98.乙女の求婚
※第三者視点:エリーゼ(アマデウス城 領主の恋人)
……わたしは決意した。
私は何も持たないけれど、せいいっぱいの気持ちを込めて、彼に告げようと思った。
彼が私の気持ちを汲んでくれるのはわかってる。けれどどうにも、彼はいまいち自分に自信がないらしくて、常に相手の気持ちばかり優先しようとするんだ。押しが強いと見せかけて、ちょっと優柔不断の毛もあると思う。
それでも、そんな優しいアベルが好きなんだ。
アベルのことが分からなくなった時もあって、たくさん悩んだけど、結局その気持ちにわたしは落ち着く。
だから、あとは私の気持ちを告げるだけ。
わたしの決意に、イザベラもマリアも、ヨハンも賛成してくれた。
なのであとは、相応しい時と場所。わたしにとっても一大事だから、一生懸命考えた。
「お嬢様って、旦那様と誓いを交わしたんですよね?」
相談に乗ってくれるイザベラは、真剣そのものの顔だ。今ばかりは、いつもいちゃついているとか砂糖を吐くとか、そういうことは言わないでくれる。恋愛の経験も何もないというけれど、とっても頼もしい。
マリアは豪快に笑って好きにしなというばかりだし、ヨハンもアベルの話題になるとちょっとようすがおかしい。応援してますお嬢様! とかなり強く、顔を赤くしながら言っていたけど、一体どうしたんだろう。
ちょっと気になるけど、とにかく今はわたしのこと。イザベラと一緒にそのシチュエーションを考えるのが最優先だ。
「誓いといっても、結婚じゃなくて、ただ一緒にいるって誓い合っただけだけど……」
アベルはとにかく、私に惚れ込んでいるのがわかる。好きだと平気でのたまうのにはじめは気恥かしかったけど、今では慣れた。わたしもちょっと気恥ずかしいままだけど、好きだと返すのに抵抗もなくなったほどだ。
正直、わたしはそんなに可愛くない。悔しいけど、自己分析は勉強でも重要だ。認めたくない事実を認めることで、大人になれるんだと私は思う。
わたしはお世辞でも美人といえないし、可愛げのある顔でもない。ちょっとみっともないくらい赤い髪は、長く伸ばしても癖があってうねっている。
でも、ちょっとは自慢できるものがある。瞳は翠色で、これはアベルも褒めてくれるけど、わたしもけっこう気に入っている。肌はちょっと前まで青白く、いかにも不健康そうだったけど、アベルのおかげですっかりきれいになった。色も白いし、肌触りも悪くないと思う。すべすべだ。
……それをアベルは歯の浮く台詞で、それはもうべた褒めする。
情熱的なバラの花のように赤い髪だとか、エメラルドみたいな美しい瞳だとか、すべらかな肌は触れるのももったいないだとか。はじめははずかしくて顔を赤くしてたけど、慣れるくらいに言われた。ちょっと頭が残念な子なんだと思う。
アベルはアベル自身を平凡だっていうけど、そんな平凡じゃないと思うんだ。そりゃあ確かに、吸血鬼ってびっくりするくらい美形揃いだから、それと比較したらふつうなのかもしれない。
けれどちゃんと顔つきも整っているし、くっきりと二重だし目元もすっきりだ。派手ではないけど、十分平均より上の容姿だと思う。
それに平均顔に近い整った顔って、人に好意を抱かれやすいし、実際好ましい顔らしい。
嫌悪されず、美人過ぎて近寄りがたいってこともなく、親しみやすさなら最強でしょう? アベルをひと目見て吸血鬼とわかっても、私は嫌悪感なんてちっとも湧かなかったし。良い顔なんだと思う。
それに引き換え、わたしはそれこそ凡庸だと思う。眉なんていくら整えようとしても丸っとして来るし、口も端がちょっとだけ下がって、情けないというかすこし困ったような顔に見える。目もちょっと垂れてるし、鼻もぺちゃんこだ。小さい顔に目と眉毛だけが目立つ顔だと思う。
でもわたしって勝気な方だから、目力だけはあってちょっときつい印象にもなるんだ。
せめて美人とまでいかなくても、小動物的な可愛さがあれば……。
……まあアベルは、わたしならどんなわたしだって可愛いにきまってますとか、そういうことを言うんだ。だからわたしはこれでいいって、思うようにする。
体も貧相だし、これはちょっと考えないといけないわよね。
もちろん、お式で着るドレスのことだ。ああいう衣装は、メリハリのある身体でこそ似合う。手遅れかも知れないけれど、せめて悪足掻きしないとね。
そう。わたしはアベルに結婚を申し込む気でいる。
どうやらあいつ、一緒にいるって誓っただけで満足してるらしいから。
……女の子は強欲で見栄っ張りなんだって、知らないのかしらね?
