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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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94.下の者に配慮してください。



「……あの餓鬼、塵も残さず滅ぼしてやればよかった」


 私から話を聞き終えたローラは、一周回って穏やかな表情になって呟きました。

 はい、恐ろしい顔も怖いですが、恐ろしいことを真顔で言われても怖いですね。なので正直にお願いします。


「お願いですから、怖いことを言わないでください」

「ぬしもぬしじゃ。毎度毎度、いいように使われよって。阿呆か? 救いようのない阿呆なのか。阿呆じゃな」

「疑問形でたずねておいてから断定しないでください。傷つきます」

「ぬかせ。……しかし、ぬし……」


 ローラはすん、と小さく鼻を鳴らしました。匂いを嗅いだようですが、何か異臭でもするのでしょうか。

 たぶんここでは紙とインクと、紅茶とクッキーの匂いしかしないと思うのですが。


 吸血鬼の五感は、人のものよりずっと優れております。これは体が強化された一環でもあるようですが、私には自覚が薄いです。もちろん多少の視覚や聴覚強化はなったと思うのですが、味覚や触覚は減退してしまったように思いますし、嗅覚も血以外のことはあまりよくわかりません。

 たぶん、力や体力のないカラスの者だから、五感の強化もあまりなかったのだと思いますが。


 ローラは空中から気になる臭いを発見したのか、美貌をますます険しくして、始祖パオレを睨みつけました。


「貴様、こやつから血を啜ったか」

「そうだよー。だってせっかくの真血だし。美味しいし嬉しいしね」


 にこやかに答えた始祖パオレに、ローラはかつてないくらいの憤怒の感情を見せました。

 肌にぴりりと衝撃が走るほどで、私は思わずぞっとして彼女を見つめます。

 ただ、その激しい感情の発露は長く続きませんでした。忌々しさを隠そうとしながら……そしてまったく隠れないまま、ローラは気持ちを落ち着かせるためか、大きく息をつきました。


「ああ、もう、まったく……」


 どうやらあまりに怒り過ぎて、疲れて来てしまったようですね。

 その原因の多くを私……そして始祖パオレが占めているのですから、どうにも気拙いのです。


「えっと、ローラ。すみませんね」

「……私が怒り狂っておる原因を知らぬまま、謝られても意味はない。ぬしはもうすこし、考えて行動いたせ」


 はいそのとおりですね。ますますいたたまれないです。

 何と答えていいかわからない私を、ローラは呆れた顔で見やりました。そしてすたすたと応接側まで歩いてゆき、どっかりと座り込みます。

 反射的に私はお茶を沸かしに行き、戻ると何故か当然のように始祖パオレも席についていて、ローラとにらめっこしておりました。彼は笑顔のままですが。


「……気配を感じて来てみれば。ぬしはおのが系譜をどう思うておる」

「大事だよ? そりゃあもう、食べちゃいたいくらい」

「冗談でもほざくな」


 会話に混ざるのが怖いので、静かにお茶と血菓子を整えてささっと下がります。双子たちの立ち位置ですね。


「ぬしは何をしておるんじゃ……」

「いえ、つい」


 呆れた声にとぼけて返して、私はローラの隣りに腰を下ろしました。

 とげとげしさが抜けきらないローラにびくびくしながら、ふたりの会話を見守ります。


「それで、貴様は何を企んでおる?」

「何も? ただ面白そうだから出て来ただけだよ。ほんとうだよ?」

「誰が信じるか。一体今度は何の企てじゃ?」

「だから、ほんとうに今回は何もないって! 信じられない?」

「当然。おのが所業を思い出せ。信じるに足る要素がどこにある」

「えー。せいぜい無邪気な悪戯しか思い出せないなー」


 ローラの青筋が怖いですので、始祖よ、どうかもうすこしこちらをおもんぱかってください。

 私はそう願いながら、恐るべき大吸血鬼ふたり……見た目は美しい子どもたちによる微笑ましいにらめっこを、戦々恐々と窺うばかりでした。


 ですが、始祖パオレは相変わらず、にこにこしながらのらりくらりとローラの言葉を交わすばかりで、会話らしい会話にもなりません。

 ローラはもともとそう気が長い性質ではありませんから、堪忍袋の緒が切れるのも早かったのです。


「……もういい」


 むすっとしながらも麗しい美貌を背けて、始祖パオレに吐きかけました。


「こやつを相手取るなど、時間の無駄じゃった。まともに相手をするほうが馬鹿を見る」

「ひっどいなー。君だってまだ若いんだから、そんな時分からぴりぴりするもんじゃないよ? 年寄りの忠告は聞くもんだよー」


 始祖パオレは、どうやら火に油を注ぐのがお好きなような、酔狂者のようです。薄々分かってはおりましたが。

 ですが確かに、ふたりは子どもに見えますのに、一方は世界を見てもまず他に年長者のいないほどの長寿者で、一方も大吸血鬼、齢が四桁に迫る存在です。とんでもないおふたりですね。


