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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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84.仲直りしたいのです。



 地平線に月が沈み、静かな星夜が巡って来ました。

 行政区での業務時間も終了し、城は城に住む者たちのみが動き回ります。

 それもやがて静まって行き、星夜も更け、みんなが寝静まる頃……。


 私はエリの部屋の前に立っておりました。

 フレッドにもヨハンにも、マリアにも相談に乗ってもらいました。

 イザベラにはたぶん、間接的にけしかけられています。かなり強烈な視線を貰いましたから。

 みんなの言いたいことも、私の思いも一緒です。


 いい加減、エリと仲直りをしましょう、と。


 正確にいえば、いわゆる痴話喧嘩ともすこし違う訳ですが……。

 あれ以来、硬直してしまったエリの態度とふたりの関係を、何とかしたいのは事実です。




「……エリ? いますか?」


 なので意を決して、私はこうしてエリの部屋に、おとないを入れたのですが……。

 反応がなかなかありません。私はもう一度扉をノックし、声をかけました。

 城の壁は厚く、扉も魔法がかけられていなかったら、人がひとりでは到底開けられないほど重いものです。

 ですが、全神経を集中させれば、その向こうの僅かな音も、吸血鬼の耳に拾うことが出来ました。


 微かな音を立てて扉が開き、エリの可愛らしい顔が間から覗きます。

 ……ですがその表情はどこか硬く、まだ彼女が私に対して、高い“壁”を作ったままだということがわかります。


「……今、お時間をいただいても良いですか? 中に入っても?」


 僅かな惟る間があったようですが、エリはやがてこくんとうなずき、扉を広く開けてくれました。

 ……先ほどよりも、よりいっそう硬い態度に、私は怖くさえなって来ました。

 ですが、ここで挫けていられません。ちゃんとエリに私の気持ちを伝え、彼女の悩みに対して謝罪せねばなりません。

 ……私の考えが合っていたらいいのですが。見当違いなことを言ってしまえば、エリはますます態度を硬くしてしまうでしょう。


 再び意を決して、私はエリの私室に踏み込んだのでした。




 かちかちと、小洒落た壁掛け時計が音を立てています。

 エリの私室は女の人らしい、それでいて落ち着いたもので統一されておりました。


 以前は城のどの居室も、似たような調度品ばかりで統一感ばかりがあったのですが、今ではすっかり見違えています。

 きっと、エリはセンスも良いのでしょうね。

 ともすればおどろおどろしくなりかねない造りの城と、絶妙に一致した怖くて可愛らしい雰囲気になっておりました。


 部屋に通され、広い居間にしつらえたテーブルの席に付き、私はエリと話をしました。

 とはいっても、いきなり本題に入る勇気はなかったので、ここ数日の出来事などを簡単に話しただけです。

 フレッドがヒューゴとユリウスに振り回されている話には、エリも口元をほころばせておりました。

 さすが親友、ありがとうございます。


 ですがいよいよ本題に入るときには、私は断頭台の前に進む罪人のような気持ちで、手に汗握り、額には脂汗が浮かんでおりました。


「……エリ、ごめんなさい。あなたの気持ちを突き放すようなことを言ってしまって」


 私の声に、彼女は顔を伏せさせてしまいました。

 ごくりと唾を呑み込んで、私はせいいっぱい気持ちを伝えます。


「誓いがどうとか、式がどうとか、そういう話ではありませんでした。それより何より、あなたの気持ちを聞いていなかった。とにかく私は自分の気持ちを押し付けるばかりで、あなたがどう思うかをちゃんと考えていませんでした。ほんとうにすみません」


