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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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92.ある教師の憂慮

※第三者視点:ヴィクター(メフィスト学園 教師)



 ……生活の基盤は安定しており、収入はもちろん、その暮らしぶりにも不満はない。

 最近は多少の余暇もあるほどで、近々ヒューゴを連れて旅行にでも行こうかとも考えている。ずいぶんと暢気な元ハンター……いや、もうただの老いぼれた体育教師だな。

 同じく吸血鬼に関わる仕事をしているというのに、吸血鬼の国にいるほうが余裕があるのも、何とも不思議な感覚だ。


 領主が紅茶を飲み、ワシがその広告紙を眺めておった時に、ばたんと大きく執務室の扉が開かれた。

 こんな不躾な入室をする者はこの城にはおるまい。それに何やら、賑やかな声が聞こえる。


「――こんちは、アベル! あれ、爺ちゃんもいる?」

「こんにちはー」


 我が最愛の孫は、ちっとばかり礼儀に乏しいな。まったく、ワシと一緒に学ぶべきか。

 ヒューゴは友達と一緒に室内に入って来た。ひとりはユリウスだ。いかにも美しく可愛らしい男の子で、一瞬吸血鬼にも見えてしまう。

 まあ、吸血鬼の子どもも皆無ではないが、吸血鬼は基本、子どもを産まない。

 仲間を増やす時は、人を吸血して殺してしまえばよいのだからな。吸血鬼の種類や人の素質にもよるが、一定以上の確率で吸血鬼として蘇る。そうやって奴らは、血族を増やす。


 だから吸血鬼の子どもはすくないのだが、奴らは変身できるので子どもの姿にだって変わることが出来る。

 もっともそれは、それなりに歳を経た力ある吸血鬼に限られるようだ。アベル殿は若いし、変身が下手なようで、血族の象徴たるカラスにくらいしか化けられないそうだが。


 そしてもうひとり、ヒューゴは男の子を連れていた。見ない顔だが、はて、学園の子かな?

 そう思った瞬間、領主が思いっきり紅茶を吹き出した。げほげほやっているので慌てて手ぬぐいを出してやったが、いきなり何だ。


「うわ、きったないなー。アベル兄ちゃんどうしたの? 風邪か?」

「吸血鬼は風邪引かないんだってよ?」

「それって馬鹿ってことかな! 吸血鬼って馬鹿なのかな!」

「――これ!」


 ワシは慌てて、吸血鬼を馬鹿だと口にしたその子……白金の髪に黒い瞳の、これまたユリウスに負けずとも劣らない美男子を叱った。この国では吸血鬼への侮辱は許されない。

 まあ、子どものことだしアベル殿のことだから大事はなるまいが、こういったことは小さな頃に躾けておかねば、後で矯正がしにくいのだ。悪いことはすぐ叱ってやらねば、悪いことだと思えなくなってしまう。

 そこに罰を与えて、悪いことでではなく罰が怖いのだと教えることも出来るが……それは人道的によろしくない。


「そういったことは言っちゃいかん! ひとを傷つかせる言葉は軽々しく口にするな! むろん領主様やヒューゴたちにも決して言うな、わかったか?」

「はーい!」


 どうやら素直な子のようで、ワシの叱責にもにこにこしている。いい子だ。

 小さな子で、歳はヒューゴとユリウスよりもうすこし下のようだが、すくなくともワシの教え子たちの中にはいないな。城に来るということは、この城の従業員の子か、アベル殿の知り合いか。


「時に君は誰かな? ワシはヴィクター。そこのヒューゴのジジイだよ」

「僕はパオ――」

「パ! パ、パオ……ポ、ポール! ポールですよね!?」


 アベル殿が胸元に零した紅茶を拭きながら、焦ったようにこちらに割り込んで来た。何事か。


「えー、ポール? それって僕の綴りの別読みなだけじゃ……」

「ポールはですね! フィリップ長官のお孫さんの友達の友達の……友達の友達くらい? の子ですよ! お城に遊びに来たのですよね!」


 何故かやたらと懸命な領主殿。よくわからんが、長官のお孫さんの遠い知り合いか。


「あれ、そうだったっけ?」

「さっき庭で会ったんだよ! スーと一緒に迷路を探検したんだ」


 どうやらヒューゴとユリウスと一緒に遊んでもらったようだ。

 少々口は軽そうだが、笑顔の明るい子だし、素直なようだ。ヒューゴもしっかり兄貴分をしているようだし、ユリウスだって賢い子だ。大事なさそうだし、みんなで遊ぶのもいいだろう。

 三人の男の子たちはきゃいきゃい騒ぎながら、ワシとアベル殿をからかって遊ぶ。仮にも領主の執務室だから、散らかしてはならんぞ。


 ワシはかわいい孫とユリウスに菓子を与え、お茶を汲んでやった。

 アベル殿はポールを捕まえて、何やら必死な形相をしている。はて?


