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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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90.姿をくらませるのが早いです。


 私はかつて、夜街で春をひさぐ女性を目当てに、あちこちうろつく夜を過ごしておりました。もちろん食事のためですが。

 エリには聞かせたくなかった話を白状した私に、白い視線が突き刺さります。


「ふーん。アベルって結構手が早いのね。失望した」

「ちょ!?」


 その言葉に私は慌てて、思わずドラゴンの背で飛び跳ねそうになりました。それを見てエリがくすりと笑ったので、ほっとします。

 ……心臓に悪いです。


「冗談よ。だって、そ……そういう意味じゃあ、手を出してないのよね?」

「もちろんです」


 疾しいところがない私は、きっぱりと断言することが出来ます。

 それにお互いほっとしたようで、安堵の息を漏らしてドラゴンの上で座り直しました。

 ……なんというところで、なんという問答をしているのでしょうね。私たち。


「……吸血鬼だから、血を貰うには仕方ないものね」

「はい。……やはり、こっそり血を貰うには、そう言った身持ちの硬くない方からでないと難しいですから」

「……そうね。ちょっと癪だけど、忘れてあげる」


 エリが複雑そうに笑いかけてくれるので、心の底よりほっと胸を撫で下ろしていると、ふと彼女は表情を曇らせました。

 ころころ変わる顔は可愛らしいですが、出来れば笑っていて欲しいです。


「エリ、どうしました?」

「え、えっとね……」


 エリはすこし言い淀んでおりましたが、やがてきっとばかりに私を睨みつけます。思わず背筋が伸びてしまいます。


「アベルってさ……前に、恋人とかいた?」

「……はい?」

「いいから答えて」


 口答えを許さぬ口調に、私はぐっと息を飲みました。緊張します。

 とはいえ、私の女性遍歴はそうありません。倹しいものです。フレッドなら分厚い本が丸ごと一冊埋まりそうですけれど。華々しいでしょうね。

 私はわびしいものですが、今、こうしてエリがいてくれるのでまったく構わないのです。


 そう思うのですが、エリはきりりと私を睨むようにして、私の返答を待っています。観念して、私はおそるおそる口を開きました。


「……えっと、ふたりほど」

「ふたり……」


 エリの眉間のしわがますます深くなります。気まずいと申しますか、居心地の悪さが振り切れそうですが、エリは話題を変えてくれません。


「……どういう人?」

「ええっと、その」

「お願い、教えて」


 硬い口調の中に懇願の色が見えて、私はちょっと迷いながらも、それにうなずきました。


「……そうですね、えっと……」


 ひとりは、私が人だった頃に付き合った人です。

 家族を失い、たったひとり残された私は、知らず知らずのうちに家族のぬくもりを、強く求めていたようでした。

 貧民でしたし、体力もない病弱気味の男がひとりで生きるのも、つらかったためもあります。生活や経済的に余裕がなければ、とてもひとりでは生きていけない世界でした。

 弱者たちはみな、肩を寄せ合い、寄り集まって協力し合わねば、とても生活できなかったのです。一生独り身でも生きていけるのは、よほどの富豪か、それこそ貴族くらいでした。


 苦しい生活の中に出会った彼女は、私と同じように倹しい身の上でした。なので自然と私たちは肩を寄せ合ったのですが、別れも同じように自然でした。

 私はどんどん体調を悪化させておりましたし、彼女はそれを支えられる力を持ちませんでした。

 彼女との間柄は、親愛というよりも、憐憫と同調、あるいは同情だったのかもしれません。私も去って行く彼女に縋りつくほどのこともできず、彼女も命を賭して私につくこともできず、静かな別れとなったのです。

 なので私には、彼女に対する愛に満たない甘酸っぱい好意しか残っておりません。

 お互いに納得ずくの、仕方なかったことなのですから。


「ふーん……そ、その人とは、えっと……その、どこまで」

「手を繋いだことある程度ですよ。とても敬虔な信徒でしたので、よく聖書のお話を聞かせてもらいました。あとは、聖歌を歌ったりとか」


 エリはすこし拍子抜け、といった顔をしましたが、続けてたずねます。


「も、もうひとりは?」

「……ミラーカです」


 私を吸血鬼にした女性。私の仇であり、友人であったひと。

 彼女と出会うまでに、吸血鬼に複雑な思いを抱いていた私です。私の見ていないところで家族の命を奪ったそれは、けれど明確に姿を見せなかったために、私の中で確固とした存在にならなかったようでした。

