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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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79.ある下男の善意

※第三者視点:ヨハン(アマデウス城の厩の下男)


 飼育員の朝は早い。

 いや、この国には朝どころか昼もなくて、夜しかないわけだけど。


 極夜の国は吸血鬼の住む土地で、だからなのかどうなのか、月と星しか空を巡らない。

 ただ、地平線に太陽が近づくのか、そちらがうっすら太陽の色に明るくなる時間帯がある。

 ようするに、黄昏時が一日に二度あるわけだ。

 でも、いちいち言い換えるのも面倒くさいしややこしいから、いわゆる一度目の黄昏の時間を“朝”ということにしている。二度目は“夕”だ。




 ここアマデウス領の主の城、アマデウス城には多くの家禽がいる。

 早朝からそいつらの世話をするのが、今のおれの仕事だ。観賞用の獣も多いけれど、おれの担当は馬だ。そのまま騎乗したり、馬車を引いたりするための馬。

 体格は立派で、かつて見たどの馬種より美しい。思わずうっとりと見入ってしまう。


 それにしても、見たこともない種類の馬だ。よく見る馬よりも一回りは軽く大きいだろう。

 これだけ大きければ、自然骨格もぶっとくなるし、筋肉もついて多少ごり盛りっとする獣がほとんどだけど、ここの馬たちは怖いほどスマートだ。それでいて目元は優しく、賢くていい子ばかりなんだ。

 まあ癖のある子も多くて世話は大変だけど、おれには懐いてくれるし、とてもやりがいがある。


 先輩にあたる厩の下男もいるけど、これだけ獣たちが馴れるのはすごいって褒めてくれた。おれも鼻高々だ。

 中でも額に長い角を持つ一角獣は、とりわけ扱いが難しいんだそうだ。

 おれも油断すると、その恐ろしい角で一突きにされそうになるから、慢心はしない。

 角に対抗して、こちらもフェンシングフォイルみたいな剣を持つことだってある。鎧だって手放せない。貫かれたらおしまいだもんな。


 厩っていうけど、ふつうの立派な馬や一角獣の他にも、変わった獣たちがいる。

 中にはそのまんま、でっかい鎧を着込んだみたいな獣もいて、それを相手にするには大戦斧なんてもので威嚇したりする必要があるから、剣なんてまだましだ。

 というか、そのでっかい獣はサイって名前で、在来種って奴の改良した種族らしいんだけど、はじめて見た時はぶったまげた。こんな生き物がいるなんてね。魔物じゃないのかって聞いたけど、ふつうの動物に分類されるらしい。

 ははあ、不思議なもんだなって思う。さすが吸血鬼の国だよ。


 この城にいる一角獣は、ふつうの一角獣じゃない。何せ、色が黒いしな。

 すごく格好良いけど、気性が荒い。旦那様が馬車を操っていた時はすごく従順だった癖に、おれにはなかなか懐いてくれなかった。先輩の下男さんが言うには、強い奴を見抜くらしい。獣の世界はやっぱりそれだよな。

 だからおれは厩の下男だっていうのに、武器防具の扱いにばかり慣れてしまう。

 飼育員ってこんな危険な仕事だったっけか?




「それにしても、一角獣って処女の前にしか現れないんじゃなかったっけ?」


 おれは虎っぽい獣にブラシを駆けながら声をかける。もちろん鎧を着こんだ重装備だ。

 そうでないと危なくて近寄れないしな。多少慣れたくらいで素手で触れ合えるほど、易しい獣はここにいない。


「ああ、そりゃあ白い奴だな。一般的にユニコーンっていう。そいつは駄目だ、気性はまあまあ大人しいんだが、乗る奴を選り好みするし、暴れない代わりに言うことを聞きゃあしない。そんなに強くもないしな、力的にも体的にも」


