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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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85.ここはいったい何処ですか。


「エリ、気をつけて」

「う、うん」


 大岩の下で両手を広げる私に向かって、エリが恐々とうなずきました。

 数瞬躊躇ったあと、えいとばかりに思い切って飛び降りる彼女を軽く受け止めて、そっと下ろします。

 エリはほっと大きく息をついてから、またも胡散臭そうに辺りを見回しました。


「ここ、ほんとうにどこなのよ……。ゆめまぼろし、って感じじゃないわよね」

「頬をつねっても痛かったですしね」


 エリにつねり上げられた頬をさすって見せると、エリはすこしむっとしたような、申し訳なさそうな、複雑そうな表情を浮かべました。


「し、仕方ないじゃない! いきなりでびっくりしたんだから」

「私もです。しかし、アマデウス城にいろいろな場所へ繋がる“門”があるのはわかっていましたが、ここは……」


 私もエリと同様、あらためて辺りを見回しました。

 清流のせせらぎ、梢を揺らす風、柔らかく降り注ぐ太陽の陽射し。

 吸血鬼にはまったく似つかわしくない、相変わらずの美しい自然の風景が、一帯に広がっています。

 ……ほんとうに、どこなのでしょうね? ここ。




 エリとふたり、見知らぬ場所に飛ばされた私は、彼女よりは早く正気に戻ったものの、すっかり困惑しておりました。

 こんな事態になったのは、あの時、あの本に私の血がかかってしまったからに思えてなりませんでしたが、その本が見当たりません。

 たぶん元の場所に置き去りにされていて、私たちふたりだけが別空間に移動してしまったと思われます。


 異空間に繋がることは、そう難しくはありません。魔法でもそういった系統のものがありますし、魔法技術で様々な場所に活用されています。

 エリたちと使った馬車だって、車内が異様に広かったわけですが、あれも異空間、あるいは亜空間魔法の一種です。


 それにアマデウス城には、いっさいの立ち入りを禁ずる場所があります。

 そこには文字どおり扉一枚を隔てて、どこへとも知れぬ場所に続いている部屋があるのですが、以前ヒューゴたち学園の子どもが迷い込んでしまう事件がありましたね。封印や管理の仕方に問題が云々と、いろいろと反省すべきことが浮き彫りになりました。


 それがきっかけで、私はその区域の把握をしようと考えておりました。

 ジュリエットに埋蔵品の管理を任せた折、立ち入り禁止であった宝物庫周辺の管理をある程度は任せておりましたが、彼女ひとりで追いつくはずがございません。それに、こういった空間の管理はあまりに特異で、彼女や私だけでは手に余ります。

 城の禁域には、空間を捻じ曲げられ、重力が失われていたり、鏡の世界であったり、あるいは魔物が跋扈する荒野の真ん中に出てしまうような、そんな扉さえあるのですから。


 今、私とエリの身の上に起こっている現象も、それと同じだとは思うのです。きっかけ……というより入口は扉ではなく、あの“本”であったようですが。

 ……始祖パオレの本は、読むものではなく、こうしてどこかへ移動するための“鍵”であったようです。


「ねえ。アベルは吸血鬼だから、影に潜って移動したりできるのよね? それで調べられない?」

「ええ、できますが……」


 エリの提案に、私は微かに眉を顰めました。

 吸血鬼は神出鬼没です。それは体を霧に変えたり、動物に変身して人の入り込めない場所に潜り込んだり、はたまた魔法を使って移動をしたりできるためです。私はカラスに変身するのが好きで、よく空を飛んでおりますが。

 それら数ある移動術のひとつに遁行術があるわけですが、それは文字どおり体を溶かして、世界の気脈に潜り込んで移動するものです。

 自分の身ひとつであれば、それはもう、かなりの速度で大陸間くらいは移動できますから、ほとんど瞬間移動ですね。


 その時に、ある程度の場所の把握をすることができます。でないと気脈の中で方向が定められませんからね。

 もちろん詳細には無理なのですが、そこが極夜の国か否か、太陽が出ているか出ていないかくらいはすぐわかりますし、術の錬度が上がれば、自分がいる座標が地上のどのあたりかまで、細かくわかったりもするのです。

