6.協力してくれました。
「……で、あんたは何しにこの街に来たんだよ」
たくさんの料理を平らげて、ようやく腹くちくなったのでしょう。
フレッドは満足そうなゲップをひとつ吐いて、テーブルの上に肘をつきました。
あんまりな態度ですが、まあ、ここではマナー云々うるさいことは言いません。場末の酒場ですし、細かいことは言えないのです。そういった場所では、それに相応しい振る舞いがありますからね。いえ、ゲップが相応しいとは申しませんが。
私はやっと例の相談をしようと、口を開くことが出来ました。
人狼であり、吸血鬼ハンターである彼ならば、もしかしたらローラですら知らないことを知っているかもしれません。
「吸血鬼が人になる方法を探しているのです。フレッドには心当たりはありませんか?」
「……はあ?」
フレッドがぽかんと口を開けています。固まっているようにも見えます。
今まで見た彼の表情の中で、最大の驚きを表しているようでした。そんなに変な話題でしたでしょうか。
それからフレッドは盛大に眉をひそめて、前かがみになって顔を近づけてきました。
「……それって、あん……じゃなかった、戻したい奴がいるってことだよな?」
「いいえ、これの話です」
会話を聞かれる心配はそうありませんが、大きな声ではとても言えない内容です。私は彼と同様に声をひそめてから、自分を指さしました。
それを見て、フレッドはますます混乱したようです。うろたえたように片手で頭を抱えて、真剣な目つきで私を見ました。
「いや、何で、急にまたそんなことを」
「私の好きな人がそう望んだので。その方法を探しているんですよ」
彼は今度こそ絶句し、硬直しているようでした。
それほど意外な話でしょうか? 吸血鬼はそのほとんどが元人間なのですから、そう望んだ者も多くいることでしょう。
彼が固まっておりますので、とりあえず解凍されるのを待ちます。私がゆっくりと葡萄酒を飲んでいると、しばらく経ってからやっと、フレッドが自分を取り戻したようです。
今度は両手で頭をかきむしるようにして、テーブルの上に顎を付けました。
「……い、いやまあ、あんたらしいっちゃ、あんたらしいか? 変な奴だとは思っていたが……まあ、女目当てってのは意外だな、うん」
「そうですか? ごくごく平凡な理由でしょう?」
「……俺が言うのも何だが、あんたが人になるなんぞより、その女のほうを吸血鬼に変えちまえって思わなかったのか?」
フレッドが吸血鬼ハンターにあるまじき発言をしました。ハンター仲間に聞かれたら、きっと厳罰に処されるでしょう。とんでもないことです。
それに、それはエリの望みではなかったのですから、仕方のないことなのです。
「人でなくなるのは嫌だと言われてしまいましたので。私は自分の種族に拘りはありませんし、矜持もへったくれもありません。それに、もともとは人ですから」
至極ふつうな説明をしましたが、フレッドはなおもぶつぶつと呟いております。
一体何だというのでしょう。
「……あんたをいずれぶっ飛ばしてやろうって決めてんのに、人になられちゃ困るんだが」
「ぶっ飛ばされたくありません。私は人になりたいのです」
にっこり笑って断ると、フレッドはまた目を瞬かせました。
しばらく「あー」とか「うー」とか唸っておりましたが、やがて大きな溜息をひとつつき、顔をあげると、口の端を持ち上げて皮肉気な笑みを浮かべます。
「……まあ、いいか。吸血鬼がひとりでもいなくなることは良いことだ。あんたが手当たり次第に人を襲う奴じゃないのはわかってるが……俺も、これでもハンターの端くれなんでね」
「それは当然でしょう。私も吸血鬼にあまりいてほしくはありません」
それを聞いて、彼はまた意外、といった顔をしました。私はただにっこり笑うだけです。