 次に吸血鬼と遭遇した時には、私が死に瀕し、朦朧としている状態でした。そして気づけば自身が吸血鬼になっていたのですから、その時の混乱は今でも言い表すことが出来ません。


 ですので、私のミラに対する感情は、ただ好き合う者同士とはとてもいえませんでしたが、たしかに慈しんだことのある者なのです。彼女は奔放で、私をそれは振り回してくれました。親身になってくれたのも事実ですが。

 それに私は彼女の系譜。同じ血族の者であり、吸血鬼として目覚めた瞬間から家族に近い何かだったので、まっすぐに愛していたとも言いにくいのです。ミラは私を愛してくれたようですが、さて、その時の私の本心はどうだったのでしょう。

 ……ミラーカはそれを知りながら、私をからかう女性でした。


「……えっと、じゃあ……」

「恋人同士でしたね、彼女とは。……ですけれど」


 私はぎゅうとエリを抱きしめて、その髪に顔を埋めました。


「……エリほど、一緒にいて欲しいと願ったひとはいません。ずっと側にいて欲しくて、あれだけ足掻いたのもはじめてです」


 結局のところ、これに尽きます。今までに抱いたどんな感情の中でも、一番に強く思うもの。

 それをまっすぐ伝えられる幸福を、私は他に知りません。


 ミラーカは吸血鬼であり、私の系譜のものです。私が吸血鬼になった時点で既につながりがあり、別個でありながら同一でした。

 赤の他人ほどの寂しさも、親子ほどの親密さも、両方を既に持っていたのです。

 なので、自分に足りないもの、好ましいものを強く求めるといった、そういった感情はありませんした。

 恋とか愛だと、はっきり言い切れないのもそのためです。


 だから、私がはっきりと愛だと言えるのは、エリだけなのです。


「エリ、好きですよ」

「……私も好きよ」


 エリが頬を赤らめ、目を伏せながら、大きく体を傾けて私に顔を向けました。

 彼女を抱き竦めながら、そっとその唇に口付けます。

 その甘い唇を味わいながら、私はほっこりと胸が温まるのを感じました。これでやっと、仲直りが出来ました。

 思わず神に……いえ、真祖に感謝してしまいそうです。




「君たち、甘い。甘過ぎるよ」


 降り立つ金のドラゴンに続いて地上に舞い降りれば、はじめて見る憮然とした表情の始祖がそこにおりました。

 ……そういえば、非常口という場所に案内してくださっている最中、それもドラゴンの上でいちゃつき過ぎましたね。

 エリも顔を赤らめておりますが、私も少々気恥かしくなってしまいました。久しぶりにエリを堪能で来て、それが嬉しくて夢中になってしまったようです。

 若いというか、まだまだ青いですね、私。


「えっと……すみません」

「これが砂を吐きそうになるっていう感覚かー。僕にもこういうことしてた時ってあったっけ?」


 始祖パオレが難しそうな顔をしておりますが、さすがに数十万も時を経て、いっさいの女性の影が無いわけがないと思います。中年でも少年でも美男子ですし。

 始祖は顎に手を当てながら考え込み、ぶつぶつと呟いておられます。


「……始祖を前にしながら、空飛ぶドラゴンの上で痴話喧嘩に仲直り、吸血行為に因縁の過去話、そして接吻! やるよねえ君も。僕も長く生きて来たけど、こんなのはじめてかも。そのままおっぱじめたらどうしようかと思ったよ!」

「下品な話は女性の前なので止めてください、お願いします。というか聞いていらしてたのですか、聞かないでください」

「いやいやだって面白そうだったし。でもほんと、あてられそうだったね! というか現にあまーい空気にあてられて、エンダ―とフィーアがいつも以上に大人しかったよ! 賢い子たちだよね!」