「あ、あの、すみませんがうちの子は毒さないでくださいね?」

「ひっどいなー、僕だってちゃあんとしてるでしょ? ほら」

「見かけは完璧ですが、中身が……いえ、違和感はないのですが、ちょっとこう……」

「んーそれにしてもポール……ポールねえ。女の子にすれば、ポーラってことにできたのかな。んー、今から変えよっかな」

「混乱するのでやめてください。……というか、何故こちらに?」

「だって面白そうじゃん?」


 ひそひそやっているようだが、丸聞こえだ。何の話かはわからんが。

 まあアベル殿のことだし、いつものことだろう。ポールもにこにこしておるし、何も問題あるまい。

 ワシは孫たちに囲まれて、少々騒がしいが、楽しい休息の時間となった。

 アベル殿の休憩時間を削ってしまったかな? ……まあいいか。


 頭が上がらないと言いつつ、アベル殿がああだからワシも自然とこうなってしまう。

 それが自然で、気兼ねもないものだから、気楽で楽しい。これもまたありがたいことだ。

 ただまあ、たまにはいたわってやらねばな。




「……ワシは近々、旅行にでも行こうと思っていたのだが、アベル殿はどこか行きたいところはあるのかな?」

「そ、そうですね」


 何故か疲れたようすのアベル殿は、すこしよろけながらも席に着く。

 ワシも教師になって、ここの子どもらの明るさと活きの良さには驚いたが、子どもが元気なのは良いことだ。こちらにまで力を与えられるようでな。

 アベル殿も子どもは嫌いではなかったはずだが、さすがに三人も相手するのは慣れないのだろう。ワシがきちんと手綱を握らねばなるまい。


 アベル殿は顎に手を当て、首を捻る。


「アマデウス領にも観光地は多いのですが、一番は鏡湖でしょうか」

「ほう? それはどんな場所かな」

「文字どおり、湖面が鏡のような湖ですよ。月や星空がまるで鏡のように映って、天上と天下の境がなくなるのです。アマデウス絶景百選の上位に毎回食い込んでおりますね」

「何だ、その百選とやらは」

「観光誌ですね。ここにあります」


 いそいそと雑誌を取り出す領主殿。仕事中に盗み見てでもおったのだろうか。


「アベルってやっぱ不真面目だなー、領主がそれでいいのか?」

「私だって息抜きしたいのです。最近、遠出しておりませんし……」


 言いかけて、すこし微妙な顔をするアベル殿。ポールがにこにこしているが、はて、何なのだろうな。

 とりあえずワシは誌面を開く。ヒューゴとユリウスも興味津々に覗き込んだ。


「えーっと、これか。うわ、すっげえ綺麗な絵がある! これって写実画ってやつ?」

「撮影された画ですね。映像媒体もありますが、見ます?」

「見たい見たい!」


 領主の話に子どもたちが食いついているが、まだ歳若い子どもたちはわからないのだろう。


 庶民向けの雑誌が安価で……時には無料で配られる。それもかなり上等な紙質で、しかも色つきだ。どうやって着色しているかわからないが、素晴らしく現実的で美しい色が乗る誌面が、それがたやすく手に入る環境が、どれだけ稀有か。

 まあ、ここでは鼻紙にも使えるくらいだが、向こう……人の国ではまずこんな雑誌などお目にかからない。


 それにここには、紙などに印刷しなくても良い魔法端末というものもある。板の上を絵や文字以外にも映像が流れるのだが、ある程度、吸血鬼の技術や魔法の知識のあるワシでも、どういう理屈のものなのかとんと見当がつかない。


