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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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8.困りました。



 残る苦行は、ふたつだけ。

 ひとつは人狼に噛まれること。そしてもうひとつは、血を断つことです。


 前者もやりたくはありませんが、フレッドに協力してもらえれば、致命傷寸前で止めてもらえるでしょう。ああ、気が進みません。

 後者はもっとやりたくありませんし、より気が進みません。


 何故ならば、血を飲まないこと、それは吸血鬼にとって死ぬほどの苦痛だからです。


 人と違い、吸血鬼は飢えても死ぬことはありません。人のように飢えて力尽きることなく、死の寸前の耐え難き苦痛が、再び血を啜るその瞬間まで、永劫続くのです。

 ……いくら何でも、ぞっとしません。いつまで耐えれば良いかもわかりませんし。


 吸血鬼となってすぐの者が、血を忌避してそれを啜るのを嫌い、飢えに飢え、渇きに渇いて、結果理性を失った化け物となってしまった例もあるのです。死んで逃げることのできない苦痛が永遠に続くことが、一体どれほどの苦痛なのか、どれほどその者を絶望させるか、想像するのもつらいです。


 ですが、人となるためには避けては通れぬ道。

 私は意を決して、まずは軽いほうから、とフレッドへお願いしました。


「すみませんが、残る弱点である人狼に傷つけられる苦行をしたいと思います。フレッドにお願いしたいのですが、私を噛んでもらえませんか?」

「……こう真正面から吸血鬼に、自分を噛めって言われると、噛みたくなくなるな」

「それは何となくわかりますけど、私だって好きでお願いしている訳ではありません」


 吸血鬼ハンターにあるまじき発言です。まあ、その気持ちはわかりますが。

 女性ならともかく、同性に進んで噛みつきたいという者はそういないでしょう。私だってそうです。そもそも噛むという行為自体、特殊な嗜好や性癖でもない限り、人はそうそうしませんし。

 それにしてもフレッドはつれないです。私がこうも懸命にお願いしているのに、そんな嫌そうな顔をするだなんて、何という薄情者なのでしょうか。

 私がにっこり笑って促しますと、彼は厭々というように首を振りました。


「なんていうか、嫌なもんは嫌なんだよ。吸血鬼だってそうだろう? 命のやり取りでもねえのに、こう、なんていうの?」

「……ああ、ええ、それは何となくはわかるのですけれどね。改めて意識してやろうとすると、ふだん何となくできることも、あれ、いつもはどんな感じでどうやったっけ? と思うことがありますし」

「あー、それそれ。たぶんそれ」


 フレッドがうんうんと首を縦に振っています。何だか適当に聞こえるのは気のせいでしょうか。

 それにしても、どうしましょう。この友人は思ったよりも非協力的でした。

 宿敵である吸血鬼が倒さずとも減るかもしれないというのに、それでも吸血鬼ハンターでしょうか。


「っつーか、こんな真っ昼間の人気のある公園で、んなこと頼むんじゃねえ。まあ、宿の部屋でだって嫌だけどよ」

「それもそうですね。ですがまあ、ひとまず帰りましょうか」


 私が力なく立ち上がると、フレッドも大きくため息をついて続きました。

 とぼとぼと慣れない明るい日中、宿への道を辿りながら、私は懸命に考えます。


 ……人狼が吸血鬼にとって天敵であるというのは、彼らの強さ自体がほとんどの理由でしょう。先ほど宿でフレッドが変身したとおり、彼らは人の体に狼の顔、鋭い牙と爪を持つ、半人半獣の姿になれるのです。

 人の知恵と戦う技術、そして野生の武器を備えた彼らは、恐るべき強者たちです。その牙は獲物を易々と食い千切り、爪は掴むものを抉り、その膂力で粉砕します。人にあらざる力と敏捷性を兼ね揃え、反射神経や動体視力にももちろん優れています。また、その毛皮は生半な武器を跳ね返し、傷つけられるものはそういないでしょう。