私は人であったころ、吸血鬼に多くを奪われました。今はその吸血鬼になって生きているのですから皮肉なことこの上ありませんが、それだけに吸血鬼に対して複雑な思いを抱いているのです。
今では吸血鬼の仲間もおりますし、友人もおります。私だって人を襲うのですから、人にとって害のある存在です。
それでも、人だった頃のことを思うと、どうしても吸血鬼としての幸せを謳歌する気にはなれないのです。知人たちをどうこうしようなどとは思いませんが、人が無為に虐げられるのは見たくありません。
吸血鬼が増えて困るのは、人だけではありませんし。
「……とにかく、噂話でも何でも良いので、吸血鬼が人になった話を聞いたことはありませんか? その方法を探しているのです」
「俺はそう知らねえけど、生き字引な爺さんは知ってる。まあ、んな話があるかは知らねえが……そいつにちょっと聞いて来てやるよ、飯の代金だ」
ふん、と大きく鼻息を吐いて、フレッドは大きく胸を張りました。
どうやら彼は、だいぶ乗り気でいてくれるようです。私にはそれがありがたく、にっこりと笑顔を彼に向けました。
それでも、ひと言付け加えるのを忘れてはおりません。
「……その代金って、私が今まで奢ったのより、ずっと安いですよね」
フレッドの額に一筋の汗が流れるのを、私は見逃さなかったのでした。
吸血鬼だ人だと言う前に、そもそも吸血鬼とは何なのか、それを考えるべきでしょう。
吸血鬼となって十年の私ですが、私にも知らないことは数多くあるのです。
まあ、自らの責任も放り出して、あてもなく人の国をうろついているばかりの私ですから、吸血鬼に詳しくなろうはずもありません。私が知っているのは、ミラーカに教えられた血族の掟、基本的な吸血鬼の弱点についてと、魔法くらいです。
よって、今回もローラに泣きつきましたし、他に相談できるような吸血鬼は三人くらいしかおりません。みんなに話を聞くべきでしょうが、あまり気が進みません。
……私に吸血鬼の知り合いは、そう多くありません。
特に親しいと言えるのは、私を吸血鬼にしたミラーカと、その部下のふたり。ミラーカの親友であるローレリア。あとは悪友がひとりいて、それですべてです。うちひとりは故人ですから、現状はたった四人だけです。
かつてミラーカに付き合い、吸血鬼たちの集まりに顔を出したことはあります。そこで知り合った顔見知りの吸血鬼もおりますが、それでも数人いる程度で、親しく付き合っている者はおりません。寂しいものですね。
そして、他には……いわゆる、吸血鬼の”なり損ない”に会ったことが幾度か。
これも、吸血鬼を知るために考えておかねばならないでしょう。
なり損ないは文字通り、死して吸血鬼となる過程で、何の間違いがあってか吸血鬼になりきれなかった者たちの、なれの果てです。もちろん、なり損なったからと言って人に戻ることはあり得ません。人としての生は終わっているのですから当然でしょう。
殺してもなかなか死なないのは吸血鬼と一緒ですが、中途半端な力と姿で、よりおぞましい存在になってしまった者たちです。
吸血鬼になりたての者も正気を失いやすいですが、なり損ないである彼らには、まず理性を保つことが出来ず、かろうじて残っていてもいずれ崩壊します。そして二度と戻ることはありません。
生前の面影を持ちながら、人や吸血鬼ほどの知性も持たず、ただ本能のままに人や獣を襲い、暴れるだけの怪物となった哀れな生き物。それがなり損ないであり、吸血鬼ハンターは、そんな中途半端な化け物を滅することもあるのです。
一方で、吸血鬼たちも人に対して冷酷であったり、残忍である者が多いのです。というか、それが大多数でしょう。例外は私の領地にいる者たちくらいです。
たとえば私などは、人が失血死するほど生き血を啜ったりはしませんし、できません。強力なハンターに狙われてしまうような、派手な振る舞いはしないのです。
