うちの子達最強!1
遊んでないで続き書けよと思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんm(_ _)m
私には3つ子の子供達がいる。
男の子2人に女の子1人。
私の体が小さかったから産むときは結構大変だったけど、みんな病気ひとつせずすくすく育つ良い子だった。
なにより同じような顔のチビ達がコロコロ動いている破壊力は凄まじく。
可愛さにやられたご近所の皆さんも非常に協力的でかなり助かった。
可愛いは正義だ。
3つ子の父親は分からない。
正確には顔は分かるけど、名前もどこの誰かも不明って事だ。
どうやって、どこに連れ去られたのか、私には分からない。
気がつくと天蓋に囲まれた大きなベッドの上で、綺麗な金の髪の男の人と銀の髪の男の人に抱かれていた。
金の髪の人は淡々と、銀の髪の人は泣きそうな顔で私に触れた。
「血をつなぐ為にあなたを呼んだ」
「世界を救う為にあなたに犠牲を強いる事になる」
まるで夢の中にいるようなボンヤリとした感覚の中、2人の辛そうな表情がかわいそうで、私は「いいよ」と頷いていた。
まぁ、その頃にはすでに抱かれた後だったので、私に拒否権なんて無かったんだろうけど。
時の流れが曖昧な中で私は1度も天蓋から外に出ることは無く、ずっと2人と共にいたんだと思う。
そう言えば、食事もしなかったし、トイレにすら行った記憶が無いから、やっぱり夢だったのかもしれないと今では思う。
流れる月日の中で記憶はどんどんぼやけていって、ただ、自分を見つめる2人の瞳の色だけが鮮やかだ。
その瞳は虹色に輝いていた。
まぁ、そんなファンタジーな経験を人に話したところで気が狂っただけだと思われるだけだし、私自身もまるで夢の中のような感じだし、面倒になって私は誰にもそのことを話さなかった。
幸い(と言っていいのかわからないけど)私は天涯孤独の身の上でお世話になっていた孤児院からも独立してしばらく経っていた。
築40年家賃三万のボロアパートで底辺の下請け工場で働く貧相な小娘になど誰も注目するものなどいない。
結果私は妊娠したことを誰にもバレることなく産み月の3か月前まできっちりと勤め上げ、出産の為に仕事を辞めた。
彼らが何者だったのか、あそこが何処だったのかは、私には未だにわからない。
ただ、確かなことは私の元にとっても可愛い赤ちゃんが3人もやってきたって事。
少し日本人にしては色素が薄いものの瞳は普通のこげ茶色だし、群衆に混ざっても一応人種的な不自然さはない。
ただ、トンビがタカを産んだ感たっぷりの美形で頭脳も優秀なしっかり者だという事以外は!
私の遺伝子、何処に行った!ちゃんと仕事しろ!?
勢いついでに子供達をご紹介。
長男、太陽。
高校一年にして180近い身長に落ち着いた物腰。しっかり者で我が家のまとめ役となりつつある今日この頃。
真面目すぎるのが玉に瑕。
次男、星矢。
太陽とは一卵性なので見た目のパーツはほぼ同じ。子供の頃は私の趣味で同じ格好させてたから、他人様にはほぼ見分けがつかなかったんだけど、現在はパーマあてて差別化はかりだしました。ちっ。
柔和な笑顔のフェミニスト。落とした女の子は数知れず。いつお婆ちゃんになるかと心配な今日この頃。
長女、月乃。
唯一の女の子。
長いストレートロングはこだわりの艶加減。母も恩恵を受けてます。ありがとう。身長もすくすく伸びて160台。小学5年の時に抜かされてこっそり枕を濡らしたのはいい思い出。
性格は竹を割ったよう。ずっと共学なのに「お姉さま」と慕われていてバレンタインのチョコの数は3人の中で一番多いのはちょっと不安をあおるけど、慕われてるのは良い事だ。うん。
母に対してだけ辛辣で説教魔なんだけど、基本正論なので逆らいませんとも。
そんな三つ子達。
みんなデカイなぁ。
生まれた時は2000ギリギリしか無くて心配したけど、小さく産まれてデッカく育つ、なんて、子供の鏡だね。
電気変えてもらえて便利だよ?