わたしはアベルと誓い合ったことについて、イザベラに説明する。
私から贈る言葉の参考にもなるから。
「……はじめは、アマデウスに留まってくれるかどうか、ここにずっといてくれるかの誓いだったかな。お城のお庭で言ってくれたの。今思えばずいぶんおっかなびっくりだった気がする。押してるのか引いてるのかわからないのよね」
「それが駆け引きってやつですかね。確かに押されっぱなしも引かれっぱなしも駄目そうですし」
イザベラがふんふんとうなずき、何故かメモを取りながらわたしに話の先を促す。
……もしかしたら自分の時の参考にするつもりなのかもしれないけれど、アベルって変わってるから、イザベラの時はまた違う感じになりそうだけど、まあ指摘しないでおこう。
「二回目は、外に遠駆けした時かな。馬の乗り方も上手になって、一緒に遠出してくれたの。といっても、城下町からそう遠くない場所だったんだけど。花畑でね、近くに森も湖もあって、月が光ってて、とっても綺麗な場所だった」
「くぅ~、いいですね! やっぱりプロポーズにはそういうロマンチックなシチュエーションじゃないと!」
がりがり手帳に書きつけているけど、ちゃんと書けてるの? 手元を見ないで書いてるけど。
「で、その時の誓いはどういったものだったんです?」
「……ずっと一緒にいましょうって誓い。アベルの隣りに一緒にいるって意味ね」
「いいですねえ! ……ですけど、なんかこう、ふわっとしてますよね。おまえは俺のものだー! ってくらい言えばいいのに」
イザベラがすこし不満そうだったけれど、アベルって元はかなり敬虔な人だったみたいだから、仕方ない。
すくなくともそういうことに関しては、びっくりするくらい奥手だし。毎日一緒に寝てるのに、キス以外何もないってどうなのよ。
前に付き合ったという人も、キスもしないでせいぜい手を繋ぐくらいだったって聞いた時は、ちょっと顎が落ちそうになった。今時、そんな人は滅多にいないと思うけど。
ヨハンだってたしか、前にちょっと付き合った人がいるって自慢してたし、キスがどうこうとか言ってたくらいだから。まあ、ふられちゃったみたいだけど。
……その、わたしだって婚前交渉はどうかと思うけど、好きな人が近くにいたら、きっと我慢出来ないと思う。
今だって一緒に眠るけれど、何もないのがちょっと不満だもの。いっぱいキスはしてくれるけど、それ以上はアベルだって我慢してるんだと思う。
こうなったら、私から行かないとね。
アベルが最初に付き合った女の人も、決して自分から迫るタイプじゃなかったみたいだし。アベル以上に敬虔っていってたから、そういうこともしなかったんだろう。
……だけど、と思う。アベルがその次に付き合った女のひとは、ちゃんと恋人だったんだ。
吸血鬼。それも、アベルを吸血鬼にした女のひとだ。きっとアベルにとって、すごく大切なひと。
それを思うと苦しいというか、苦い気持ちがいっぱいになってくるけど、そのひとはもういない。アベルも切なそうな、何だか遠いものを見るような眼をしていたから、あまり突っ込んで聞けなかった。
だから、わたしは気にしないで、思う存分こっちから迫ってやるんだ。
それを言ったら、イザベラも顔をすこし赤くして、力強くうなずいて応援してくれた。
「そのいきですよ! もはや女性は男性の後ろに黙って付くだけじゃいけません! 知ってます? 学園の医学部だって四分の一は女性なんですって! 男性に任せるばかりじゃなくて、女性も先陣を切って働く時代なんですよ! これはあたしにも芽がありますよね!?」
「学力さえあればね。それにそれだけ女の人が多いと、ライバルになっちゃうんじゃない? イザベラ、恋人が欲しいんでしょ?」
「……ハッ!」
イザベラがしまった、って顔をしてぶつぶつ何か呟き出したけど、わたしはそれよりも自分のことだ。
私からのプロポーズ。好きなひとに贈る言葉だ。
正直、どこで言っても同じだと言えばその通りなんだと思う。アベルはここアマデウスの領主で、領内ぜんぶがアベルのものだからだ。だから、どんな場所を選んでも結局アベルの手の内で、何を弄する必要もないんだと思う。
けれど、わたしの一世一代の告白。それでもこだわりたいって思うのも当然でしょう?
