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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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76.とんでもない提案をされました。



 噴水の水音に耳を澄ませながら、私は大きくひとつ息をつきました。

 スーの住処であり、彼女が管理・支配する植物園。通称鳥籠でのひとときです。


 ディートリンデとのやり取りを思い出し、ふとワインや酒類について調べて、いくつか取り寄せてみました。

 スーも一献どうですかと冗談交じりに勧めたら、スーの顔くらいあるコップ……ふつうのサイズですが、の一杯を軽く煽って、ぐっと親指を立てました。

 ……お酒もいけるんですね、スーって。

 なので隣でひとり酒盛りをするスーの横で、私はなおも鬱々としておりました。お酒で誤魔化す気にもなれません。


 ……例の、気の進まない用件ですが、まだ全部片付いていないのです。

 クリスたちへの謝罪、フランチェスカ大公への謝罪、フレイからの便り。

 最後の問題はいつのとも限りではありませんから、待つより他ありません。が、問題はまえのふたつ。

 どちらも正式なこちらからの申し入れですので、先ぶれの書状は送ったのですが、まだ何の返答もございません。


 とはいえこちらから急かすこともできませんから、こちらも待つばかりです。

 この“待っている”のがどうも、精神に来るのですよね。


 ……こういう時、癒してくれるエリとは、相変わらずどこかぎくしゃくしたままです。

 それがなおいっそう、わたしの心に重く圧し掛かっていたのでした。


「……クリスからの返事も遅いのは、やはり私の態度が拙過ぎたからでしょうか」


 ぽつりと呟いた声に、スーは今日は何も返してくれません。カエルを肴に、おいしそうにお酒を飲むばかりです。

 ……白ワインに合うのでしょうかね、カエルって。今度はマムシ酒でも差し入れてみましょうか。

 そんな風に思っていると、ちりんと鈴の音が響きました。鳥籠に来訪者があるようです。


 見れば、ヘレナに手を引かれたユリウスが、あちらもちょうど私の姿を発見したようで、ぱっと笑いながら手を離し、こちらに駆け寄って来ました。

 見れば見るほど、美少年です。ローラが慈しむのもわかりますね。

 

「えっと、アベル様、こんにちは! ……あれ、こんばんは?」

「ここでは“良い月夜ですね”がこんにちはの代わりですね。こんばんはは“星夜”です」

「よい月夜ですね! あの、アベル様、お願いがあって来ました!」


 ユリウスは元気に挨拶してくれ、そしてどうやら私に頼みごとがあるようです。

 この子どもらしい直截な物言いは、腹を探り合う吸血鬼やハンターとの話と全く違って、心がほぐれますね。


「はい、良い月夜ですね。……それで、お願いとは?」

「僕を吸血鬼にしてください!」


 ……ほぐれた糸がこんがらがって、酷く硬く結びついてしまったようです。ほぐすのが大変ですね。

 などと、思考を明後日の方向へ吹っ飛ばしてしまったわけですが、ユリウスの言葉はそれくらい、私に衝撃を与えました。


 私はこめかみを押さえます。

 ちらり、とスーにも目をやりましたが、スーは白ワインの瓶をラッパ飲みし終えたところで、可愛らしいゲップをこぼしておりました。どうやら頼りには出来ないようです。

 わくわくと目を輝かせるユリウスの隣りで、ヘレナが微笑ましそうに彼を見つめているわけですが……、まあ、それは良いでしょう。彼女もルーナも、無駄な口などいっさい挟みませんし、問題がなくば、すべて私の判断を優先してくれるのです。


 ……ユリウスのその頼み事は、私にとっては大問題だったりするのですが。


 私はユリウスに、何を言うべきか、何故その考えに至ったのか、いろいろと聞かねばなりませんでした。

 スーが残念そうに、空になったワイン瓶を覗き込む噴水の縁から、私は腰を上げてユリウスに近付き、屈み込んでその視線を合わせます。


「……ユリウス、いくつか質問しても良いでしょうか」

「はい、どうぞ!」


 にこにこと嬉しそうなユリウスを目の前に、私はもう一度こめかみを押さえ、思考を整理しました。


「まず、何故あなたは吸血鬼になりたいと思ったのですか」

「えっと、吸血鬼のことをよく知らないから。ローラちゃ……ペンドラゴン侯爵様? にも聞いたけど、よくわからなかったし。フレッドのお兄さんにも、他にもいろいろ聞いたんだけど……。でも、わからないなら吸血鬼になるのが手っ取り早いかなって」