ブレーカー落ちた時とかね。
……………泣いてないもん。
さて、頼る者もいない、父親もいなければ貯蓄もさほどなかった当時十代後半の小娘が突如三人の子持ちになってどうやって生活できたかと言えば、手厚いとはいいがたい行政の保護と住んでいた土地柄の下町おばちゃんパワーに他ならない。
最初の味方は、近いというだけで足を運んだ今にもつぶれそうな外観の産婦人科の先生と助産師さん。
ご近所の出産の歴史を40年支え続けた実績は凄かった。
父親の事はけして話さない未成年。だけど子供を手放す気はなく手元で育てたいと無謀ともいえる希望を真顔で語る私に何を感じたのか、しわだらけの笑顔で一つ頷くと全面的に味方に付いてくれたのだ。
そして、ご近所と世話好きおばさまたちを紹介してくれた。
核家族化が進む昨今。
子供たちは手を離れ、孫たちもそこそこ大きくなり暇を持て余していたおばさま(一部おばあ様…)達も凄かった。
「1Kのボロアパートで三つ子の子育てなんてできるはずないだろう。うちの離れが空いてるから越しといで。子供が変な遠慮するんじゃないよ。あんた、母親になるんだから親切には付け込めるくらいに図太くならなきゃ」
助産師のおばちゃんの鶴の一声で気が付けば引っ越しが決まり、気が付けば荷物まで運ばれ、「おさがりだよ」と集まるベビー用品の数々。必要なものが過不足なく。しかも無駄にかぶっていないと思っていたら、どうもいつの間にかリストが作られていたと後から知らされた。
おばちゃんたちの計画性の高さに主婦30年の実績を垣間見た気分だったよ。
赤ちゃんの夜泣きもなんのその。
「新生児の泣き声はかわいいねえ」と奪い合うように誰かしらが面倒を見てくれ、ついでに私まで面倒を見られ、床上げまでの一か月は本気で寝室と風呂とトイレの行き来だけしかさせてもらえなかった。
3つ子と共に並べられ、乳をやるだけの生活は申し訳ないながらも非常に快適だった。
ひそかな自慢は最初の2月は母乳で賄ったこと。
さすがにそれ以上は育ってきて飲む量が増えたから足りなくなったけど。
助産師のおばちゃんも驚いてたから相当だったんだと思う。
そうして、それだけでは立ちいかないはずの金銭面。
それも、なんでか常に解決していた。
母子手当と私の給料だけではすくすく育つ子供3人を育てるのは難しい。何しろ私ときたら今時珍しい最終学歴中学校、だ。高給取りなどなれるはずも無い。
じゃあ、どうしたのか。
私は何もしていない。
簡単に言うとやたらと籤運が良くなったのだ。
なんとなく送ってみた赤ちゃん育児雑誌の懸賞に当たったのを皮切りに(おむつ一年分。非常に助かった。普段布おむつでも外出時は、ねえ)、ご近所のくじ引きから何気なく買った宝くじまで。
高額ではないけれど、困らない程度に。絶妙な匙加減は何かの意図を感じるほどで・・・・・・・・。
言わないけど、言えないけど。
たぶんファンタジーな父親達が何かしてくれたんだろうとこっそり思ってる。
そういう意味では、親切なご近所さんに出会わせてくれたこともそうなんだろうけど。
だって、それが一番ありがたかったし、ね。
そうやってご近所の皆さんに助けられ、どうにか日々は過ぎて行った。
三つ子の可愛さにみんなメロメロで、立派に大きくなった今でもご近所一同「三つ子はうちの孫」状態は続行中。本当にありがたい事である。
ねぇ、子供達は立派に育ってるよ。
だから、安心してもう泣かないで?
私に子供達を与えてくれて、ありがとう。
読んでくださり、ありがとうございました。
ちょっと説明チックです。
今後、子供視点と母親視点が入り混じって展開します。
現在掲載中のものが如何にもこうにもドツボにはまりすすない為気分転換という名の現実逃避な産物ですが、一応ひと段落ついてしまったのでとうこうです。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。