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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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83.ある女傑の激励

※第三者視点:マリア(アマデウス城 侍女長)



「旦那様。あれからいかがなされましたか?」

「いや仕事でもないプライベートの空間で、マリアにそんな言葉遣いをされると怖いのですが」


 吸血鬼の旦那様……アベルの坊やはぶるりと軽く身震いして、自分を抱きかかえるように腕を抑える。

 まったく、態度がなってない旦那様だね。まあ、あたしたちの町のぼんくら領主よりはずっとましだけど。


 あたしはにっと笑ってやって、グラスにワインを注いだ。

 もちろん坊やのグラスにも同じように注いでやる。

 お互いにグラスを持って軽く打ち合わせ、ゆっくりとそれを傾ける。


 ……ああ、美味いねえ。五臓六腑に沁み渡るよ。

 一日の締め、仕事にほど良く疲れた体に、一番よく効く薬だよ。


 見ればアベルの坊やも、あんまり美味しそうにじゃないけど、ぐっとグラスを煽っている。

 軟弱な坊やだけど、お酒はそこそこいけるようだ。あの人狼のフレッド坊やよりはずっとだね。

 まあ、あたしやビアンカほどの酒豪ってわけじゃあないから、あんまり付き合わせられないんだけどさ。




 極夜の国の月が沈んで、宵が過ぎた頃。数日に一回くらいの割合で、あたしは晩酌をする。

 あたしの相伴しょうばんに預かるのは、あたしの家族がほとんどだ。

 たまに同僚とも飲むけど、みんなあたしよりずっと若いからね。他の付き合いもあるし、余り都合が合わないのも仕方ない。

 あたしほどのめる奴が少ないってのもあるけど、まあここの人たちはみんなお上品なことだよ。


 アベルの坊やは相変わらず、心ここにあらずって顔して、味なんてしなさそうにグラスを傾けている。

 まったく、もったいないことをするもんだ。酒は娯楽、楽しむためのもんさね。

 あたしは坊やを鼻で笑って、ぐいっと酒を口に含んだ。

 ドン・ペリノンっていいワインなんだか、坊やと付き合ってると味が薄くなりそうだ。


 あたしと一緒によく飲むのは、人狼と妖精だ。

 まったく極夜の国だけあって、人外どもがわんさかいる。

 ま、みんないい子たちなんだけどもね。

 でもまあ、見てくれに騙されちゃいけない魔物もいるから、ちょっとばかり肝が冷えるよ。


 それでも、慣れればなんてこたぁない。みんな酒が大好きだ。

 酒好きは種族を超えるってね。




 あたしが認める酒豪のビアンカって娘は、白い人狼なんだか、口が利けない。

 というより、狼の顔のまんまなもんだから、グラスから酒を飲むのも大変だ。

 だから椀みたいな器が必要で、それをぐいぐいやるんだ。なかなかいい飲みっぷりだね。

 ……それにひっついて来るフレッドって坊やはだめだけどね。

 まだまだお子様舌だ。おとといおいで。


 スーって娘は妖精だ。子どもみたいな姿なんだけど、この子もたいそうな酒豪でおったまげたね。

 ……そういや、ワインを作る時に、樽の中にあるワインがいつの間にかこっそり減ることがあるそうなんだが、それを天使の取り分とか妖精の分け前とかいうそうだ。こういう子が飲んでいたんだね。