 つまりは純然たる強さを持つから、吸血鬼の天敵、弱点とも言われているのです。

 噛んでもらっても痛いだけでしょうね。

 私は少々気落ちしながら、それでも協力してくれたフレッドにお礼を言いました。


「……とにかく、ありがとうございます、フレッド。私事に付き合っていただいて感謝します。無意味な検証にならないと良いのですが……」


 私がずいぶんと憂鬱そうに見えたのか、彼はすこしばかり慌てたようです。


「ま、まあ、あれだな。人になろうってのはいいことだと思うぞ。いちおう応援してやる。ジジイにも聞いといてやるよ、そういうホラ話を聞かなかったかってな」

「いや、ホラでない話をお願いしたいのですが」

「……だってなあ……そう簡単に吸血鬼が人に戻れるなんて、そんな方法があるってんなら、俺たちハンターは食いっぱぐれちまうだろ? でもそんな話、どっちも聞いたことがねえよ」


 フレッドは何だか哀れむような、不憫な者を見るような目をしています。

 ……まあ確かに、吸血鬼ハンターであれば、そういった話により詳しくなるでしょう。ハンターとしての仕事がなくなるのは困るでしょうけれど、彼らのそもそもの目的は、吸血鬼の殲滅です。完全には無理だとしても、吸血鬼の脅威をすこしでも減らせるのであれば、彼らはきっと飛びつくことでしょう。

 強者揃いの吸血鬼ハンターではありますが、彼らの手にさえ負えない、恐るべき吸血鬼もまた、多いのです。


 フレッドに八つ当たりしても仕方ないですし、彼には迷惑なだけですが、私は思わず恨めしい目つきで彼を見てしまいました。


「……とにかく、私は人になる方法を探さないといけないのです。そんな方法などないのだとしても、そうとはっきりわかるまで努力しませんと、彼女に合わせる顔がありません」

「お、おう。悪かった。……しっかし、あんたをそこまでにする彼女さんを、是非見てみたいもんだな。まあ、なにかわかったら知らせるからよ。頑張れ」


 またな、とフレッドは気を悪くする事無く、にやにやと笑って私を見送ったのでした。

 どうにも腑に落ちませんが、気にしないことにしましょう。

 ……フレッドも結構、女性関係で大騒ぎしている気がするのですが、突っ込むのは止めておきます。どう転んでも不毛なことになりそうですし。


 私は目論見が外れて落ち込みながら、溜息をついて宿に戻りました。




 宿の一室で、私は悶々と思考を巡らせます。

 ……私が吸血鬼になったばかりの頃は、生き血を啜ることを怖れていました。

 いきなり人に噛みついて血を啜れと言われて、あっさりそれを受け入れられる者のほうが少ないでしょう。望んで吸血鬼になった者だとしても、そのおぞましい行為に眉を顰める者が多いのです。

 ですが、生き血を飲まねば命は繋げません。他のどんなものを口にしても、吸血鬼の体は受け付けないのですから。


 たとえば、私は先日葡萄酒を口にしましたが、アルコールや水などの液体であれば、飲んでもぎりぎり大丈夫ではあるようです。もちろん、飢えや渇きは抑えられませんし、誤魔化すこともできません。

 ふつうの食べ物……固形物を食べても、吸血鬼はそれを消化吸収できません。無理に食べても胃に溜まって、それ以上はどうしようもなくなるのです。そのままでは胃の中で腐らせてしまうので、どこかで吐き出さねばなりません。