 そしてそういった高度な魔法技術があり、媒体や端末がそこらに溢れ返っているのに、公的文書は未だに羊皮紙やインクペンでのサインで済ます。

 学園の教師たちも仕事のに、傍らで魔法端末で文書を作成し、傍らで羊皮紙の決裁書類を書く。

 端末を使って、該当の人物以外には決して開けられることのない手紙を送ることも出来るのに、蜜蝋で封筒を止め、紙媒体をわざわざ手渡しで該当者に届ける。

 何とアンバランスで無駄なことか。


 だが、それを誰も疑問としない。吸血鬼が好んで使うというだけで、ここではそれがふつうなのだ。

 それにそれらを気にせずとも仕事の出来る、余裕というべきものがある。無駄に目くじらを立てて徹底的に潰さずとも、ゆとりのある仕事が出来るのだ。

 むしろ無駄を楽しむことすらできる。人は仕事に追われることなく、あくせくしない。休暇を取るのだって自由で、それを誰も咎めない。


 それでいて仕事はまったく滞らない。積極的に仕事をこなし、休暇を取り、みな楽しむ。何と素晴らしい環境だろうか。

 これはもはや労働ではない。労う必要もない人生の楽しみなのだ。


 ……仕事に縛られ、それを使命感に支えられたことはあっても楽しむことはなく、厳格なる掟に縛られてきたワシには、うすら寒ささえ覚えるのだ。

 だがそれを蹴飛ばしてここにやって来たのだから、何を言えるはずもない。

 

「うわあ、すげえ! 何でこれ動いてるの!?」

「これがあれば旅行にいかなくてもいいんじゃない?」

「いやー、見るのと触れるのとじゃあ絶対違うよ! 臨場感がなくっちゃね!」

「そういうもん? んー、でも確かに、見るだけじゃあ腹も膨れないしな!」

「お出かけしたら、美味しいご飯が食べたいよね。僕、出かけたことってないんだけど」

「じゃー一緒に行こうぜ! ポールも行くよな!」

「もちろんだよ!」


 何も知らない子どもたちは、楽しそうに笑っている。

 ……無垢な者たちの笑顔があれば、ワシのどこかうすら寒い気分など、瞬く間に霧散してしまう。

 その程度のことなのだ。


 ここは、吸血鬼の国。

 夜が支配する闇の領域。人の世界とは別世界なのだから。




「それじゃあ、そろそろ帰ろうか、ヒューゴ。すっかり長居してすまなかったな」

「いえ、私も楽しかったのでかまいません。たまには顔を見せに来てくださいね」


 執務室に居座ったワシらが重い腰を上げても、領主殿は嫌な顔ひとつせず、にこやかに見送ろうとしてくれる。

 たまにあの男の子、ポールのほうをちらちら見ているが、さて、フィリップ殿あたりに面倒を頼まれているのかな?


「ユリウスはマリアのところに。ちゃんと挨拶しないと後が怖いですよ」

「うん、わかってるよ。お婆ちゃんキビシーから」

「あ、婆ちゃんはな、誤魔化しがきかねーから嘘はやべーぞ。片づけとか宿題とか、やってねえとすぐばれるし」

「僕はやったよ!」


 子どもたちはまだ元気が有り余っているようだが、日も暮れ……いや、月が沈みつつある頃合いだから、そろそろ帰らねばなるまい。ワシもヒューゴと一緒に、学園の寮まで戻ろう。ユリウスとポールはどうするのかな。