 にこやかにあっさりと、とんでもないことをのたまってくれますこのお子様は。

 ……ああ、フレッド。あなたがすこしやつれていた気持ちがわかりました。

 私は胃がきりきり痛むのを感じました。


「……手っ取り早いで、この後の全ての人生に関わることを、軽々しく決めないように」

「えー」

「返事は」

「はい。……それで、お姉さんにも聞いたんだけど、吸血鬼になるなら領主様の許可が必要なんだって。だからアベル様にお願いしに来たんだ」


 天使のように微笑んでおりますが、その口から零れているのは悪魔の提案です。

 何だかローラに似ています。怖いですね。


「……あなたは、吸血鬼が人の生き血を啜ることに抵抗がありましたよね? 人をいいなりにするにも。そんなことをする吸血鬼に、何故なりたいと?」

「でも、ここの人たちって、全然吸血鬼のひとのことを嫌がってないし。嫌な人にも無理なことをしないって言うし。だから、そんなに悪いものじゃないんじゃないかって」


 胃痛とともに頭痛までしてきました。

 あっさりと考えを変えることが出来るのは、柔軟なのか人が良過ぎるのか、はたまた洗脳されやすいのか……。

 もうすこし、物事を深く考え、疑ってかかるよう教育すべきなのかもしれません。


「……吸血鬼になっても良いと思ったことは、ひとまず置いておきましょう。それで、何故それを私に?」

「だって、領主様なんでしょう? 領主様の許可が必要なんでしょう?」

「ええ、それはそうですが。ですが、ローラ……ローレリア・ペンドラゴン侯爵閣下も領主です。領地と爵位を持つ吸血鬼は、みんな領主と呼ばれますからね。あなたには彼女からの許可のほうが良いのでは」


 ユリウスはここ、私が治めるアマデウス領に住んではいるものの、ローラの誘いでこの国にやって来た人間です。

 ローラにとっては違いますが、ユリウスにとって、ローラとの付き合いはそう長いものではありません。が、それでもローラが連れて来た吸血鬼である私より、よほど気心の知れた仲です。