 エリは何も言いません。無表情と言う訳ではありませんが、勘定の読みとれない、いつもの彼女らしくない顔をしています。

 私は間違ったのかと胃が痛くなる思いを抱えましたが、エリがぽつりと呟きました。


「違うの」


 ゆっくりと首を横に振ります。違うとは、一体何を指しているのかを計りかねて、私も言葉を詰まらせました。

 そうこうしているうちに、エリは小さくひとつうなずいて、私を見ます。


「ねえ、アベル。あの本を貸してくれる? 始祖の本って言ってたやつ」


 私は戸惑いました。エリはあの本を気にかけていたのでしょうか。


 クリスから譲り受けた始祖パオレの本は、始祖の曰くを聞いた話からすればずっと大人しい、ごくごく普通の装丁でした。

 黒い革に金箔押しで、表紙にはカラスの始祖の紋章。大きさはかなり大きく、私でさえひとかかえもありますが、重さは見た目と比例せずに異様なほどに軽いのです。

 魔法が込められた魔道書のようですが、中身が読めませんので何の本かはわかりません。


 以前もエリが読ませて欲しいと言って、ちらりと見て読むのを諦めた代物ですが、その本が気になるのでしょうか。

 始祖縁の品とはいえ、とりあえず危険な魔法はかかっていないようですし、本が人を襲うものでもありません。

 なので私はいつものように、魔法でそれを取り出します。


 テーブルにそれを置くと、エリはそっとそれを手に取り、傍目には大きく重そうな表紙を開いて、中を見ました。

 本を掴む手が、ぷるぷると細かく震えています。


「……に、よ」

「……エリ?」


 私が彼女のようすを窺おうと身を乗り出しかけた瞬間、エリはきっとばかりに私を睨みつけて、ばたんと本を閉じました。


「なによ! この本、ぜんっぜん読めないじゃない! 吸血鬼ってこんな文字を使うの!?」

「エ、エリ?」


 私は驚きに目を見張りました。エリがこれほど激昂しているのははじめて見ます。

 ふだんもそう簡単に怒らない彼女です。拗ねたり、多少気が高ぶることくらいはありますが、それはごくふつうの年頃の女性にだってよくあることでしょう。


 なので、ほとんどはじめて感じたエリの真剣な怒りに、私は戸惑うばかりでした。

 エリは堰が切れたかのように言い募ります。


「何なの!? 吸血鬼ってわけわかんない! 知らないところで怪我してたり、知らない子と勝手に遠くに行ったり! あげくにわけわかんないこと言って、私には何が何だかわからないっていうのに、勝手に納得して決め付けて! わたしって、アベルの何なの!?」