 私も人に紛れた時、勧められて食べ物を口にしたことがありますが、大変な目に合いました。以来、極力時と場所が許す限り、食べ物を口にしないと決めています。

 味を楽しむためだけに食べるのだとしても、結局吐き出してしまうのですから、食材や作ってくれた人に申し訳ありません。

 もっとも、そういう嗜好のためだけに、進んで料理を食べる変わった吸血鬼もいるようですが。吐くのはつらくないのでしょうか。


 ……とにかく、吸血鬼から人へなるために、苦行をこなさなければなりません。

 ですが、血を飲まないという修行は、さすがに気乗りしないのです。私も一度限界まで耐え、そして危うく我を見失いかけたのですから。

 ……ほんとうに、耐えがたい苦痛でした。


 あの時何を思ったのか、渇きに苦しむ私の首筋に、ミラが噛みついて血を啜りました。

 吸血鬼は吸血鬼の血によっては渇きが癒えません。なかなか人を襲えない私をもどかしく思い、血を啜って更に追いつめてやろうとしたのか、それともそれが彼女の親愛の表現だったのか、それすら定かではありませんでした。

 とにかく、ミラが私の血を口にしたため、そこではじめて私が”真血”持ちであると彼女に知れたのです。


 それを知った時の、彼女の表情が忘れられません。

 とにかく、私が真血であるとわかって以降、私を決して化け物にすまいとした彼女の行いによって、私は血を啜ることを受け入れ、吸血鬼として歩み始めたのです。

 ……それを今更どうこう言うつもりもありません。今ではすっかり、人を襲って血を啜る日々にも慣れてしまいましたし、何も言えないのです。


 しかしそれを思い起こすと、苦痛のあまりに私が何をしでかしてしまうか、そればかりが気がかりなのです。その時もほとんど限界まで血を否定しましたが、私が人に戻ることはなかったのですし、無意味な行いだと思います。

 ……他にも何か弱点がないか、私はいろいろと考えてみました。




 眉唾な話を含め、吸血鬼の逸話は何と多いことでしょうか。


 有名どころといえば、吸血鬼は鏡に映らないと聞いたことがあると思います。

 これはほんとうです。はじめて鏡を前に、自分が移らず背後の景色のみが映し出されるのを目にした時は、ああ、私は吸血鬼となってしまったのだと思い知りました。

 吸血鬼は体温のない肉体を持ち、影があります。実体であるのは間違いありませんが、眼球以外の反射物に映らないというその訳のわからない性質の原理はわかりません。いちおう魔法がありますので、頑張れば意図的に自分の姿を映すことはできます。

 これも、人の街に紛れているときは気を使わなければなりません。一発で吸血鬼とばれてしまいますので。

 しかしこれは弱点とは申せません。性質でしょうし、これは苦行にはなり得ません。ただ鏡に映らないだけで、苦痛も何もないのですから。


 細かいものが撒かれると、全部拾わないと気が済まないという、よくわからない話もあります。これも弱点というよりは、習性でしょうか。

 小銭がばら撒かれたら、思わず拾ってしまう人がいるでしょう。私も貧民出身でしたから、その気持ちはわかります。

 けれど、絶対にそれを全部拾わなければならないといった、強迫観念に襲われたことはありません。いちおう試しに、室内でこっそりと、小銭をばら撒いてみました。

 ばら撒かれた音が喧しいだけで、私はそれを虚しく眺めて見たり、拾い集めてみましたが、何ということもありません。検証になったのかはわかりませんが、何とも言えない行為でした。


 他には、吸血鬼は住人に招かれないと人の家に入れない、という話もあります。

 これもどうやらほんとうのようです。招かれていない家に押し入ったことがないのでわかりませんが、空き家や廃墟ではない、住人のいる家には吸血鬼は無断で入れないようです。

 意味不明ですよね。そこらの野良猫でもできることが、怪物と呼ばれる吸血鬼にできないのですから。

 ですがこれもまあ、ほとんど意味を無しません。吸血鬼のお得意、暗示や催眠術でもかけてお願いすれば良いのです。


 ……ちなみに、無理に入ろうとすると苦しいのかもしれない、と私はすこしばかり期待して、空き巣の真似事をしてみました。

 問題なく入れました。


 無念です。そして困りました。


 これはもう、まったく別の方法を探すしかないのでしょうか?




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