わたしは何も出来ないし、持っているものもない。だけど考えることくらいは出来る。
だからたくさん考えて、やっぱり綺麗な花畑がいいなって思った。アベルと出会ったのもラベンダー畑だし、誓い合ったお城の庭にも綺麗な花があった。ずっと一緒にいるって誓ったのも、白詰草が一面に生えていた。
だから花がたくさん咲く場所で、告白しようって決めた。
「……けれどお嬢様。今の時期に咲く花ってあるんでしょうか?」
正気に戻ったイザベラが首をかしげたので、わたしもうなずく。
「それよね。こっちだと季節もあんまりないし、植物も動物も変わってるから、ちゃんと調べておかないと」
アベルと出会ったのは春も後半に入った頃。夏のはじめもはじめのほうで、まだまだ肌寒かった。
お城の庭で誓った時は、秋のはじめだったとおもう。白い木蓮みたいな花が咲いていたけれど、それはこっちでは秋ごろに咲くそうだ。ふつうは春先だったと思うけど。
白詰草の花の中で誓った時は、春のはじめ。これもわたしたちのいた国と咲く時期が違うみたいで、ちょっと面白い。
今は、ここで言う夏の盛り。そんなに暑くないと思うけど、アベルのすこし冷たい肌が気持ち良い時期だ。
いつも抱き締められるから、逆に抱き締めて眠ったら気持ち良かった。夏の間はそうしてやろうと思う。
でも冬は逆に冷たくてつらいかなと思ったんだけど、そうでもなさそうだ。肌寒い頃から一緒に寝るようになったけど、そう感じたことがない。たぶん、体温があんまり上下しないからだね。
とにかく、わたしはイザベラと一緒に図書室に行って、相変わらず取り出しにくい本棚から必要な本を探した。
とんでもない本の量で、探すだけでも目が回りそうと思ったけれど、探すこと自体は難しくない。変な絵の映る板に向かって文字を打てば、その本がある場所を詳しく表してくれるからだ。
不思議な魔法の道具だけど、仕組みはさっぱりわからない。やっぱり魔法って便利だわ。アベルばっかり使えてずるい。
とにかく図鑑を探し当てて、場所を調べることの数倍時間をかけて本を取り出した。
……便利な魔法の道具があって、そこにいろいろ書き込めるらしいから、本もそういうのにしたほうが便利なんじゃないかなって思うんだけど。あっちのほうがかさばらないし。
何だか、ここにはそういう変なところがたくさんある。吸血鬼ってやっぱり変で、よくわからない。
「……植物の種類ってめちゃくちゃ多いんですね」
ふたりで図鑑を広げていると、イザベラが困ったような声を上げた。
確かにすごくたくさんのことが、図鑑には載っている。
「でもおかげで、今の時期にもたくさん花が咲く種類があるみたい」
わたしはたくさんの花を調べたけれど、やっぱり好きな花はあのラベンダーだ。
こちらでは夏だけど、極夜の国はわたしが住んでいた所よりずっと北にあるし、それにラベンダーの種類もちょっと違うのか、今の時期に咲くものがあるそうだ。
うん、これしかないね。イザベラもラベンダーが好きだし、これがいいですと太鼓判を押してくれた。
おあつらえ向きに、アマデウスの城下町からごく近くに、群生地まである。
これはもう神様の……いや、こっちでは真祖っていうらしいから、真祖のお告げなんだと思う。
だからわたしはイザベラと一緒に、さらに計画を練り上げた。
アベルに出かけたいと伝えてあるし、あとはわたしの決心がつくのを待つばかり。
……それももう、覚悟完了しちゃってるけどね。
当日は、アベルとふたりきりじゃなくてイザベラも一緒に来てもらった。
「いやいや、あたしはそんなお邪魔虫はしませんよ? 前だっておふたりで行かれたんでしょう?」
「だってさすがに緊張するんだもの。それにたぶん、わたしの話を聞いたらアベルが舞い上がって大変なことになりそうだし。重しが要ると思うのよね」