 私はまだそこまでは無理ですが、すくなくとも、元いた場所……アマデウス城からどのくらい離れた場所にいるのかどうか、それくらいはわかります。

 なのでさきほど一瞬だけ、遁行術を使って潜ってみたのですが……。


「……ここ、たぶん城の中です」

「えっ」


 エリがきょとんとしておりますが、そうとしか申せません。

 気脈に触れた限り、元いたアマデウスの領地、その城のある場所からほとんど動いていないようなのです。

 つまりはおそらく、城の立ち入り禁止区域の中にある異空間に繋がる扉を通って、何処かに出てしまったのと同じはずです。


 ですがそこは、理不尽な理論がまかり通る吸血鬼の城。その異空間。

 ちょっと歩けば元に戻れるような場所ではありませんし、はっきり言ってたぶんここ、果てがないです。滅茶苦茶ですよね。

 果てのない異空間を当てもなく、ただうろついても意味はないでしょう。


 そこでさらに、問題があります。

 ここに来るきっかけとなった本は“鍵”のはずですが、今は手元にないので、それを使って元いた場所に戻れません。

 戻るためには、扉と言う名の門か鍵、あるいはそれに相当するものが必要なはずです。無知なもので、詳しくはわかりません。

 とにかくそういうものが見当たらないので、戻る手立てがないのです。


 とはいえまったくのお手上げというわけでもありません。異空間と言えども、気脈は通じておりますから、必ず外へ繋がる接点があるはずです。

 特異な空間ですから、魔法で結界のようなものに守られているようですが、私が遁行術を使って全力で移動すれば、ぎりぎり異空間の壁を突破することは、何とか可能だとは思うのです。

 ですがもちろん、遁行術に人は連れて行けません。姿形を変える術を持たない者は、気脈に潜ることが出来ないからです。


 ここはいかにも清涼で美しい景色ばかりですが、危険がまったくないとも限りませんので、エリを置き去りにする選択はあり得ません。

 他の手段としましては転移魔法もありますが、そちらは遁行術より苦手ですし、これもまた人が一緒だと、短距離はまだしも長距離はとても無理です。

 エリやフレッドたちをアマデウス領まで連れて帰った時も、そのあたりが障害となったのですから。


「……とにかく、ある程度周囲のようすを探ってみましょう。危険があるようでしたら移動したほうが良いでしょうし。長期戦になるかもしれませんから、休める場所も確保したいですね」

「う、うん、わかった」


 私の声に僅かに緊張したものが混じっていることに気づいたのか、エリもやや硬くうなずき返しました。

 いけませんね。エリを怖がらせないよう気をつけないと。


 とにかく私はエリの手をしっかりと握り、エリもまた私の手をしっかりと握り返して、風光明美な異空間の中を歩き出しました。

 ……こんな場合でなければ、じっくりと風景を楽しんで観光できそうなくらい、美しい場所なのですが。

 私とエリはゆっくりと、小川に沿って進んで行きました。




 変化はすぐ現れました。

 果てのない異空間ですから、数日歩き続けても、風景に何の変化もないことだってあり得ます。ですが幸い、今回の遭難はそんなことにならずに済んだようです。


 地響きのような音が聞こえたので、エリと顔を見合わせ、慎重にそちらに向かいました。

 ……切り立った崖、岩がむき出しで、そこに苔や背の低い植物が生い茂る、すこし開けた空間に出ました。


 滝壷です。

 前方には、高所から圧倒的な水量が降り注ぐ大きな滝。それが怒涛の勢いで流れ込む円形の池。そこから流れ出る奔流と、私たちが辿って来た小川に流れる水流がありました。

 これもまた圧巻で、美しい風景です。滝の上部や滝つぼの周辺には巨大な樹木が迫り、ちょっとした隠れ家的な雰囲気も漂っています。

 ここでキャンプをしたら、楽しそうですね。釣りもできそうですし、池は深く泳ぐのも楽しそうです。


 エリもそう思ったのか、その顔に笑顔を浮かべておりました。

 ですが私は眉を顰めておりました。滝壷の、大小さまざまな石が転がる水辺に、ひとつの影を見つけたからです。


 男性のようでしたが、その姿は奇異でした。というか、ほとんど裸です。

 いちおう素裸ではありません。上半身は剥き出しですが、下にはきちんと、水泳着と呼ばれるいわゆる海水パンツを履いています。

 日光浴をしていたのでしょうか。いわゆるビーチチェアと呼ばれるベッドのような椅子に横たわり、力を抜いてリラックスしていたようですね。


 ……こんな異空間で日光浴をしている者が、只者であるはずがございません。

 吸血鬼である私にはわかります。この男性も吸血鬼です。

 そして、日光を浴びても平気である、デイウォーカーに違いありませんが……何か、こう、違和感を覚えました。


 陽の光を浴びても平然としていられる吸血鬼は、あまりおりません。

 どんな吸血鬼であれ、加齢に伴って弱点に強くなりますが、まったく平気にはならないといいます。

 ですので、私がお会いした最高位の吸血鬼……フランチェスカ公やプリムローズであっても、火傷を負わずとも多少の日光への嫌悪感や忌避感を覚えるでしょう。


 ですが、目の前の吸血鬼はどうしたことか、いかにも気持ち良さそうに、ほとんど裸になって日に当たっているのです。

 はっきり言って異常です。まったくもって吸血鬼らしくありません。

 ……私が人のことを言えるかは、さておいて。


「……あれ」


 風景に気を取られていたエリも、かの吸血鬼の存在に気づいたようです。

 目をぱちくりさせてから、すこし顔を赤くしておりますが、異性の剥き出しの肌に緊張してしまうところがまた可愛いですよね!