 このいい飲みっぷりを見れば、あちこちで作られている酒蔵に妖精が住みついてるって言われても、不思議じゃないさね。




 ま、ともかく、あたしの密かな楽しみに、たまに旦那様もいらっしゃる。

 領主だってのに気楽なもんさね。ま、あたしとしてはいつでも来いってなもんだけど。


 たまにいい酒と、動物や魚の血で作ったツマミも持ってきてくれる。

 これは人も食べられるらしいんだけど、まあまあとしか言えないね。吸血鬼だから味覚も違うんだろうし、仕方ないんだろうけどさ。

 いい酒が笑えるくらいそろっているし、そっちだけであたしとしては満足さ。


 ……でもこないだ、腐酒ってのと、ウナギの血で作ったゼリーを持ってきたもんだから、あやうく飲み食いしちまうところだった。

 毒があるんだから気を付けなよ、まったく。人が死ぬほどじゃないけどさ。


 そう怒ったら萎れてた。言い過ぎちまったかね。

 ……ガキは生意気なくらい、元気なほうがいいんだよ。坊や。




 さて、そんな晩酌の席だけど、旦那様は沈みっぱなしだ。

 だからせめて丁寧に扱ってやろうと思ったのに、怖いだなんて、なんて言い草だろうね。

 淑女に対して失礼だよ、まったく。

 というか、坊やのほうがずっと丁寧な話し方をしてるんだが、まあこれは癖なんだろう。

 そっちはほっといて、あたしも地でいかせてもらうさ。


 あたしが何故、こんな辛気臭い席にいるのかといえば、ここんとこ、旦那様……アベルの坊やがずっと、なっさけない顔ばかりしてたもんだから、ついつい誘っちまったのさ。

 どうせ、このお人の悩みごとなんて、あたしの孫娘……エリーゼのことなんだろうけどね。


 まったく、いい大人が小娘相手に右往左往、情けないったらありゃしない。

 まあ、それがアベルの坊やたる所以なんだろうけど。


 いろいろ言っては入るけども、まあ、あたしは結構、このへたれた坊やを気に入っている。

 吸血鬼だ何だ領主だなんだ、驚いたの何のって。考えるのが面倒くさいから、ふつうのお貴族様と同じようなもんだと考えてるし、当たらずとも遠からずだろう。化け物ではあるけどね。

 偉い人への対応なんて、難しく考えちゃいけないのさ。とにかくへりくだって謙って、嵐が過ぎるのを待つしかない。

 それが下々の者にできる、せいいっぱいのことさ。


 ……だけどまあ、まったく吸血鬼らしくない坊やだもんだから、あたしたちもほぐれるのが早く、すぐ気安くなっちまった。

 ヨハンもイザベラもまだまだだから、たまに言葉遣いが乱れる。そこんとこはこの坊やを見習うべきさね。


 まったく化け物らしくない。

 坊やは血が必要ってとこ以外は、人間とさして変わらないんじゃなかろうかね。




 あたしたち家族みんなで、こんな国……吸血鬼が人間を支配する恐ろしい国に来ちまった。

 故郷に砂をかけて逃げ出したようなもんだけど、ま、それも仕方ないさね。なるようにしかならないもんだよ。

 悔いも思い出もあるし、未練だって残ってる。でも、あたしにとっては家族の命のほうが大事だ。


 だからこうして、吸血鬼の国にいる。

 吸血鬼の国でのほうが安全だなんて、まったくあべこべだね。


 あの余命幾ばくもない町を見捨てて、こっちにやって来たんだ。せめてこっちで頑張ってやろうじゃないか。

 だからこうして、情けない坊やの尻拭いをするのも当然さ。いい女の使命さね。




「……面倒臭いったらありゃしないねえ。ずばっと行って押し倒しちまえがいいんだよ」

「孫娘に対してひどいでしょうそれは!?」


 ばんっ、とテーブルに両手をつくアベル坊や。揺れるじゃないか、やめるんだよ。

 ま、吸血鬼が力いっぱい叩いたら、こんなテーブルなんて粉々になっちまうから、手加減はしてるんだろうけどさ。


 ……というかこのテーブル、水晶なんてもんで出来てるんだよ。

 掃除するのだって手こずりそうな、おっそろしいくらい細かい彫刻と宝石も飾ってあって、黒い石材で囲ってる。

 あんまり馬鹿馬鹿しくて、笑いも出なかったくらいさ。ほんと、頭がおかしいくらい金のかかってるお城だね。


 ま、テーブルはびくともしなかったけど、上に置いた脆いグラスはかたかた揺れてる。

 坊やが慌てて押さえるのがおかしいったらないね。


「ふぇふぇふぇ、男なんてぐいぐい行くもんだよ。嫌よ嫌よも好きのうちってね」

「それ絶対誤解だと思います。嫌なものは嫌でしょう」


 坊やが珍しく、むっとした顔をしている。子どもらしい顔もできるじゃあないか。


 アベルの坊やは今年で三十なんだそうだ。人間だったらいい大人だけど、たしか吸血鬼になって十年くらいだってね。

 吸血鬼としてはまだまだひよっこ扱いらしいけど、さて、人間だった頃の二十年と、吸血鬼になってからの十年、足して考えても良いもんかね?

