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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第一章:吸血鬼の夜
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7.試してみました。



 結論としましては、吸血鬼の弱点たりえるそれらは、私にとっては無意味なものでした。

 血族的なものか、それとも私に宿るという”真血”が成せる業なのか、それはわかりません。




 たとえば、聖印。

 聖印は、吸血鬼だけではなく、邪なる者が忌避するとされます。その宗教によって縛られている魔物……つまりは元人間であり、かつ魔に落ちた者たちにとって、それは致命的な弱点になるのです。人狼も人であり魔物であるのですが、邪なる者には含まれません。


 人が信奉する宗教は数あれど、一番多くの信者と信奉域を誇るものは、救世主教といいます。多くの国で国教とされているものですね。

 そのシンボルは長短二本の棒を組み合わせた形をしておりまして、いわゆる十字架という形です。聖職者や信徒たちは、決まってその聖印を身に付けております。

 吸血鬼はそれを目にしただけで、恐怖で動けなくなりますとか、金縛りのように体の自由が効かなくなるのです。そういった効果がありますので、敬虔な信徒でなくとも身につけている人は多いです。ハンターであるフレッドもご多分に洩れません。

 吸血鬼に対する、手頃でかつ強力な対抗手段ですからね。護符のように使うこともあるようです。


 私は恐る恐る、直に聖印を手に取り、食い入るようにじっと見つめてみました。

 ……何も起こりません。


 おやと思って、続けてフレッドが持つものも手にしてみました。結果は同じです。

 フレッドがお布施して貰ってきた聖印も、もちろんちゃんとしたものなのですが、吸血鬼を真っ向から相手取るフレッドの持つ聖印は、それよりもっと強力でしょう。純銀製で美しい細工が施され、破邪の紋様が刻まれています。それを目にしただけで、若い吸血鬼は思わず目を背けるか、体から力が抜けるのを防げないでしょう。


 ですが、私にはそういった気配は訪れませんでした。ぎゅっと握りしめたり、手の中で弄りながら、ためつすがめつしてみます。

 それを見てフレッドはわずかに眉を顰めましたが、何も言いませんでした。

 ごく一般的なふつうの吸血鬼であれば、十分に弱点となるものですが、私には意味がないようです。


 ……確かに今まで、私はそれらの聖域に近づこうとはいたしませんでした。吸血鬼とばれたら恐ろしいことになってしまいますし、苦しむのだとわかってこちらから近づく筈もありません。それらしいものが近くにあると知れたら、とっとと離れてそれきりでした。

 なのでそれらに近づくことが、どれほどの苦しみを与えるか、具体的なことは体験したことがなかったのです。私が人であった頃は、まあまあ敬虔でごく一般的な信徒でありましたが、人でなくなってからも聖別されたものを忌避した覚えがないのです。

 これはカラスの血族の弱点への耐性と、真血のおかげでしょうか?


 本来ならばありがたいそれは、苦行をしたい私には邪魔になってしまいます。これでは意味がありません。

 次に行きましょう、次。




 聖水も同じでした。触れても飲んでも、私には何も起こりません。

 まあ、聖印と同じく、聖別されたものには違いありませんので、予想はつきましたけれど。

 教会で祝福され、信徒に配られる水ではありますが、見た目はごくふつうの水と変わりありません。儀式で用いられる他、汚れや忌まわしいものを祓うのに使われますね。


 よくよく見てみれば、聖なる力が宿っていることがわかりますが、それだけです。

 その聖なる力に祓われてしまいそうになるとか、何となく遠ざけたい気持ちになるとか、そういった感情も湧いてきません。

 ふつうの吸血鬼はそれに触れただけで、体が焼けただれてしまいますとか溶けてしまいますとか、恐ろしい話を聞きますけれど、私はそうなりません。聖水を頭からかぶっても、お腹がたぽたぽになるまで飲んでも、全く問題ないのです。


 聖別されたものは、まったくと言って良いほど、私に苦しみを与えませんでした。

 ヘビの血族であれば、より致命的な弱点となるものです。私の友人はきっとこれらに耐えられないでしょう。

 正直、困りました。ですが、吸血鬼の弱点はまだまだあります。

 どんどん試しましょう。




 次に、ハーブやニンニクの類です。トカゲの血族がより嫌うものですね。

 吸血鬼はその臭いを嗅いだだけで、具合が悪くなりますとか、逃げ出してしまいますとか、あるいは寄りつかなくなりますとか、そういう効果があるようです。料理に使ったり、そのものを部屋などに置いておくだけで良いのです。

