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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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93.隠し事は出来ません。



「……アベル。ねえ、アベルってば」


 ……ふと気づくと、私はカップを手にし、中の紅いお茶が揺らめくのを見ておりました。

 顔を上げれば、真正面に始祖パオレのにこやかな笑顔。どうやらすこしの間、気を飛ばしてしまったようです。

 ……その割にはしっかりと紅茶を口にしようとしていたようですが、記憶が飛んでいるのか、始祖の悪戯か。

 私は震えそうになる手を抑えながら、そっとカップをテーブルに置きました。


「……始祖。吸血するのに手加減してくださいって、お願いましたよね?」

「ごーめんごめん。だって美味しいんだもん、僕は悪くない!」


 始祖パオレは上機嫌で、やはり顔を上気させておられます。血を吸われる方はたまったものではありませんし、面憎いですね。

 私は隠しきれないため息をついて、ゆっくりと応接のソファから立ち上がりました。貧血で倒れそうになるほどではないようですが、全身を倦怠感が覆っています。


 ……ようすのおかしいヴィクターとヒューゴ、ユリウスを前に、始祖に懇願したのは私ですが、またも血を求められてしまいました。

 吸血されることを諦めて受け入れようとは思うのですが、慣れないし怖いしで、なかなかふっきれないのですよね。

 人が吸血鬼に噛まれた時のように、気持ち良くなってしまうならまだしも……あ、いえ、それも何だか嫌です。


 思わず鳥肌を立てながら、噛まれた首筋を撫でながら、自らの席に戻ります。

 執務机に向かって書類を整理し、仕事の片付けにかかります。要領が悪いので、私の仕事の手際はあまり良くありません。

 それにしょっちゅう休憩と称して遊びに出かけたりおしゃべりしているので、ずるずると残業することも多いのです。



「君って真面目だよねえ。ちょっと不器用なところといい、ちょっと堅苦しいところといい。そういうところは僕に似てないね?」

「……系譜の者が、みな似るとは聞いたことがありませんが。そういう傾向があるのでしょうか」


 私と同じ血族で系譜の双子がおりますが、私とはさほど似ていないと思います。

 外見は、残念な私とは比較になりませんし、何よりも違うのはその所作。きびきびと手際よく仕事を片づけ、気配りも一級品。とても私には真似できません。

 責めて見苦しくない物腰でいようと気をつけてはおりますが、きちんとできているかわかりませんし、双子と似ているとも知れませんね。今度エリたちに聞いてみましょうか。


 始祖パオレはどっかりと机の上に座り込んで、私の手元を覗き込んでおります。

 もっとも、仕事の内容に興味があるようには見えませんでしたが。


「んー、そういやそういうのはないかな。まあ血族は同じだから特徴は一緒だしね。親とか子とか孫とか、そう言い合って、それに一緒にいるから、人間で言う家族みたいなものだし。人は家族の間で似通うものなんでしょ?」

「……そういうこともある、といった感じでしょうか」


 我ながら冷たい返事をしていると、案の定始祖パオレはぷうと頬を膨らませました。

 本質は中年なのか少年なのか、どちらが正しいかは定かではありませんが、さすがにおっさんにはできない顔芸ですね。


「君って結構毒舌? ひどいなー、僕、君の血族の始祖なんだけどなー、尊敬して欲しいなー」

「では、うやまわれる態度を心がけてください。下につく者が戸惑いますから」

「じゃあいいや」


 あっさりと前言撤回して、始祖はなおも笑っておられました。

 私は鼻白みそうになりながら、それを表に出さないようにぐっと堪えます。けれど始祖にはお見通しでしょうね。

 くすくすと笑ってから、ふと真面目な顔になられて、始祖パオレが私の顔を覗き込みました。


「……あいつらをからかったこと、怒ってるの? 君、ずいぶん焦ってたけど」


 人であったことを忘れられてしまうくらいですから、そういった機微でさえ忘却の彼方なのでしょう。

 それを怒っても仕方のないこととは思いつつ、ついつい怒りを抑えた声が零れてしまうのです。


「……あなたにはおわかりでしょう? 彼らは私がここに招いた者たちで、ここに来てからしばらくの間、世話していたのです。今は立派にアマデウスの領民となっておりますし、アマデウスの財産でもあります。ひいては始祖の大事な血肉なのですから、労りを持って接してください」

「えー」


 机の端ににじり寄って、足を投げ出してはぷらぷらされています。

 言い方は嫌なものですが、ここでは人間は吸血鬼の大事な財産であり、食糧なのです。だから大事にすべきなのです。


 他領のように、人に厳しいやり方もあるのですが、それには吸血鬼の力と強権を上手く使い、決して逆らわれないようにしなければなりません。でないと取って変わられてしまいます。

 ……現実問題、力量差がありますのでそれは不可能なのですが、つまるところ圧政を敷くのもよくよく考えて仕組みを作らないと、あっという間に破綻してしまうということです。そういった知識を私は持ちませんし、やりたくもありません。