 同僚たちは、新入りのおれにもていねいに仕事や獣のことを教えてくれる。

 おれは極夜の国に来たばかりで、知らないことばかりだって言うのに、みんなすごく優しいのだ。

 ただ、この国は吸血鬼の国だけあって、吸血当番なんてのがある。吸血鬼様にお食事を提供する当番なんだと。

 おっそろしいけど、でも別にここだと、人死になんてものはでない。人間は吸血鬼の大事な食糧だから、大事にされてるんだそうだ。


 ……ただ、ここアマデウス領が特に人間が暮らしやすい土地であって、他はその限りじゃないそうだ。

 この城では政に人を関わらせているから、よその領地の話も耳にすることができるらしい。

 そこで伝え聞くのは、おれが以前想像していた恐ろしい吸血鬼の像に似た話で……正直、怖いし恐ろしい。


 だからみんな、ここアマデウス領で暮らせることを感謝して、真面目に働くんだそうだ。

 まあ、旦那様は人に優しいから、たとえ気に食わない奴がいたって、よその領地に売り飛ばしたりはしないと思うけど。

 でも確かに、一度“吸血当番”に当たったらおしまいの吸血鬼だっているんだ。そういう奴が領主の土地には、死んでも行きたくないな。死んじまうし。


 だからおれも一生懸命、仕事を覚える。

 下男が丁寧にブラシをかける黒い獣を見上げて、俺はしげしげとその顔を観察した。


「へえ。じゃあこいつはなんて言うんだ?」

「俺らはイッカクって呼んでるけど。元は海に住んでた奴が進化したそうだぞ」

「馬が海を泳ぐのか。はじめて知った」


 そんな無駄話みたいな仕事話を通して、おれはいろんなことも学んだ。

 妹のイザベラの奴は、学園でしっかり学ばないととか言ってたけど、そこじゃなくったって学ぶ機会はあると思うんだが。

 まあ、あいつは勉強するっていうよりも、学園での生活に憧れているようだった。

 あと恋もしたいとかほざいてたけど、無理するなと言ったらはたかれた。うちの妹も気性が荒い。


「もし二本角の馬を見かけたら、絶対近づくなよ。そいつはパイコーンっつって、すっげえ危ないんだ」

「二本の角がある馬? ユニコーンの親戚とかか?」

「だいたいそうだな。で、性質はユニコーンと正反対で、すげえやばい。そんで非処女と非童貞の前にしか現れないんだと」

「それまた酔狂な奴がいるもんだなあ」

「だよなあ。やっぱ処女が一番だよ。物慣れない恥じらい! これに尽きる!」

「そうだよな!」


 まあだいたい、おれたちの話はそんな下品な話になるんだけど。

 いい年した男たちばっかりだし、仕方ないよな、うん。




 そんなわけで、城の中とはあまり関わらない仕事についたわけだけど、おれはこの仕事も生活も気に入っている。

 それに、城の厩の下男ってことになってるけど、毎回食事の時にはきちんと呼んでくれるしな。

 アベル様……旦那様も、すごく良くしてくれる。


 ほんとうなら、こんな下男に声をかけることさえないような偉い身分だろうに、変わっているというか何というか。

 だけど、おれはそんな変わった旦那様が好きだ。

 エリーゼお嬢様も大事にしてくれているから、すごく立派な旦那様だ。文句もない。


 ……ただ、そんな城の中と離れた仕事をしているせいか、どうもそちらの事に疎くなっていたようで。

 どうやらマリア婆ちゃんとイザベラは気づいていたようだけど、おれは気づかなかった。

 お嬢様と旦那様の間に、どうもぎくしゃくとした溝が出来てしまったことに気づいたのは、旦那様じきじきに、おれが相談を受けたその時だった。


 スーの奴が住み処にしてる、“鳥籠”っていう植物園で、俺は旦那様の嘆きを聞いた。




「……私が悪いんです。エリが心を閉ざして、私に悩みを打ち明けてくれないのは。私が悪いんです……」

「……え、えーっと、旦那様?」


 ずーんと、おもっ苦しい空気を背負って、旦那様が噴水の縁にうずくまっている。

 こんな旦那様を見たのははじめてだ。というか吸血鬼も落ち込むんだな。

 おれは思わず、スーの奴と顔を見合わせた。


 スーは妖精って奴で、ふつうの人間の子どもの半分くらいの大きさだ。

 それは身長だけじゃなくて、手足とか顔のパーツとか、部品が全部小さい。爪だって生まれたての赤ん坊といい勝負じゃないだろうか。

 だけど、そんな子どもみたいに可愛いスーは、見た目通りの奴じゃない。頭も良いし、何より強い。


 厩に出る猫くらいの大きさの鼠だって、素手で仕留めてしまうし、毒を持ったヘビだってへいちゃらだ。

 だからおれはスーの奴を、けっこう頼りにしているんだ。


 ……だけど、この城ってなんかおかしいよな。

 その気になれば、害獣どもなんて一瞬で駆除し尽くせる武器やら設備だってあるのに、手間のかかることを律儀に残してる。

 掃除だって、一瞬で部屋中の埃やごみを吸い尽くせる道具があるのに、わざわざ箒の形のものを使っていたりとか。

 マリア婆ちゃんだって首をかしげてた。

 ……まあ、あんまり簡単に仕事が終わると気持ち悪いって言って、婆ちゃんもわざわざ手で雑巾がけしたりしてるから、そういう感じなのだろう。


 おれだって、厩の世話がボタンひとつで全部終わってしまうのは悲しい。

 どうしても忙しい時とかはそうするけど、やっぱり動物の世話は触れ合いがないとな! 命の危険と隣り合わせだけど!