 ……そういえば、ドラゴンは賢い生き物なのでした。ちょっと、顔を合わせづらいですね。

 ごめんなさい、二頭とも。私は頭がお花畑になっておりました。

 エリが赤くなった頬を懸命にごまかしながら、後ろ手に私の腕を捻っています。それすら可愛くて悶えそうになる私はあれですね、ちょっとおかしいですね。落ち着きましょう。


 そんな私たちを呆れた顔で真祖は眺められて、それから大きく息をつきました。


「……ま、酸味は足りてなかったけど、若い二人の甘酸っぱい空気も胸いっぱい吸ったしね。そろそろ帰ろうか」


 始祖はくるりと背を向けて、すたすたと歩いて行きます。その後ろを私とエリ、エンダ―とフィーアがその次に続きます。

 ドラゴンの巨体なのに足音がしないのは、さて、どういう仕組みなのでしょう。




 始祖が降り立った地は、風光明美な森の中、開けた平原でした。

 遠くに高い峰が見えますが、人工物などは見えません。てっきり城か何か、始祖パオレの拠点がどこかにあると思ったのですが、目的地はそこではないようでした。


 始祖が進んだのは、石の柱が円上に並ぶ、何かの儀式場のようなところでした。

 遺跡か何かなのかはわかりませんが、特に魔法がかかっても見えない、いたってふつうの巨石群です。


「えーっとこれってたしか、ストーンヘンジって言ったんだっけ? まあそんな感じのやつで、これが門。異空間に通じてて、極夜の国にも繋がってるよ! もちろん、アマデウス城にもね」


 始祖パオレはさっと説明してくれると、そのまま円状列石の中に入って行きます。

 どういう魔法か、はたまた装置かと私が首を捻っておりますと、エンダ―とフィーアの二頭も中に入って来ました。

 瞬間、視界が真っ白に染まり、すこしだけ眩暈のようなものを感じます。エリが息を呑む気配がしましたので、咄嗟に彼女の肩を抱いた瞬間には、目の前に煌びやかな城の大広間が広がっておりました。


 ……アマデウス城の大広間です。夜会の時に開放したあの場所ですね。

 魔法を発動させたとか、気脈に潜ったといった感じでもなく、文字どおり一瞬の転移でした。荒野にある転移装置に似ておりますね。

 エリも目をぱちくりしておりましたが、見たことのある場所に戻ってほっとしたのでしょう。息をついて、私を困ったように見上げるのでした。


「……んじゃあ、案内してくれるかな? 中のことは知ってるけど!」


 始祖の声が聞こえてぎょっとして振り向くと、いつの間に手にしたのか、銀の格子の鳥籠を手に……中に金と黒のカナリアのような鳥がいて、なんとなくそれがエンダ―とフィーアなのだと悟りました。とにかく、籠を手に、始祖パオレが晴れやかに笑っておられたのでした。


「……えっと、始祖?」

「あ、それと町を案内してくれるって言ったしね! さっそく頼もうかな! ああー、でも領主は忙しいかー。んー……じゃ、僕ひとりで勝手に見て回るから!」


 口を挟む隙もありません。

 食べるものは鳥ので大丈夫だから! と鳥籠をエリに押し付け、始祖が飛ぶように駆け出して行きました。息をつく間もありません。閃光のようです。

 それでも思わず手を伸ばしたのですが、捕まるはずもありません。この世に始祖を止められる存在なんて、ただおひとりです。


 文字通り瞬く間に見えなくなってしまった始祖の後姿を見送って、私は思わず固まりました。

 ……どうしましょう。これって拙い……いえ、別に拙くないでしょうか。

 貴い身分の方に対する歓迎を受けても頂けないようですが、このままではいけない気もいたします。

 カラスの始祖との邂逅と来訪を、双子にも伝えねばならないでしょう。けれど当人はとっくに気配も悟らせないほど、遠くへ行ってしまったようです。さしもの双子でも捕まえられないでしょうし、お手上げです。


 嵐の過ぎ去った後に、呆然と立ち尽くす私とエリ。私たちが顔を見合わせると、金と黒のカナリアが、美しい声で高らかに鳴きました。

 ……私はたいへんな吸血鬼を、アマデウス領……いえ、世界に解き放ってしまったのかもしれません。



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