 要するに吸血鬼は、強い臭いを発するものが苦手なのです。ほんとうによくわからない弱点ですよね。


 吸血鬼の弱点であるニンニクやハーブですが、この伝聞はかつて、伝染病などの病と吸血鬼の存在が一緒くたにされていたことの名残でもあるようです。

 ハーブやニンニクなどの臭いのきついものは、除菌や殺菌効果を持つものもあります。他にも薬効を持っていたりと、役立つものが多いのです。

 吸血鬼は細菌やウィルスと似たような扱いをされているわけですね。まあ、人が死んで蘇り、吸血鬼となるだなんて、性質の悪い病と同じようなものなのでしょう。さもありなん、といったところです。

 実際は、ウイルスや細菌といったものとはまた違う要因で、人は吸血鬼となるのですけれど。まあ、それはさておき。


 私が人であった頃は、そういった強い臭いのあるものを、それほど好んで食べてはおりませんでした。ですが、食べられないほどではありませんし、観葉植物としてはむしろ好きでした。

 ハーブは虫除けにもなりますからね。他の植物、主に雑草を避けるのにも使えます。下手をするとハーブだけで土地が占領されかねませんけれど。


 ……私はその臭いを嗅いでも、苦しむほどではありませんでした。

 咽返りそうにはなりましたが、吸血鬼は呼吸も必要とはしませんから、まったくもって問題がないのです。声を発するためには息を吸い込む必要があるから、呼吸をしているだけです。吸血鬼の生命維持には、呼吸は要りません。

 そもそも臭い自体が弱点のはずですけれど、効果がないのです。

 私は今ではニンニクの臭いを美味しそうとは思えなくなりましたけれど、切り刻んで強烈な臭いを嗅いでも平然としていられました。むしろフレッドのほうがつらそうです。

 人狼ですからね、彼。嗅覚が鋭いので、少々の臭いでも強烈に感じ取ってしまうのでしょう。


「……ニンニクを効かせた肉なんかは好物だが、こう、あらためてこいつだけの臭いばっかり強いのは、きっついな」

「これってむしろ、人狼の鼻を逃れるのに使えそうですね。まあ、次行きましょう」




 次に試したのは銀製品です。これは吸血鬼全体が苦手としますが、人狼の弱点にもなりますね。

 銀で傷をつけられると、邪なる者は大怪我を負い、その傷痕は決して塞がらなくなるのだとか。恐ろしいですね。

 ですが、銀自体は鉄などより柔らかい金属です。加工や整備を含め、およそ武器には向きません。

 銀自体が邪なる者に与える打撃以外のダメージが、邪悪を払うとされる所以のようです。


 ……銀のナイフをさっくり手に刺してみましたけれど、僅かに傷つき、痛いだけでした。掠っただけで大打撃を受けますとか、傷口が塞がらないですとか、そういったこともありません。

 ちなみにフレッドにも試してみようと思い、何気なくナイフを振ったところ、さらりとかわされてしまいました。


「ってめえ、何しやがる!」

「いや、銀の武器ですから、人狼にも効果的だと聞きますし。ちょっと気になりまして」

「ちょっと気になりまして、で勝手に人を実験体にするんじゃねえ!」


 フレッドは一瞬で人狼形態に変身し、恐ろしい顔で牙を剥き出しにしています。

 怒られてしまいました。屋内だからといって、昼間から簡単に変身しても良いのでしょうか。とにかくフレッドがおっかないですし、残念に思いながら銀のナイフをしまいました。


 それにしても、人狼の姿は格好良いです。漆黒の美しい毛並みの狼の顔で、琥珀の瞳が爛々と輝くその姿は、ふつうの狼とも違って見えました。

 ……え、吸血鬼は変幻自在に姿を変えられるだろうって? 馬鹿言っちゃいけません。


 吸血鬼は霧になってどんな場所にも侵入できますけれど、化けられるものの姿は限られています。私はカラスの血族であり、カラスには簡単に変身できますが、他はそう精度が高いものではないのです。

 人に化けて入れ替わるとかは絶対に無理ですね。絵心のない吸血鬼が無理に変身しようとすると、だいぶ悲惨な姿になるとも聞いています。想像力が大事なのでしょう。

 吸血鬼の魔法の練度によっては化けられると思いますけれど、私はそう得意ではありません。カラスに化けて空を飛ぶことも楽しいですが、狼に変身して野を駆けることも楽しいでしょう。人狼は人と狼の中間ですが、造形が非常に格好良いのです。


 私はあらためて、しみじみとフレッドを眺めました。

 ……気味悪そうに身を引かれてしまいましたが、気にしません、ええ。


 同じ人外の怪物でも、人と共存でき、味方になり得る人狼のほうが、吸血鬼よりよほど優れているように思えてなりませんでした。かつては人肉しか食べられなかった彼らが、他の食物で命を繋げられるようになったことは、きっと優れた進化なのでしょう。