 私だって、彼の何たるかを全く知りません。そんな吸血鬼にお願いするよりは、まだローラにお願いするというのが筋だと思うのですが。


「……えっとね、ちょっとだけ勉強したんだ。ここの領主様は人を操ったりできない脳なし……じゃなかった、お優しい人……でもない、吸血鬼なんだって聞いたし」

「わかりましたフレッドですね? あとで一発殴ってやりましょうか」


 にっこりと笑いかけますと、ユリウスもにこにこと笑い返します。

 ああ、悪意や邪念がないですね、この子。


 しかし、年端も行かぬ幼子に、とんでもないことを教えてくれますねあの野郎。


「とにかくね、人をいっぱい襲う吸血鬼と、そうでもない吸血鬼がいるって聞いたから、襲わないでいられる吸血鬼ならいいかなって思ったんだ」


 私が殺気をいずこかへ向けて飛ばしていると、ユリウスが懸命に説明してくれました。

 ……しかしやはりというべきか、その考えは浅いものです。


「……ユリウス。私だって人を襲います。生き血が必要ですしね。そのヘレナだって、生き血を飲んでいます。吸血鬼はみんなそうなのです」

「でも、無理矢理じゃないんでしょ? 嫌がったら止めてくれるんでしょ? ならいい吸血鬼だよ!」


 ヘレナと私を交互に見て、なおもユリウスは断言します。

 にこにこ笑う彼に対して、私はぐりぐりと自分のこめかみを抑えつけました。どう説明したものかと。

 ……とはいえ、ここで押し問答をしても、なかなか納得してくれないでしょう。こういう時には丸め込めるに限ります。

 腹の探り合い、駆け引きが苦手な私ですが、相手が幼子ならなんとかなるのです。自慢にもなりませんが。


「ユリウス。まず、あなたはたくさん勉強しましょう。そして大人になるのです」

「なんで?」

「大人にならないと、まず吸血鬼にはなれないからです」


 これは嘘です。吸血鬼の因子、素養は生まれた時から決まっていて、終生変わることがありません。

 大人だろうが子どもだろうが、老若男女の区別なく、条件さえ整っていれば吸血鬼となることができます。

 まあ、外因的要因や状況で多少変わるのですが、生まれ持ったそれの影響が大なのです。本人が望んでいたりですとか。


「ですから、吸血鬼になる為の知識を蓄えること。好き嫌いせず食べて健康な大人となること。それが大前提です」

「ええー。だって、ローラちゃんだって子どもなのに吸血鬼だよ?」

「ローラは子どもの頃に吸血鬼になったのではなく、生まれた時から吸血鬼だったのです。だから、ユリウスの場合とは比較できません。それに……」

「それに?」


 もったいぶって引っ張った私の言葉に、ユリウスはもちろん食いついてきました。


「吸血鬼になると外見の成長が止まります。それ以上決して背が伸びませんよ。それでも構わないのですか?」

「それはやだ」


 きっぱりと言ったユリウスは、真剣な顔つきになっておりました。


「……そっかあ。大きくなれないんだ……それはやだなあ」

「でしょう?」

「ローラちゃんは大きくならないの?」

「さて、純血種の吸血鬼の成長について良く知りませんが、たぶんあのままかと」

「大きくなれないのかあ」


 ぶつぶつ呟いておりますが、ひとまず納得していただけたようです。

 私はほっと息をつきました。ユリウスの言葉が一時の気の迷いであれば、さらに安心できるのですが。

 何はともあれ、問題を先送りに出来たようです。今でもけっこういっぱいいっぱいですので、これ以上の心配事はしたくありません。


「……うん。僕、がんばって勉強して大きくなって、それからお願いしに来るね」

「よくよく、考えてからにしてくださいね」


 にっこり笑うユリウスの表情を見ながら、さて、この子は吸血鬼になりたいなどという考えを、あっさりと改めてくれるのかどうかは読み取れませんでした。

 素直な子ですから、心変わりしてくれると良いのですが。


 ……私はミラーカに噛まれ、血を吸われて命を落とし、吸血鬼となりました。

 以降、数えきれない人の生き血を啜って来たわけですが、吸血によって人を死に至らしめたことも、吸血鬼にしてしまったこともありません。

 そして、人を吸血鬼にしようと考えたことすら、ありませんでした。エリと出会うまでは。


 なので、ユリウスの申し出には、動いていない心臓が飛び出るかと思うほどの衝撃を受けたのです。

 正直、相手が誰であれ、人を吸血鬼にしたいとは思えません。

 それがもし、大事な人が今まさに死にそうな場面で、吸血鬼にするしか救う方法がなかったとしても……たとえその人がエリだったとしても、私は躊躇うでしょう。

 エリが元々、吸血鬼になっても良いと言っていたなら、また話は別かもしれませんが。


 けれど、たとえ本人の承諾があったとしても、私はできるのであれば、人を吸血鬼に変えたくありません。

 それまで人間であった存在を、まるごと全く別の存在にしてしまうのです。

 その所業を恐ろしいと思ってしまうのは、ごくごくふつうのことでしょう?

 ……まあもちろん、吸血鬼にとっては、人を吸血鬼にするほうがごくふつうで、それを躊躇うほうがふつうではないのでしょうが。


 エリに出会ったばかりの頃、懇願するのだって勇気が要ったのです。

 それくらい、私にとっては重大事なのです。

 ……もしユリウスが頼んだのがローラだったなら、今頃彼は吸血鬼になっているでしょうけれど。

 即決即行動が信条ですしね、彼女。 


 まあ、何はともあれ。

 まだ十歳に満たない子どもであるユリウスに、吸血鬼になる決断をすることも、それの将来を考えることも、まだ無理でしょう。

 せめて、ここだけではない、吸血鬼の行いと歴史を知ること。吸血鬼の血族や掟、極夜の国の法。

 そして、人の暮らしについてよく知ってからでないと、判断を下すことは出来ないでしょう。


 ユリウスが成人するまでに、多くの人や吸血鬼と触れ合い、たくさんのことを学ぶべきなのです。 


「ユリウス。学校へ行ってみたいと思いませんか」

「学校?」

「ええ。ユリウスより小さな子から、大人まで。多くの人が集う学び舎です」


 私の提案に、ユリウスは首をかしげます。

 彼の元々の環境も悪かったですし、いまいち想像がつかないのでしょう。


「……学校って、勉強するところだよね? 僕も勉強するの?」

「そうです。学園に入学したら、友達も一杯できますよ」


 ユリウスはぱっと顔を明るくしました。

 同い年くらいの女の子でしたら……いえ、女性か、同性の一部の人さえも魅了する、素敵な笑顔です。


「行きたい! 学園ってところに!」

「わかりました。ただ、勉強は難しいかもしれませんし、手続きもあります。まず、エリやイザベラと一緒に家庭教師に着いてもらいましょうね」


 ユリウスはどうやらとても前向きに、学園への入学を検討しているようです。というかもうすでに、友達を何人作ろうかと算段しているようですね。

 それを微笑ましく思いながら、ヘレナに視線を向けます。

 もちろん彼女はひと言も口を開くことなく、胸に手を当ててお辞儀しました。言葉を交わすまでもなく、了解の合図です。


 さて、そうするとヒューゴとヴィクターにも連絡しないといけませんね。

 同じく、極夜の国にやって来た者同士。そのうえユリウスはすこしばかり危なっかしいので、彼らを頼りにさせてもらいます。


 そう思って、ユリウスの手を引くヘレナと共に、執務室へと戻ったのですが……。


「旦那様。フランチェスカ大公と、ドラッケンフォール辺境伯がお見えです」


 部屋で待ち構えていたルーナのやや硬い表情に、私はまたも緊張を強いられました。

 ……逃げていた厄介事が、向こうからそろって襲来してくれたようです。



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