 ま、どっちにしろ、あたしにとってはガキんちょだよ。

 尻が青いったらないね。殻がついてるよ、ひよこちゃん。


 ……ただまあ、迷える子どもを導いてやるのも、年長者の仕事だろうね。




「……マリアは、神についてどう思っていますか?」


 坊やが腹をくくったのか、グラスを手の中で弄びながら口を開く。

 危ないからテーブルに置きなさいな。まったく、落ち着きのない領主様だね。


「宗教問答かい? 吸血鬼がやってどうするんだね」

「……そうではなく。えっと、婚姻とか挙式についての考え方は……」


 あたしは片方の眉を上げて見せる。乙女みたいな質問をする男だね。

 アベル坊やが慌てて、エリーゼと痴話げんかしたことを白状した。

 ま、ふつうの喧嘩じゃないとは思ってたけど。


「ふ~む、エリーゼがねえ……。ただ単に、挙式できないから嫌とかいう話じゃないと思うけど」

「それは、私もそう思います。ですがいちおう、みなさんの国での宗教観や考え方について、よく知った方がいいかと」


 坊やが難しい顔をしている。まあ、たしかにそういうのはややこしいさ。

 ひとつの考えを押し付けたり無視したりすると、こんがらがる。人間の中でもしち面倒くさい部分だからね。


 ……とはいっても、この国に神はない。吸血鬼に神はいない。

 代わりに真祖ってのがいて、吸血鬼はそれを拝んでいるそうだ。あたしたちにはいまいちぴんと来ないけど、まあ神様と似た存在なんだろう。

 お嬢様とアベルの坊や……旦那様は、どうやらそのあたりで引っ掛かっているようだ。

 神にも真祖にも誓えないし、挙式もできない。エリーゼは奥様じゃなくて、お嬢様のままだ。




 人とか吸血鬼とか、神とか真祖とか面倒くさいが、ま、それも色恋沙汰の面白いところでもあるさ。

 だけどうじうじし過ぎだから、きっぱり言ってやるよ。


「大したことないさね。神だろうが真祖だろうが、勝手に誓ってしまえばいい。乙女の旬は短いんだ、ぐじぐじしてると腐っちまうよ」

「マリアもそう言いますか……。エリは腐りませんよ」

「気持ちの問題さね」


 鼻で笑ってやると、ぐっと息を飲む旦那様。たまに押しが強いのに、基本は気弱なのかねえ。

 ま、そういう頑固さや柔軟さは嫌いじゃないさ。

 優男でも、芯がある男はいい男ってね。


「いいかい? あたしたちはもう呑み込んじまってる。神だの真祖だのどうでもいい、この国で生きて行くってね。ここは吸血鬼の国なんだから、郷に入れば郷に従えってことさ。そうじゃなきゃ生きていけないだろう? あたしたちは親切や善意の上に胡坐をかいて、のうのうとしていられるほど恥知らずじゃないよ」

「……親切と善意、ですか」


 旦那様がちょっとばかり俯いてる。

 あ、こりゃだめだ。

 この気弱でお人よしな吸血鬼は、そこんとこからつまづいているんだね。


「……旦那様。あたしたちは感謝してるよ。ああだこうだ悩むのは勝手だけど、あんまりあたしたちを舐めるんじゃあないよ」


 眉を潜めて睨んでやると、坊やはちょっとだけ肩を竦めそうになったけど、ぐっと堪えてこちらを見返して来た。

 そうそう、その調子だよ。


「あたしたちは望んでこの国に来た。そりゃあ成り行きとかがあったわけだけど、基本は全部、あたしたちの意思だ」


 エリーゼお嬢様が吸血鬼に襲われて、庇ったあたしたちにも堕落の烙印が押しつけられた。

 あんな田舎町のことだ。噂は一瞬で広がったことだろう。

 あそこのご領主も、口に出すのも汚らわしいゲス男も、たいそう頭がアレだったから、もうあたしたちの居場所なんてのはなかった。


 ……何の力もお金もない、ただの平民が疑いをかけられて、逃げ出してまともに生きられるともお思いかね?

 まともに職につけるなんてあり得ない。あの町の外に出たって、噂は千里を駆けるもんだ。ことに吸血鬼のことに関しちゃあね。

 あたしには他に血縁がいない。息子夫婦は流行り病で死んじまったし、ヨハンとイザベラ、そしてお嬢様……エリーゼの他に家族はない。


 何の伝手もなく、知り合いもないあたしたちが追い出されたとして、待っているのは野垂れ死にだ。

 吸血鬼騒ぎがなくったって、まっとうに生きていることは難しいんだ。

 考えたくもないけど、まともに銭を手に入れる方法なんて、イザベラが身売りするくらいかね?