 それに引き換え吸血鬼は、未だ人の生き血以外では生きられません。困った生き物です。

 人の血液以外を受け付けないのですから、食糧事情は死活問題です。人に栄えていて貰わねば、吸血鬼は滅ぶしかないのですから。それでいて人を見下して家畜扱いする者も多いのですから、恐ろしい話です。

 難儀なものです。いやほんとうに。




 吸血鬼の弱点は、他にもあります。

 例えば、流れ水の上を通れないなんていう話があります。どうした訳か、吸血鬼は自力で川や海を越えられない、というものですね。あとは水に入っても泳げない、金槌であるとか。

 とはいえ、吸血鬼は変幻自在な怪物です。特定の獣や霧に変化して、人の通れない場所を行くこともできるのです。空を飛べる種族であれば、流れ水は行く手を阻む障害にはなりません。


 ついでに言えば、私の血族はカラスと呼ばれます。

 カラスに変身し、まあそこそこの海峡くらいでしたら飛んで渡れますね。川なども問題なく渡れますし、船も平気です。ついでに人型であればちゃんと泳げますし、烏の姿で水浴びしても無問題です。

 ……これ、すごく限定的な吸血鬼の一族の弱点ですね。ちなみに水が嫌いな血族はオオカミです。




 後は、太陽光。

 これが、あらゆる吸血鬼にとって、最も致命的な弱点になり得るでしょう。日に当たれば、ほぼすべての吸血鬼たちは弱体化し、若い吸血鬼は活動もままなりません。大怪我を負ってしまうでしょう。

 極夜の国では昼がありませんが、吸血鬼の国たるその地以外にも吸血鬼はおります。なので、昼の陽射しに当たりたくがないが為、天候を左右する魔法を会得している吸血鬼もいるくらいです。空を曇らせたり霧を立ち込めさせたりして、直射日光を防ぐことができれば、何とかなる吸血鬼も多いのです。

 陽光が特に苦手なコウモリの血族は、たぶん、曇や霧くらいではつらいでしょうけれど。


 私も食事の関係もあって、日没後が主な活動時間です。

 街頭に立つ花売りの女性は、日も暮れてからが多いですからね。必然、ふつうの人と違って昼夜逆転しているのです。

 ですので、あまり日中は起きていませんし、滅多に出歩きません。宿の一室でカーテンを閉めてこもりきりです。


 ですのでその日、吸血鬼となってほとんどはじめて、まともに陽の下を歩いてみたのです。

 ……何ともありませんでした。

 明るい陽射しの下、フレッドと並んで思わず公園のベンチで日光浴してしまいましたが、何なのでしょうね、この状況。

 太陽の下、天敵である人狼も一緒で、吸血鬼にあるまじき事態シチュエーションです。


「……あんた、何でそんなに弱点が効果ねえんだよ? まだ吸血鬼になってそう経ってねえんだろ?」


 朗らかな天気の過ごしやすい公園で、フレッドは先ほどから険しい表情です。

 これでも人狼の天敵である吸血鬼たる私が、こうも弱点を前に平然としているのは、まあ腐れ縁と言って良い友人関係にあっても、不安になるのでしょう。


 ですが、私だって驚いているのです。

 吸血鬼となってからは、ミラに吸血鬼の掟を教えられ、吸血鬼として生きて行く術を覚えました。その中にはもちろん、これらの吸血鬼の弱点を回避するための知恵も含まれています。ほんのわずかでも自らを弱らせる可能性のあるものを遠ざけることは、吸血鬼として生きるのに必須です。

 なのでまず、そういった弱点のありそうな場所へは決して近づかないことを教えられました。ちらりとでも見かけたら、その場からとっとと離れるのみです。

 今回はじめて、それらの弱点にまともに向い合って、それらが私にはまったく効果がないとわかったのです。


 きゃあきゃあと子どもたちがベンチの前を駆け抜けるのを見送って、私は力なくうなだれました。予想外です。


「……私の血族は弱点に強いといわれていましたが、これほどとは思いませんでした。ミラは吸血鬼らしく吸血鬼らしい生活をしていたので、私もそういった弱点においそれと関わったりしませんでしたから」

「あんたはカラスだよな? いや、それにしたってまだ若い吸血鬼だ。そんな奴がこうも弱点を前に平然としてるなんて……」


 フレッドは納得いかないようすで、ぶつぶつと呟いております。

 そして私も途方に暮れています。どうしましょう。

 限界まで弱点に触れ、苦痛に耐える修行ができなくば、吸血鬼から人になるという実験すら成り立ちません。


 ……私は出来ればやりたくなかった、残りの弱点のことを思い浮かべておりました。



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