世の中には、フレッドのような柔軟で優しく、話のわかるハンターばかりではないのですから。むしろその対極にある者ばかりです。当然ですが。
私もこのような身の上ではありますが、卑しくも命が惜しいのです。
フレッドとはなあなあで縁ができましたが、恐ろしいハンターに出会いそうになったら、即効で逃げますよ、ええ。
そうやって私のように、人の命を奪わぬよう、致命傷、あるいは後遺症が残り得る害を与えないよう、ひっそりと生きている吸血鬼もいるのです。
……ですが、それでも吸血鬼は、人……特に吸血鬼ハンターには、その存在を認められません。
目の前にその例外はおりますけれど。
……吸血鬼の一族の中には、人の命を塵芥のように思っているような輩もおります。
良くて家畜扱い、という者も多いですし、極夜の国は、そういった者が支配する領地ばかりです。
そして何より……ある血族の吸血鬼に噛まれると死に至る、そういう者もおります。
そう。たった一度でもその血を啜っただけで、人の命を絶ってしまうことができるのです。
血液というよりは、生き血を啜ることで、血液を介して人の生気や生命を吸い取って生きている、と言い換えても良いでしょう。確実に命を奪うのですから、そういうことだと思われます。
人の生き血を啜るという行為は同じでも、それがもたらす結果が、吸血鬼の血族によって、大きく異なるのです。
被害者を確実に死に至らしめる血族、確実に吸血鬼にしてしまう血族、なり損ないや理性なき吸血鬼にしてしまう血族。
幸い、私のカラスの一族はそういった強力な吸血鬼には当てはまりません。
血を啜られても、単に軽く血を抜かれただけ、といった程度です。ほとんど蚊や蛭と同じですね。害虫みたいなものです。自分で言って嫌な感じですけれど。
他にも、カラスの血族の特徴としましては、魔力はありますが怪力はそれほどでもなく……まあ、人間の怪力自慢には指先ひとつで余裕で勝てる程度にはありますが、吸血鬼たちの中ではそう強いほうではないのです。身体の頑健さもさほどではありません。
そして、いわゆる弱点と呼ぶものもそれほど多くありません。なりたて吸血鬼でも、すこし嫌だなと思う程度だったりするのですから。
そういう意味では、人に紛れ、こっそりと生きて行くには向いた一族でしょう。
吸血鬼の血族は、不定形、ヘビ、トカゲ、コウモリ、オオカミ、カラスの六つ。
六血族の間に優劣や権力の差はないとされますが、やはり実力主義の吸血鬼のことですから、力ある吸血鬼が尊敬され、崇められています。一番は真祖ですが、始祖や長老、大吸血鬼たち、爵位を下賜された貴族たちは特にそうですね。
ちなみに、吸血鬼の血族の中で一番強く、そして弱点も多いのは、”不定形”の血族です。
彼らは血を啜った者を確実に死に至らしめ、恐るべき魔法を操り、おそろしく頑丈でいて、そして最も強い力を持ちます。
自らは多くの弱点を持っているのにも関わらず、吸血鬼最強の名を恣にしているのです。彼らはこれまでに、数多くの名のある吸血鬼ハンターを返り討ちにして来たといいます。
……逆に一番弱いのはカラスですね、はい。自分でもそう思います。
弱点に耐性がある代わりに、力がなくて打たれ弱いのがカラスの血族です。それでも、人にとっては十分に脅威でしょうけれど。
なので好戦的な吸血鬼ハンターに出会ってしまったら、私は逃げの一手しか打ちませんし、打てません。
傭兵に毛の生えた程度、と言った大したことのない実力のハンターもおりますが、大吸血鬼であるミラーカと相打ちになった、恐るべき者も確実にいるのですから。
多くの吸血鬼たちは、吸血鬼たちの本拠地である極夜の国に居を構えています。よって、そうそう遭遇するものではありません。
極夜の国と呼ばれる昼のない地で、彼らは貴族を名乗り、その地の領主となって人間を支配しています。人よりも吸血鬼に権力が集中した、いわゆる王政国家で、それぞれの血族の始祖が元老院に集うのです。