「……重し扱いは心外ですけど、さすがお嬢様、旦那様のことを良くおわかりですね! 今から尻に敷かれてて、旦那様は大丈夫でしょうか! 甲斐性はあるのは知ってますけどね!」
イザベラがちょっとやけになっていたけど、わたしだってうら若い乙女なんだ。だからもちろん、とっても緊張している。
だから友達でお姉さんみたなイザベラが一緒にいれば、すごくすごく心強い。
そう言ったら、イザベラは何だか悶えた後に、わたしの両手をはっしと握った。
「わかりました、お嬢様。これで旦那様がへたれなお返事をするようなら、あたしが尻を蹴飛ばしてやります! お婆ちゃんにも言われましたしね! まあ、そんなことにはならないと思いますけど」
悪戯っぽく、どんと任せてくれとイザベラが笑う。
わたしはそれに励まされて、遠駆けの前日の夜もぐっすり眠ることが出来た。
……後はいよいよ、本番を残すばかりだ。
「……これは、すごく綺麗ですね。近くにこんな場所があるだなんて知りませんでした」
わたしとイザベラ、そしてアベルが馬を走らせて小一時間ほどに、野生のラベンダー群生地はあった。
折しも、アベルと誓い合った時と似た月の夜で、青白い明かりが世界を染め上げている。幻想的で、とても美しい光景だ。
ここのラベンダーは、わたしの思う花の色よりすこし青い。月明かりを差し引いても、薄青紫の可憐な色だ。淡い紫にこの国の月光が混じったような、神秘的な色合い。
アベルがとても嬉しそうに花畑に屈み込んで、その花弁に手を伸ばしている。
吸血鬼の癖にハーブの臭いも気にならないから、存分に楽しめるんだ。カラスの吸血鬼はは弱点に強いって聞いたけど、ほんとうに良かったと思う。
わたしはこっそり、離れた場所にいるイザベラに視線を送った。
それに答えて、イザベラが直立不動のままゆっくりとうなずく。イザベラは馬とわたしたちのご飯のバスケット番を買って出て、ラベンダーが咲く野原の中にある細い木立に馬を繋ぎ、じっとこちらを見つめている。
彼女の無言の激励に押されて、わたしはラベンダー畑をアベルの側に向かった。
ラベンダー畑は、アマデウスの城下町からさほど遠くない山の裾野、近くに大河が流れる場所にほど近い、丘陵にあった。
地平線まで、とはいかないけれど、かなり広範囲に花が咲き乱れている。そのようすは、もう思い出したくないあの町の外れと似ていたけれど、ちっとも気分は悪くならない。
アベルと一緒だからだろうか。それを思うと、とても嬉しい。
「これは、エリのところに咲いていた種類とすこし違うみたいですね。時期もずれていますけれど……香りもすごく素敵です」
アベルも嬉しそうだ。
彼は植物に詳しくないとか、生育に無頓着だというけれど、その実、花を切り花にするのも惜しんでいる、気弱なくらい優しい心根であることをわたしは知っている。
……おっかなびっくり近付いて、大丈夫だと思うと少し大胆になって、いろいろと構ってくれる。
その癖なかなか懐深くには踏み込ませなくて、それでいて一度気を許したら、もうべったり甘いんだ。
何だか、猫とか子犬にすごく似てる。
それを可愛いって思うわたしも、彼にすっかり首ったけだ。
「そうね。……ねえ、アベル」
わたしの声は、我ながらすこし緊張して聞こえた。
もちろんそれを聞き逃す彼じゃないから、アベルはすぐにわたしを振り返って、立ちあがって足早にこちらに駆けてくる。
見た目な立派な成人男性なんだけど、そうしている姿が子どもや小動物に懐かれているみたいで、なんだか微笑ましい。
わたしの側に立って、どうしましたかと心配そうに声をかけるアベルの体から、もう移ったのか、濃厚なラベンダーの香りがした。
「あのね」
わたしは告げる。
せいいっぱいのわたしの気持ちを、あなたへ。
……どうか、わたしと結婚してください。
それを聞いた瞬間の彼の表情は、今まで見た中で一番素敵だった。