 今までが嘘のような、感情の奔流です。

 エリが一体どんな悩みを溜め込んでいたのか、私は図り損ねてしまいましたが、それがどれだけ大きく彼女の中で育っていたのかも、わかっていなかったようです。


「……エリ」


 情けなくも、私の呆然とした呟きに、エリはますます頭に血を登らせたようでした。


「知らない! アベルなんか! もう出てってよ、あっちに行って!」


 激高したエリは、もはや見境がなくなっていたのでしょう。

 彼女の今までを見れば、これほど怒ったことなど生まれて初めてでしょうから、無理もありません。

 感情の濁流に呑まれた経験は、私にもあります。だから、それを思えば胸が酷く痛んで、エリを気遣う他出来ませんでした。


 だから咄嗟に、見かけの割に非常に軽いそれをエリが掴んだ時も、反応が遅れてしまったのです。


「もう、いいから放っといて! 出てって!」


 エリが本を投げつけます。

 私が自分を庇うように持ち上げた左手に、がつ、とその本が当たりました。ばさりと音を立てて、傍らの絨毯の上に転がります。

 もちろん意図的に怪我をさせてやろうと、投げつけたわけではないのでしょう。

 エリははっとした表情を浮かべ、その顔色をさっと青くさせました。


 彼女の意図にあったわけではありませんが、本の角が当たったか、はたまた紙の端で切ってしまったのか。

 私の左手のひらには、深く赤い一条の血の跡が残りました。




 吸血鬼は怪力で、それを振るう体も頑丈です。

 ふつうの紙であれば、人の皮膚を簡単に裂いてしまうこともある訳ですが、さすがに吸血鬼の肌は無理でしょう。


 けれど、始祖パオレの本は特殊な魔法がかかっているのか、はたまた特殊な材質で出来たものなのか。

 私の左手のひら、本が当たった部分には、思いのほか深い傷跡が残りました。

 ぱたた、と血が数滴、テーブルに落ちます。


「――ごめんなさい!」


 エリがテーブルを回って、私の側に立ちました。

 慌ててハンカチを取り出す彼女は、今にも泣きそうです。それにぎょっとして、私も慌ててエリを宥めにかかりました。


「だ、だいじょうぶですよ。ぼけっとしていた私も悪いので。エリは大丈夫ですか、あんな大きな本を投げて」

「何でわたしを心配するのよ! アベルって馬鹿じゃないの!」


 エリが怒ったように叫びましたが、疑問符なしの決定事項です。まあ、当たっておりますよね。

 焦りや怒りといった、久しぶりに見た彼女らしい表情に、私はほっと胸を撫で下ろしました。

 傷がどうこうよりもそちらのほうが、私にとってははるかに重大事です。


 エリは私の傷を丁寧に拭うと、もう一枚レースのハンカチを取り出して、遠慮なく手を包み込みました。

 ぎゅっと縛って止血すると、エリはそのまま急いで部屋の外に出ようとします。


「どちらに行くんですか?」

「どちらって、ちゃんと手当てしたほうがいいでしょう? ごめんなさい、物を投げつけて怪我をさせるなんて――」

「エリ、まずは落ち着いて」


 話しながら駆け出そうとする彼女を引きとめ、席に座らせました。


「私は吸血鬼ですから、このくらいの傷はなんてことないです。それに、ふつうの怪我の手当てなら、医師に診せるよりも吸血したほうが早いですしね」

「……あ、そ、そうね」


 バツが悪そうに俯くエリは、やはり以前の彼女らしい表情のままで、私は何よりそれが嬉しかったのです。

 こんな軽い怪我ひとつで元に戻るのであれば、何度だって本で手を切ってやりますよ。


 エリの手を無事な右手で包んで、彼女を落ち着かせます。

 自分のしでかしてしまったことに混乱して、やたらとあたふたしております。それが可愛くて、もう、どうしましょうね。

 そしてそんな私のようすに、エリは僅かに頬を赤く染めて、拗ねたようにそっぽを向くのです。


 ……良かった。いつものエリそのものです。

 私はほっと息をついて、ふと床に落ちた本に手を伸ばしました。


 ほっとしていたのはほんとうなのですが、私にもまだどこか、焦りや混乱があったのでしょう。

 左手を伸ばしてしまった私は、その指先から血が数滴、本にかかってしまうのをこの目で見ました。


「っと、いけない――」


 思わず手をひっこめた私は、エリの悲鳴に度肝を抜かれました。


「――っきゃあ!?」

「エリ!?」


 右手をぐっと握り締めてエリを手繰り寄せた私は、目を見開きました。




 さらさらと、小川の水が流れる音が聞こえます。

 剥き出しの岩に苔が生え、羊歯のような植物が芽を覗かせています。


 そして何より、まぶしいばかりの太陽光。

 日光が平気なデイウォーカーでもないふつうの吸血鬼でしたら、この時点でアウトでしたね。


「……え? え?」


 私もですが、エリもすっかり混乱した声を上げています。

 アマデウス城の一室、エリの私室から一転、どこか屋外の森の中。小川のせせらぎや苔蒸した岩、その向こうに見える木立の緑。

 今は星夜……人の国で言えば夜中の時間帯。だというのに、太陽が中天に輝き、さんさんと大地を照らしています。


 ……極夜の国の、静かで落ち着いた夜の色とは違う、鮮やかな昼。

 風光明美な大自然の真っただ中に、私とエリは着の身着のまま、ふたりでへたり込んでいたのです。



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