 と、つんつんとワシの腕をつつく者がいる。件のポールだ。

 ポールはその可愛らしい顔でワシを見上げて、じいっと黒い瞳で見つめてくる。一体何かな。


「……ねえ、お爺ちゃん。お爺ちゃんは今、幸せ?」

「ああ、もちろんだとも」


 子どもの無邪気な問いに、躊躇いなくうなずく。

 悔いも苦い思い出もあるが、ワシは今、孫と一緒に暮らせて幸せだ。この気持ちに変わりなどはない。

 ワシの返答にポールは表情を変えぬまま、僅かに首をかしげて見せた。


「ふーん……」

「ポール、どうしましたか」


 すこし焦った声でアベル殿がこちらを見ている。はて、一体こちらも何だろうか。

 ポールはにっと笑うと、領主殿に何でもないよと答えている。


「ポールはどうします? 城に泊りますか」

「ん? 何を言っておる。ポールは寮に戻るに決まっておるだろう? 明日は学園への編入日(・・・・・・・)じゃないか」

「え……」


 アベル殿が一瞬ぽかんとしたが、すぐその表情が硬くなった。

 やはり、今日のアベル殿はすこし変だな。疲れているところに押しかけてしまったか。


「ポールは学園の初等部の学生(・・・・・・・・・)だから、ワシら一緒に学園に帰る(・・)よ。さて、今日は夕飯を一緒に食べる約束だったかな?」

「うん! 僕はハンバーグね!」

「あ、ずるい! おれはね! えっと、えっと……」


 ヒューゴが声を上げて、ユリウスもすこし羨ましそうな顔をしている。さて、マリアが怖いがユリウスも誘ってやろうか。

 ますます硬くなったアベル殿は、視線を泳がせて、それをやがてポールで止めた。この子がどうしたというのかな。


「……ポール」

「ほら、この間のお詫びなんだよ。ご飯を奢ってもらうのはね。あ、ちゃんと処置してあるから、僕は食べられるんだよ」


 やはり疲れているんだろう。こんなことを忘れてしまうとは。

 アベル殿がわけがわからないといった顔をしているし、説明してやろう。まったく、若いのに物忘れがひどいのだろうか。


「ほれ、この間のアマデウス城遭難事件。その時に一緒にいた子(・・・・・・)だろう? ヒューゴが引っ張って連れてってしまったから、お詫びに好きなものを奢ると約束してな」

「……それは、違います。あの時の子は、ヒューゴとそばかすの子と、ヴァンピールの子でした」

それとこのポール(・・・・・・・・)だな。あの子らは共犯だが、ポールはヒューゴの被害者だし」

「あ、ひでえ爺ちゃん! たしかにあいつらは悪友って奴だけど、ポールだって一緒になって――」

「こら、おまえはまだ反省しとらんか!」


 ワシがげんこつで殴る真似をすると、ヒューゴはおかしそうにきゃらきゃらと笑う。まったく、ワシも甘いかな。

 アベル殿は固まったままで、何やら元から青白い顔がさらに青い。いかんな、体調も悪いのか。

 吸血鬼が体調を崩すなどなかなかおかしな話だが、アベル殿のことだ。ふつうにあるのかもしれん。


「……ヴィクター。その子は」

「何だ、アベル殿。ポールはワシらと一緒(・・・・・・)に、極夜の国に逃げて来た(・・・・・・・・・・)だろう? だからずっと一緒で――」

「――お願いです、もうやめてください」


 アベル殿が悲鳴のような声を上げた。顔は青ざめて、僅かに震えてさえ見える。

 はて、一体何をそんなに怖がっているのかな? ヒューゴやユリウスだって首をかしげて、不思議そうに彼を見つめている。

 アベル殿はポールを見た。すっかり血の気が引いて、吸血鬼を通り越してまるで幽鬼のような顔だ。


「……始祖パオレ、どうかお慈悲を。彼らに何もしないでください」


 ……始祖?

 何を言っておるのか。この子はポールだ(・・・・・・・)パオレじゃない(・・・・・・・)

 ポールは笑っている。無邪気で無垢な、子供の笑顔だ。


「……だって、ねえ? そいつ、古いけど吸血鬼の血の匂いがする。染みついているんだね。元吸血鬼ハンターなんだって? 僕はちょっと嫌だなあ」

「……元、ハンターです。今はアマデウスの領民です」

「えー、でもなあ」

「始祖」

「……うーん、わかった。ほかならぬ君の頼みだしね。そいつより孫への愛がないって思われるのも癪だし」

「……ありがとうございます」


 誰かの会話が聞こえるが、ワシにはよく聞き取れなかった。

 ふむ? 一体誰がしゃべっているのか?