 可愛い孫娘にそんなことをさせてまで、生き延びたくなんてないんだよ。


 ヨハンもしっかりした子だけど、学もないし、伝手もない。せいぜいが日雇いの肉体労働だろうね。それは恐ろしく賃金の安いもんだ。

 あたしだって上等な人間じゃない。端女はしためとして長く仕事をやって来たし、屋敷の中のことはある程度わかる。けれどいい年だし、そのうち体だって動かしにくくなるだろう。まったく、歳は取りたくないもんさね。


 ……正直、食べて行くのは無理がある。まったく不可能ってわけじゃないけど、最低限も最低だ。

 エリーゼお嬢様を医者に見せることだって、出来はしないだろうよ。


 ……だからそれまで、あたしたちはあの町から逃げ出すことも出来ずに、なるように任せるしかなかった。

 吸血鬼は化け物だが、人間だって似たようなもんさね。血も涙もない連中ばっかりだよ。


 けれど、この坊や……旦那様は違った。

 吸血鬼にお嬢様が襲われたって聞いて、全部がお終いだと思った。でもそうじゃなかった。

 恐ろしい化け物でも、血も涙もない邪な吸血鬼でもなかった。


 ちゃんとあたしたちを気遣ってくれた。吸血鬼の国に連れ去る以外にも選択肢をくれた。

 あたしたちに任せてくれたんだ。


 ……そんないい男の頬に肘鉄を食わせて、はいさようなら、なんて出来ないだろう?




「あたしたちは好きでここにいるんだ。嫌になったらとっとと逃げ出すよ。どうやらここは、思ったほど恐ろしい国じゃあないからね」

「ですが、それは……」

「わかってる。アマデウスだけだって言うんだろう? 逃げるのは無理ってのも知ってるよ。けど結局は同じことさ、人の国でもね。人に食われるか吸血鬼に食われるかのどっちかだ」


 旦那様が呆気に取られている。

 おかしいかい? 人だって吸血鬼と大差ないさ。


 ……お互い、弱者を食らって踏みにじる、そんなおっかない、無慈悲な化け物なんだから。


「同族に食われるくらいなら、化け物に喰い殺されて、せいぜい神様の救済ってのをお待ちすることにするよ」


 ここでは真祖だったかね? まあ、どっちも同じだろう。似たようなもんさね。




 ……吸血鬼だって恐ろしい。人の生き血を啜る化け物だ。

 だけど旦那様は違う。あたしたちを助けてくれたんだからね。


 あの町の吸血鬼騒ぎの原因はこの旦那様だけど、結局のところその騒ぎのおかげで、旦那様のおかげでお嬢様は救われたんだ。

 あたしたちも、お嬢様を見捨てずに済んだ。見殺しにせずに済んだ。


 だから、お嬢様を、孫娘を、エリーゼを任せたんだ。

 ……なのにいつまで経ってもへたれてると、そのスマートな尻を蹴飛ばすよ。




 旦那様はあたしの激励に目を白黒させてたけど、あたしがぐいぐい酒を勧めるのを煽っているうちに、その青白い顔をさらに青くさせて、先に休みますと退がっていった。

 吸血鬼ってのは酒を飲んでも、顔が赤くならないんだねえ。


 あたしは残りのワインをグラスに注いで、締めの一杯とすることにした。

 さて、あれで旦那様も、すこしは気合が入ればいいんだが。


 極夜の国の夜は長い。

 客間の大きな窓からは、嫌ってほど綺麗な夜空が眺められる。恐ろしいほど美しい星夜だね。

 見惚れていると、ついつい飲み過ぎちまうんだよねえ。


 ……深酒はいけない。眠りが浅くなって疲れが取れないし、明日の仕事に響いてしまう。

 仕事の出来る女は、酒とも上手に付き合えるもんだ。


「……エリーゼにも、酒との付き合いを教えないとねえ」


 まだ舐める程度にしか飲めないあの娘にも、きっちり仕込んでやろう。

 ……あんまり旦那様をいじめてくれるなって、援護してやろうかねえ。


 あのが何を悩んでいるかは知らないけど、悩めるうちに悩んでおくもんだよ。

 そのうちなんて考えていると、選択の余地がなくなっちまう。

 時間には限りがあるんだ。花の盛りだって同じだよ。


 いい女は、その瞬間を見逃さないもんだからね。



 方言、崩し言葉、話し言葉に書き言葉。

 いろいろ混ぜて試行錯誤しておりますが、読みにくいでしょうか。

 これはひどいとか、こうすれば良いとのご指摘をお待ちしております。

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