ミラーカもそうでしたが、私も極夜の国の、いわゆる辺境伯と呼ばれる地位にあったりします。カラスの血族直系、ミラーカの系譜というだけで、爵位が下賜されました。
こんな私ですが、いちおう領地も城もあるのです。とはいえ、私はほとんどそこへ戻りませんし、仕事は全てかつてのミラーカの部下たちに任せっきりです。
……今のうちに、きちんと後継者を指名しておくべきでしょうか。私が突然いなくなっても、何事も無く代が替わるでしょうけれど。
不義理をしっぱなしですし、エリが私を受け入れてくれたら、領地に戻ることを考えています。やはり一度帰って、しっかり話しておくことにしましょう。
吸血鬼の中で一番偉い方は、”真祖”と呼ばれるひとりの吸血鬼です。
その方は、直接は吸血鬼を支配してはおりません。吸血鬼の祖であり王でありながら、実権を握ってはおらず、極夜の国の王としては君臨していないのです。詳細は存じません。その方があらゆる吸血鬼の祖であるとしか、私は知らないのです。
あらゆる吸血鬼がその方を尊敬し、心酔しています。私は庶民感覚が強すぎるせいか、実際にその姿を拝見したことがないせいか、ピンとこないのですけれど。
まあ、想像しかできませんが、きっとあらゆる吸血鬼の中で最も強く、そして美しいのでしょう。
ただ、そのご真祖がどこにいらっしゃるのか、私は存じません。
吸血鬼たちは、自分の領地以外のことはほとんど把握していないのです。必要がありませんから。
ご真祖はすべての吸血鬼の王ですから、全世界を領地と捉えているでしょう。闇の王、夜の支配者として、この世のどこかにはいらっしゃるはずです。
……それほどの人でしたら、吸血鬼から人へなる方法も、きっとご存じだと思うのですが。
まあ、居場所を知らないのは仕方ありません。とにかくできることから、ひとつひとつ実践して行くのです。
そう、これから私は、ローラから聞いた苦行に入るのです。
私は酒場の近くに宿を取り、フレッドにお願いします。
「ではフレッド。まずは救世主教の教会で、聖印と聖水を手に入れてきてくれませんか」
「お安いご用だ。あ、代金は余計にくれよ? 立て替えるような金はねえし、お布施をたっぷり積まねえと、質の悪いもんを掴まされるからな」
「……腐っているんですか?」
「世の中みんな、そんなもんだ」
フレッドはしれっとそんなことを言いながら、私から金銭をせしめると、揚々と出かけて行きました。
私が人であった頃は、教会にお布施できるほどのお金を持ちませんでしたし、ただ礼拝をするばかりでしたから、そういった裏話は初耳です。世知辛い世の中だなあと思いながら、私はできる範囲で吸血鬼対策の品をかき集めました。
……何だかあべこべですよね、これ。
とにかく、協力者であるフレッドに頼んで、翌日には聖印や聖水を含めた、吸血鬼の弱点となるものをひと通りそろえることができました。
教会にはさすがに行けませんので、宿で試します。今は昼ですし、陽に当たる実験もできるでしょう。
「ありがとうございます、フレッド。さっそく試してみますね」
「……いや……こんなんで、ほんとに吸血鬼が人になるのか? 俺だって今まで散々、吸血鬼狩りで使ってきたものなんだが、誰ひとり人になったやつなんて見ないぞ?」
童顔の彼がすこしばかり子どもじみた仕草で、持って来た”弱点”をためつすがめつしています。吸血鬼ハンターだというのに何だか微笑ましいです。
……彼の言ったことはローラにも言われたのですが、それでも吸血鬼が人になるのはその話だけだったのです。とにかくやってみるしかありません。
「それを今から実験するのです。ちょっとだけではなく、限界まで挑戦するのですから!」
やる気満々の私をよそに、フレッドは何故か引きつった顔をして、それでもちゃんと私の実験に付き合ってくれるようでした。
何だかんだ言って、彼はいい奴なのです。