「君の気持ちを尊重してあげるけど、でも君、ずいぶん際どいことしてるよね。危ないよ?」

「……承知の上です」

「そんな苦い顔しないでよ。ほらほら、リラックスリラックス!」

「無茶を言わないでください」

「大胆なのか、臆病なのかわからないねえ。……君、いいよ。面白い。さすが僕の系譜だね!」

「……」


 遠くの声が聞こえるが、ワシはそれを理解できない。

 そのうち、ぱちんと指が鳴る音がする。誰かが指先をはじいたのだろう。


 ワシははた、と気づく。目を瞬かせるが、はて、今何かあっただろうか。

 ヒューゴやユリウスも、うたた寝でもしていたかのように目を瞬かせ、首を振っている。さてははしゃぎすぎて疲れたな。


「いかんな、遊び過ぎて疲れるとは、休息日の意味がない。ほれ、早く帰るぞ」

「え、あ、うん」


 ヒューゴがととと、と走って来るので、その手を握ってやる。大事な孫の暖かい手だ。

 さて、領主殿に挨拶をしてお暇しないとな。


「それじゃあ、アベル殿。すっかり邪魔してしまったな。……顔色が悪いが、大丈夫か?」

「……はい。ええ、お気になさらず。……困ったことがあったら知らせてくださいね、お伺いしますから」

「なんの。領主殿にご足労願うわけにはいくまい。またこちらからお邪魔するよ」

「……そう、ですね」

「じゃーな! アベル! ユリウスもまたな!」

「さようならー」


 気持ち青いままのアベル殿が見送る。ユリウスも手を振っている。

 あともうひとり、見知らぬ男の子がそこにいたが……はて、あの子はいつの間にここにいたのだろう。気づかなかったな。

 ヒューゴも気にしていないようだし、まあ、大丈夫だろう。




「おれもハンバーグにしようかな! チーズがのっかってるやつ!」


 城の廊下を歩いていると、ヒューゴが唐突にそんなことを言って、ワシを見上げて来た。

 はんばーぐ……ハンバーグか。確か大衆食堂とやらで見たことがある料理だ。肉のミンチと野菜を混ぜたもののようだが、ワシは料理が不得手なので良くわからない。


「ん? ハンバーグがどうしたのか?」

「今日の夕飯! 何だよ、爺ちゃんが奢ってくれるんだろ? 忘れちゃったのかよ」

「そう……だったかな?」


 ヒューゴがむくれて、ワシが首を捻る。さてはて、そんな約束をしただろうか。

 しかしヒューゴの顔は真剣で、嘘はないように見えた。孫は案外顔に出やすいので、嘘をついたらすぐわかる。ワシはそういう約束をしていたのだろう。


 いかんな、やはり歳は取りたくない。約束を忘れてしまうなんてとんでもないことだ。

 先ほどアベル殿に見せてもらった習い事教室には、記憶力トレーニングとかいうものもあった。生活科学や生活習慣病予防の一環らしいが、さて、ワシもそれに通ってみようか。


「わかったわかった。お代わりしていいから許してくれ」

「ほんと? やった!」


 現金なヒューゴは大喜びだ。鼻歌まで歌い出しそうな笑顔ををしている。

 年の割に少々子どもっぽいところがあるが、幼いころに両親を失った上に、これまで病弱だったし、ワシもあまりかまってやれなかった。この国に来てやっと、ごく幸せに暮らせるようになったのだ。

 ハンターの家系というのも難儀なものだ。ふつうに幸せを得るのも難しい。誇りある素晴らしい職ではあるが、やはり孫には幸せになってもらいたい。


 ここは吸血鬼の国。夜が支配する静かな国だ。

 そこで生きると決めた以上、吸血鬼ハンターであったことは忘れよう。ただ、ヒューゴの暮らしを守るために頑張ろう。

 きちんと玄関門で双子の吸血鬼に見送られ、家路……学園の寮にだが、帰り道を辿る。


 途中振り返ったアマデウス城は、星夜を背景になお黒々と、恐ろしいほど静かに悠然と佇んでいた。

 その高いところに灯る明かり。さて、あの領主はちゃんと早く休むだろうか。


 気の良い吸血鬼を心配しながら、途中食堂で美味い料理に舌鼓を打つ。まったく、吸血鬼の国だというのに、人間の料理まで美味いとは。今のところ完敗してばかりだ。

 見たことも聞いたこともない、さまざまな調理法もあるようで、食事を作るのを覚えるのも楽しそうだ。

 そうやって満腹になり、ゆったりと寛いでから出立して、再び学園の門扉を潜る。


 どうにも気になって、ワシはまたアマデウス城を振り返った。ここから城へはそう遠くない。

 高らかにそびえる城の尖塔には、まだ明かりが灯っている。



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