 ……とにかく。

 どうやら、かの吸血鬼のほうも、私たちの存在に気づいたようです。




「……おや?」


 その吸血鬼は私とエリを見て、何とも間の抜けた声をあげました。

 ……何だか親しみが持てますね。人のことは言えないのかもしれませんが。


 吸血鬼の年齢は見かけで判断できませんが、すくなくとも外見は、三十代半ばくらいの男性に見えます。

 白金色の短髪に、色の薄い肌と真っ赤な瞳。掘りの深い顔立ちで、吸血鬼にありがちな、いたって平凡な美形です。何だか変な言い回しですが。

 とにかく、凡庸な私から見れば極上の美形ですが、吸血鬼としてはよくある顔です。


 いや、その男性は美しいには美しいのですが、老若男女、ありとあらゆる美形を見て来た私としては、歯ぎしりするほど悔しい美貌、とまではいきません。

 まあ、全員に悔しがっていたら、今頃私の歯は擦り減ってなくなっていますから。牙がなくなってしまいましたら血を吸えません。重大事です。

 ……とにかく、エリがその男性の顔を見て、さらにぽっと顔を赤くしたのが気にならないわけはないのです。ええ。


 ……アマデウス城には、男性の吸血鬼って私しかいないのですよね。そもそも吸血鬼が、私と双子とジュリエットしかおりませんし。

 美形揃いの吸血鬼の男性を前に、物慣れぬエリが思わず頬を赤らめてしまうのも、致し方ないことなのです……。


 私はちょっと落ち込みながら、エリの手をぐっと握って、その絶賛日光浴中の吸血鬼に近寄りました。

 ……しかしほんとに、違和感だらけですね。

 私は話をするために夜、それも寝る前にエリの部屋を訪ねたので、仕事着という名の黒い礼服姿。

 そしてエリは夜着でこそないものの、いたって簡素な部屋着姿です。白い薄物なので、私はちょっとひやひやしてます。


 ……日光がさんさんと照らす中、そんな私たちと相対する、海パン姿の美形中年吸血鬼。

 いったいどんな状況ですか。


「やあ! こんなところに客人があるなんて、何年ぶりだろう!」


 このような状況、空間であるのに、かの吸血鬼はいたって明るく朗らかに、私たちに声をかけてくれました。

 やたらと友好的です。にこにこと笑うその顔からは、黒いものはいっさい感じ取れません。


 それにすこしほっとして、私はエリと顔を見合わせてそちらに近寄りました。

 近くまで来ても、椅子に寝そべりながら片手をあげ、にぱっと笑うその吸血鬼の顔は、やはり私の知るものではありません。

 ですが、吸血鬼であればわかることがひとつあります。

 この人はカラスの血族の方ですね。弱点に強い血族の、それも長寿者であれば、日光が平気なのもうなずけます。

 とはいえ、わざわざ裸に近い姿で日光浴するのは、ちょっとアレですが。


「君たちはどうしたんだい? 散歩? 観光? それとも迷子かな?」


 にこにこと笑いかけてくれるので、私もちょっと力を抜いたのですが、やはりどこか、違和感を覚えます。

 いえ、その姿じゃないですよ。見慣れはしませんが、それ以外の何かのことが気になるのです。


「えっと、迷子といいますか、思いっきり遭難しています」

「遭難! そりゃまた思い切ったねえ! そういう遊びでも流行ってるの?」


 私の言葉にも、にこにこ笑って答えるばかり。私の違和感はますます強くなります。


 ……吸血鬼は、その血によって繋がりを持ちます。それを大きくは種族、血族、そして眷属や系譜と言い習わします。

 その繋がりはどんな幼い吸血鬼でもわかるものですが、ただ見ただけでわかるのは、ごく狭い範囲の近親者くらいです。

 見ただけでその血族が同じ血族か否かはわかっても、違う血族の者がどの血族なのかはわかりません。私もフランチェスカ公には親しみを感じて同族とわかりましたが、プリムローズとはそれと違うとしかわかりませんでしたし。

 なので、目の前の海パン男性吸血鬼も、同じカラスの者とわかったのですが……。


 おかしいです。このひと、私とけっこう近い吸血鬼だと感じ取れます。


 私は私の系譜の者を持ちませんし、双子も同様です。ミラーカは私たち三人しか、系譜の者を生み出しておりません。

 なので、繋がりがあるとしたらその上、始祖との繋がりとなるはずです。

 ミラーカは始祖の眷属ですから、目の前の吸血鬼も、同じく始祖の眷属かもと思ったのですが。


 男性吸血鬼は海パン姿で、にこやかに自己紹介してくれました。


「僕はパオレ! カラスの血族の始祖だよ! 君は僕の孫みたいだけど、元気してた!?」


 ……この時の私の驚きを、深く理解してくれる者はまずいないでしょう。

 エリは良くわかっていないようですし、わからなくていいです。


 とにかく、我らがカラスの血族の偉大なる吸血鬼、始祖パオレとの邂逅は、そんな違和感だらけの中で行われたのでした。



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