 ……ともあれ。

 仕事の関係もあって、おれはスーの奴と仲がいい。スーもちょくちょく厩に顔を出して、獣たちをからかってる。

 さすがにこれだけ大きい獣だと、スーのお腹には収まらないからな、遊ぶだけだ。小さい奴は危険だけど。

 それに妖精だからか何なのか、あのイッカクでさえスーにはされるがままだから、只者じゃない。

 スーはたぶん、全力で戦えばこいつらにだって勝てるんだろう。獣は強い奴に敏感だし。


 なのでおれもスーとは仲良くしたいと思ってる。いざという時に頼りになるからな。

 だから今日も、厩で罠にかかっていた鼠を差し入れに、こうやってスーの家をたずねたんだけど……。


 その時にはすでに、先客がいた。ずっと項垂れっぱなしの旦那様だ。

 スーは慰めてるのか何なのか、ぺしぺしとその頭を叩いてる。まあ、軽くだろうし痛くはないだろう。

 旦那様もされるがままだ。


 とにかく、旦那様の落ち込みっぷりがあまりにもすごかったので、俺は思わず声をかけたのだ。




「……うーん、おれに今彼女はいないんで、よくわからないんですけど。倦怠期とかそういう奴でしょうかねえ」


 旦那様が語ったことは、エリーゼお嬢様との何というか、惚気話だ。

 どうやら喧嘩? してしまったらしい。いつも甘い空気を振りまいてるのに、最近どうりでそういった空気がないと思った。


「それ、フレッドにも言われました」


 おれの言葉に旦那様が苦々しく、珍しくちょっとだけ険を漂わせた視線をこちらに向けた。

 旦那様はその赤い目がなけりゃ、吸血鬼だってことを忘れてしまうくらい穏やかなひとだから、そんな目つきをするだなんて結構珍しい。


 フレッドというのは旦那様の友人の人狼だ。

 人狼って吸血鬼の天敵って聞いたけど、吸血鬼の旦那様はそいつを友達だって紹介してくれた。

 そいつはおれたちの時と同じように、太陽が昇る国から逃げて来たんだという。まあ、おれよりちょっと年下なだけだけど、あいつが来ると厩の獣たちが暴れるから、あんまり話したこともない。臭いもついたらいけないみたいで、自然あんまり近寄らなくなった。

 人狼だから仕方ないことだけど、何だか悪かったかな。


 しかし、フレッドの奴がそう言ったということは、旦那様はそいつにも相談したということだ。

 あいつはおれと違って女扱いに慣れてそうな雰囲気だったし……今は、ビアンカっていう白い人狼にぞっこんらしいけど、まあとにかく経験は多いんだろう。だから確かに、相談するにはこの上ない人材だよな。

 けれどこうして旦那様が落ち込んでいるということは、あいつの手にさえ負えないことなのか、それとも滅茶苦茶くだらないことか……。

 恋愛なんてたいだい後者だよな、うん。おれは経験はすくないけど、何となくそう思える。


 しっかし、こんなでっかい城と領地と、あれだけの獣たちを持っている旦那様が、お嬢様に手玉に取られているなんて。

 おれはおかしいやら旦那様が可哀そうやら、何とも複雑な気分だ。

 でも楽しい。


「……たぶん、私が失言してしまったと思うんです。ある時からようすがおかしくなったので。でも、何度考えても何が悪かったのか……」


 旦那様はこの上なく情けなさそうに、それでいていかにも心細そうに呟いている。

 あ、何だかちょっと罪悪感……。


「え、えっと、おれは旦那様よりすこしだけ、お嬢様との付き合いが長いですから。何が問題だったかわかるかも知れませんし、その時のことを詳しく話してくれませんか」


 おれは一生懸命、旦那様に語りかけた。スーが相変わらずぺしぺししているのに、旦那様は動かない。

 さすがにこれだけ萎れているのを見て、ただ楽しんでいるのは悪いだろう。

 おれだって旦那様に感謝しているひとりだ。頼りないだろうけど、せいぜい役に立って見せるさ。

 ……たぶん無理だけど。


「あ、ありがとうございます、ヨハン」


 旦那様はぺこりと頭を下げる。

 ……この人、いや吸血鬼は、吸血鬼で貴族で、しかも辺境伯爵? という地位にあるっていうのに、やたら腰が低いし馬鹿丁寧だ。

 さっきも言ったけど、おれみたいな下男に丁寧に話すし……まあ、これは全員に対してだから癖みたいなもんだろうけど、それにしたって丁寧に過ぎるだろう。

 偉い人が簡単に頭を下げていいのかな?


「えっと、あの時はですね……」


 おれのそんな疑問など気づきもせず、心持ち顔色の悪い旦那様は、懸命に細かいところまで思い出そうとしているかのように、ゆっくりとその時の話を始めた。



鯨類が地上に進出したって馬にはならないだろうというツッコミはなしでお願いします。

魔法の言葉、ファンタジーファンタジーで流してくださいませ。

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