 そのために、有能な人に仕事を丸投げしまくって、私のしたいことを大雑把に伝えておく。後は私が認可マシーンと化せば存外上手くいくのですから、これで良いのです。

 無能が現場に出しゃばっても良いことはありませんから、責任を取るだけの地位にいるほうが楽なのです。

 フィリップたち行政員以下、多くの人々の協力の元、アマデウスは何とかうまくやって来たのですから、これで良いのです。


「そう何度も自分に言い聞かせなくても大丈夫だよ。あいつらも感謝してたみたいだしね」

「……読心術って心の中が全部わかるものなのでしょうか」

「そうでもないさ、表層だけだよ。……君はその血があるから読みにくいし」


 ぴたり、とサインする手を止めて、私はまじまじと始祖を見ました。

 彼はたまに真顔になりますが、他はほとんど笑ったままです。その笑顔の裏に、さらにさまざまな感情が隠れているようなので、笑顔が張りついた無表情とは感じられなのですが……。

 今の始祖パオレが何を感じ、どういう心境なのか、私にはさっぱり推し量れませんでした。


「……始祖。あなたは真血についてお詳しいですか?」


 始祖は話せないとおっしゃっておりましたが、たまらず問いかけてしまいました。

 吸血鬼の弱点を無効化する血。人と吸血鬼に活力を与える血。

 そして……真祖の器となる者が宿す血。


 その血を、吸血鬼たちが尊いものだと感じていることはわかります。身近な吸血鬼たちは真血を飲みたがっておりますし、始祖パオレさえ毎度求めるのですから。

 ……まあ、私がお願いしたりして、そこに付け込まれてしまうことも多いのですが。

 ですがどうも、始祖を前にしていると、それだけではない気がしてしまうのです。


「んー……」


 始祖パオレは首を捻り、難しそうな顔をされました。

 そして何かを言おうと口を開きかけた瞬間、またもばたんと大きな音を立てて、執務室の扉が開かれたのです。

 ……アマデウスの最高権力者、領主の執務室の、それも主が在室中にしょっちゅう蹴り開けられているのですが、私は何か悪いことをしてしまったのでしょうか。


 そう思いながらそちらを見やると、そこには一体のビスクドール。

 ……の、ような衣装を身に纏い、麗しい顔をこの上もなく険しくさせた、ローラが立っておりました。


「ローラ」

「おお、ローレリアじゃん! ひっさしぶりー! 元気だった?」


 能天気な始祖の声にも、彼女は反応を示しません。始祖に気づいているのかいないのか、それより何より、私を鋭く視線で突き刺しているのです。

 私が席を立って回り込みますが、彼女は険しい顔のままでした。


「どうしました、ローラ」


 その前にしゃがみ込むと、いぶかしげな顔になって私をじろじろと眺めまわし、しばらく何か考えてから、ほうっと大きく息をつきました。

 それからぎんっと始祖パオレに首を向けます。一体どうしたというのでしょう。


「き、き、き」


 あのローラがどもっています。珍し過ぎて仰天ですね。

 ローラは上手く言葉が出ないようで、もどかしそうな顔になりながら、両の手のひらを握り締めておりました。


「き……貴様は、まったく、いつの間に」

「いやー、うちの子が迷い込んで来てさ。懐かしくなっちゃったしどうせ暇してたから、こっちに遊びに来たんだ」


 険しいローラと明るい始祖パオレ。どうやらおふたりは知り合いであるようですが、何となく、ローラが以前始祖について語りがらなかったのを思い出して、たぶんあまり仲がよろしくないのだと思い至ります。

 ユリウスの時といいクリスの時といい、ローラは気に入った者とそうでない者への態度の差があり過ぎですね。敵に回したら死を見ますが、気に入った者には驚くほど優しいですし。


 ふたりの大吸血鬼の睨み合い……一方的なものでしたが、それは長く続きませんでした。

 ローラは苦々しく矛を収める気になったようです。そして次にその矛先を、私に向けてまいりました。


「……アベル」


 険しい顔のまま無理に笑顔になろうとして、より恐ろしいことになっているのを指摘する勇気は、私にはありません。

 思わず逃げ出したくなりましたが、くいっと始祖パオレを顎でしゃくる彼女に、何故始祖がここにいるのかという説明を求めているのだと知って、私は頭を抱えました。


「えっと……」


 何と説明すべきかはわかりませんでしたが、まあ、正直にすべて話すしかないでしょう。

 ひと言で言ってしまえば、始祖の気紛れに他なりませんが。それに始祖パオレも誤魔化すとかそういう考えはないようでした。

 なので私は最初から……むろん、クリスのことは伏せて、“鍵”を手に入れ、それで始祖がいる空間を開いてしまったのだと説明します。


「“鍵”か。そういえばそういたものもあったのだったか。……すべてめっしてしまえばよかった」

「ひどいなー。まあ非常口はあから大丈夫だけどさ」


 忌々しそうなローラは始祖パオレを無視して、さらに突っ込んで聞いてきます。


「ぬしはその本をどこで?」

「……クリスが持っていたので。何とかお願いを聞いてもらいました」


 躊躇いましたが……どうせ誤魔化し切れないと観念して、結局クリスの名を出してしまいました。

 ちっ、と盛大にローラが舌打ちします。淑女にあるまじき所作ですね。

 それから始祖パオレをさらに苦々しく睨みつけ、それをあっさり受け流す始祖にますます顔を恐ろしくさせてから、ローラは私を振り向きました。怖いです。


「……詳しく話せ」

「えっと……」

「その本を手に入れた経緯を全てじゃ。とっととせんか」


 そして私は最初から全部、洗いざらいの経緯を、彼女に話すこととなってしまったのでした。

 ……またクリスのお願いを聞いたり、吸血鬼ハンターと関わったと知ったら、きっとローラは激怒すると思って伏せたかったのですが……無駄な努力でしたね。



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