 ローラは結局手をつけなかったお茶とお菓子をそのままに、ひょいと椅子から降りて、すたすたと扉へ向かいました。

 慌てて続きますと、外に一歩出たところでピタリと止まり、くるりとこちらを振り向きます。


「アベルよ、ぬしは……」


 言いかけて言葉に詰まるローラは、始祖パオレに向けた恐ろしい顔はしておりませんでしたが、彼女が口ごもるのも珍しいです。

 その顔は真剣で、真摯なものでした。困ったような諦めているような、そして慈しむような複雑な表情です。

 またも珍しい彼女の表情に戸惑っていると、やがてローラはゆっくりと首を横に振りました。


「……いや、何でもない。血をそう簡単に他の者にくれてやるな。体を大事にいたせ」

「え、ええ」


 私のつっかえた返答を聞くや否や、そのまま足を速めて去って行きました。

 こそっと双子が彼女を見送りに出たのを目の端に捕えながら、室内に戻ります。始祖パオレが笑いかけてくれますが、どっと疲れた私は、それに愛想を返すこともままなりませんでした。


「……一体、何だったのでしょう」

「女性は気紛れだからねー。それにいろいろあるし。でもローラはなんだろ、歳かな? 更年期障害?」

「吸血鬼にそういったものはなかったはずですが」


 私はまたも執務机に戻ります。今日はもう、始祖パオレと向かい合っておしゃべりはしたくないですね。

 そして仕事の残りに手をつけようと思ったのですが、始祖の思いのほか冷たい声が聞こえて、手が止まります。


「……ほんとうに、そう思う?」


 悔しいですが、思わず顔を始祖に向けずにはいられませんでした。

 何でしょうね。強者や長寿者……はるか高みにおられる方々は、どうして意味深な、思わせぶりな、暗示じみた言い回しや喋り方ばかりされるのでしょう。振り回される下々の身にもなってください。


「吸血鬼には、人がかかるような病はないはずです。吸血鬼だけがかかるものがないとは言えませんが」

「そうそう、自失病とかね。理性を失って暴れ回っちゃうやつ。吸血鬼は力があるから、病院や牢に閉じ込めるのも一苦労でね。自失病になったら実質処刑しないと間に合わないし、大変だよね」


 思わせぶりはやめてストレートな会話がしたいです。エリが恋しいです。

 苦々しく、私は始祖にたずねました。


「……他にもあるのですか」

「ローラは何で子どものままなんだろうね?」


 ぴくりと私が反応したのに、始祖パオレは満足そうな笑みを浮かべました。

 ……どこか、暗いものが感じ取れる笑みでした。


「あの子は純血種だよね? 直系の父母を持った、生粋の吸血鬼。生まれながらの吸血鬼。それってご真祖と一緒だよね? すごいよねー」

「……何が言いたいのですか」

「だってそうじゃん。純血種って完璧な吸血鬼ってことでしょ? ふつうの吸血鬼は元は人間だから。同じ種族から生まれた正しい子ども。それが彼女だよね?」


 始祖はいつの間にか、私の目の前までやって来ておりました。

 そして私を覗き込むのです。人に化けて、黒かった瞳が赤くなっていることに、今になって気づきました。


「なのに彼女は、千年も子どもの姿のままだ。ご真祖も生まれながらに吸血鬼だったけど、成長は人と同じだったと聞いている。ご真祖の両親は人間で、ローラの両親は吸血鬼だ。どっちが正常な生まれかは、君だってわかるだろう?」

「……」

「なのに、彼女は成長しない。そして恐らく、永遠に少女のままだろうね」


 私が何も返事をしないうちに、始祖パオレはどんどん先をしゃべっておりました。


「そういうものなんだよ。僕は長生きだから、滅多にない吸血鬼の純血種だって、そこそこの数を見て来た。でもね、みんなどこかに疾患がある。障害があるんだよ。吸血鬼なのに足が弱い者。体に欠損がある者。五感のどれかを失っている者。そして、自失したまま理性が戻らない者。まるでなり損ないみたいだよね」


