにそうだ。
「人並みの生活、人並みの財産、人並みの思い出。多くの人々と多くの付き合いがあり、辛いこともあったけど、思い返してみれば楽しいことも多かったはずだ」
「……そうですね」
その通りだ。
「ところがだ」
目が細められ、美しく輝く黄色い瞳が俺を射抜く。
笑みは消えている。
「君はこれから絶望的な不自由さを一生味わわなければならない」
体中を巡っているはずの血液が、その流れを止めるような感覚を覚える。
病院のベッドに寝たきりになる自分を想像し、それから先のことを考えようとするが、俺の低脳なオツムはそれを拒否する。
が。
「初めは多くの人が見舞いに来る。君を友人、あるいは知人と思ってくれている人は数多い。だが、それぞれにはそれぞれの人生がある。すぐに君にかかずらっている暇なんてなくなって、やがて疎遠になっていく」
ああ、やめてくれ。
「でも、それはしょうがないだろう。君が同じ立場でもそうなる可能性の方が高いはずだ」
俺はそんな薄情じゃ……いや、分からない。
「ふふっ、安心してくれ。君には家族がいる。父がいる。母がいる。姉がいる。弟がいる。決して関係は悪くない。何かにつけ君に会いにくるし、世話もしてくれるだろう」
そう言いながら彼女は頬杖を解き、再び背もたれにもたれかかる。
最初に見た、柔和な笑みを浮かべながら。
その笑みを見て、少し肩の力が抜ける。
「けど、それはいつまで?」
表情はそのまま、彼女は再び話し始める。
「両親はいつまで生きていられる?姉弟は君をどこまで背負っていける?」
再び身体が強張っていく。
「そして君は……その状況にどうやって耐えていくんだ?」
頭の中にスチールウールが入ってくる。
なんだこりゃ。
「何を楽しみに生きていくんだ?」
分からない。
「さっきのボクを見るような気持ちで、君の世話をする女性の看護士でも見て楽しむかい?」
ボクっ娘かよ。
あ、でも、女性の看護士をずっと眺めていられるなら幾分かの慰めには……。
「ボクと違って看護士は露出が少ないよ」
あっ……。
でも……それでも俺は……。
家族、友人達の顔が思い起こされる。
目を閉じ、眉根を寄せて、俯く。
「ははっ。さて……どうする?元の世界へ戻る?それとも、別の世界の別の人物になって、別の生を歩んでみる?」
それでも……それでも……。
「俺は……」
「そういえば」
思い出したかのように彼女が声を上げる。
「女性の看護士って、お年を召された方のほうが多いらしいね」
「別の世界へ行きます」
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