 純血種は強く、美しいものが多い。それしか知りませんでしたが、他にそのような特徴があるとは存じませんでした。

 それはとても不思議なことに思いました。ヴァンピールのように混血ではない純血、生き物の正しい生まれのはずなのに、どこかに欠損を持って生まれるとは不可解でした。


 ですが、それもそこまで不思議なことでもないでしょう。私が死ぬ前、人であった時は、ちゃんと人間の両親から生まれてきましたが、生来の虚弱者でした。兄姉たちはみんな健常であったというのに。

 なので次なるお言葉を聞くまでは、それも種のあり得るあり方なのかと思っていたのです。


「完璧な純血の種であるはずなのに、美しくて力があるのは変わらないのに、必ずどこかに不備を持って生まれる。そしてそれは、いかなる医学や魔法を持ってしても埋められないんだ。そういう風に出来ている、それが純血種。知ってる? 混血じゃない純血なのに、彼らは子どもを作れない。半吸血鬼ヴァンピールみたいに」


 今度こそ不可解な思いに、私は包まれました。

 混血、いわゆる雑種が同種で子孫を残せないことは知っております。それはヴァンピールを見れば明らかで、植物の改良種といたものでさえそうなのですから、それも“そういう風”に出来ている、と思うほかありません。


 ……吸血鬼は、真祖……何者かの意図によって生み出され、作られたとされています。

 意図的に生み出されたのに、なぜこのような歪な生き物なのでしょう。

 そう思った時、始祖もまったく同じことをつぶやきました。 


「……何でそうなっているんだろうね? 僕たちは人間が死んで蘇った者で、生きながら死んでいる。子どもはまず望めなくて、もし出来ても種としてはそこまで。おかしいよね。血族が違えば決して子どもはできないし、同じ血族でもそうなってしまう。吸血によって人に死を与えて、蘇ってもらうしか仲間を増やせないんだ。あとは勝手に増えるのをじっと待つしかない」


 始祖パオレはじっと私を見つめておりました。それははじめて見る、恐ろしいほど真摯な光が宿っていて、私は咄嗟に何も出来ません。


「何でそういうふうに、ご真祖は僕たちを作ったの? 僕たちがご真祖と同じような、完璧な吸血鬼になれないのは何故?」


 それを私に問われましても、と言おうとして、私は上手く言葉に出来ませんでした。

 口の中がからからに乾いて、上手く動かすことも出来ません。


「ねえ、アベル(・・・)。君はどう思う?」


 はっと気づいた時には、始祖パオレはわたしの首元に顔を寄せておりました。慌てて払いのけようとした瞬間に、ぷつりと皮膚を牙が食い破る感覚を覚えます。

 そしてまたも一瞬のうちに、私の視界は闇に閉ざされたのです。




 ……気づいた時には、始祖の姿は執務室にありませんでした。

 始祖が運んだのか、私は執務机ではなく応接側のソファに横になっております。

 貧血の気持ち悪さをこらえながら、私は懸命に身を起こしました。


 ……始祖パオレには振り回されっぱなしです。ローラやクリスが言った通りですね。

 始祖には変わり者が多いから関わるなと、忠告されていたのでした。


 同じ血族、それも血族の長たる始祖たるお方です。親しみにくい、という訳ではありませんが、どこか正体不明なあり方に、どうにも気易く心安くなれないのです。

 けれどそれもまた、ごく当然のことなのでしょう。


 かの方は数十万というとてつもない時間を生きた者。

 こちらの基準、そのものさしで図ることなど、とうてい不可能なお方なのです。


 ……ですので、痛い目を見ないためには、こちら側の自衛が必要不可欠ですね。はい。

 嵐に文句を言っても意味がないように、かのお方に懇願しても……まあ、多少は譲ってくれるようですが、あまり効果がないと見ておいたほうが良いでしょう。


 それにしても、疲れました。

 あのように気軽な性質であられても、かのお方は始祖、真祖に連なる者。吸血鬼にとっては神、御使いに近い存在なのです。

 はるか高みにおられる方は、下々の者たちへ配慮や頓着をしてくださいません。なので、毎回正面からぶち当たる必要もなければ、それを続けられるはずもないでしょう。

 今日はよく頑張ったと、自分を労ってやります。


 とんでもない災難も引き連れてしまいましたが、エリと仲直りして、やっと穏やかな夜が戻って来たのです。

 今夜も存分、エリに癒してもらいましょう。そう思いながら、私は私室に下がったのでした。



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