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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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63.またひとり領民が増えました。


 次の満月の夜。

 私とローラは同じように気脈に乗り、夜空を駆けてユリウスの元へ伺いました。


 彼の小屋に辿りつくと、ローラは挨拶もそこそこに、月下薬をユリウスに飲ませます。

 目を白黒させていたユリウスですが、薬の効果は劇的だったようで、不思議そうに自分の体を見下ろしてから、粗末な寝台の上でぴょんと跳ねました。


「すごい! 体が楽になったし、息もしやすいよ」

「あなたは心臓に疾患があったようですしね。血液自体の病ではありませんが、循環系も吸血鬼にとっては得意なものですから。薬も十分効いてくれましたね」

「うむうむ、よかったのう」


 ローラは上機嫌で笑い、ユリウスも嬉しそうでしたが、私が彼に極夜の国への移住を勧める話をするうちに、その笑顔は曇ってしまいました。


「……吸血鬼の国って、人が吸血鬼に支配されてるんだよね? 噛まれたらいいなりになっちゃうんだよね?」

「そういう吸血鬼もいる、ということですね。ただ、ローラについていれば大丈夫ですよ」

「他の人は? 噛まないわけにはいかないの?」

「それは無理じゃ。たとえ噛まずに血を吸血しようとも、吸血鬼が飲んだ血の持ち主は、飲んだ吸血鬼の影響を受ける」


 ローラがきっぱりと言いますが、実はこれってかなり恐ろしいですよね。

 吸血鬼から逃れても、どこかで流血してしまい、それがうっかり吸血鬼の口に入ってしまったら、それだけで吸血鬼の支配下になってしまうのですから。

 ただ、血液には鮮度があります。人の体に戻しても問題のない血液でなければ、人は影響を受けませんし、吸血鬼も食事になりません。


 そういった性質のために、人は吸血鬼から逃れられないのです。逆もしかり。

 それがどうも、ユリウスにはひっかかるようでした。とはいえ、人からすれば当然ですよね。


「それって、なんかやだ。人……じゃなかった、吸血鬼が人をいいなりにするなんて。僕はそうなりたくないよ」

「そ、それはそうかも知れぬが……」


 珍しく、ローラがうろたえています。

 彼女が気に入った人間を噛まないというのもそうですが、大切にしたいとすることも非常に稀です。

 というか、大切にしたい気に入った人間は、まず噛んで彼女の支配下に置いて愛でるのです。こういった関係は、ローラにとっても初めてなのでしょうね。


 それに彼女はコウモリの血族であり、吸血には少なからず人間側の許しが求められます。

 人側に、噛んだ吸血鬼のいいなりになり、支配下になるという譲歩。

 これはたしかに、人間側からすれば嫌悪されることでしょう。相手が好ましいと思う者だって、強制的に無条件で何でも言うことを聞く、聞かねばならない関係にはなりたがらないものです。


 ……まあ、そういった変わり者もいないこともないのですが。

 双子の信奉者とか。ええ、双子の信奉者とか信奉者とか、あと信奉者とか。

 ……カラスの血族ですから、隷属は一時的なものですからね。

 だから毎度、双子の元に押しかけて鬱陶しがられているのですが……。食事にはなりますから、双子も複雑そうでした。

 やっぱり吸血鬼的には、押しかけられるより押しかけたいのかもしれませんね。生来の狩人ですし。


 閑話休題それはさておき

 ともあれ、こういう時にこそ、カラスの血族の汎用性が窺えますね。

 たとえ噛んでも、相手は一時的に恍惚となってしまうだけで、言うことを聞かせられる時間も短いです。相手を死に至らしめることも、吸血鬼として蘇させることも難しいです。

 吸血鬼の中では力のないとされるカラスの血族ですが、人と上手くやるにはこの上もない種族です。


 もちろん、城で働くフィリップたちやマリアたちのように、吸血鬼に理解を示してくれる人間が必要不可欠ですが。

 一方だけでは、とても成り立たない関係性なのです。


「……じゃ、じゃが、私はぬしだけは噛まぬと誓おう。城の中におれば、他の吸血鬼がぬしを襲うこともあるまいて」


 ユリウスがふるふると首を横に振ります。子供らしい可愛らしいしぐさです。


「ローラちゃんは好きだけど、そういうのともちょっと違うんだ。他の人も噛んで欲しくないんだよ」


 ローラが首をかしげます。子供らしいのにその表情は子供らしくない険しさです。


「何故じゃ? 他の者などどうでもよかろう。それに、吸血鬼に血を飲むなというのは、すなわち死ぬことも出来ずに苦しめというのと同義じゃぞ。自分で杭を心臓に打ち込めと申すか」

「そ、そこまでは言わないよ! でも、えっと……」


 ユリウスが困り切った顔になります。

 彼の言い分は私には十分理解出来るのですが、ローラにはさっぱりわからないようです。

 ここでも、元人間と生粋の吸血鬼の差が浮き彫りになりますね。


 かつて私は、吸血鬼ハンターの筆頭であるヘルシングの者……ディートリンデに、“尊厳”という言葉を使いました。

 ヒューゴやヴィクターが、吸血鬼になることを受け入れたことを、徹底的に否定して拒絶した時に、使った言葉です。

 そんな権利も力もないのに、偉そうに説教してしまったわけですが、つまるところはこういうことです。


 ……その人がどう思うか、どう考え行動するか、それ自体は何者にも否定はできない。

 吸血鬼を嫌うのも受け入れるのも、吸血鬼にへりくだるのも足蹴にするのも、個々の判断にしか頼れない。

 結果、ひどい不利益や報いを受けることになって、それを非難こそできても、決定だけはその人だけが行えるのだと。




 私はかつて、人から吸血鬼になった時に、考えに考え、苦しみに苦しみ抜いて、そう思ったのです。

 人であることを止めたくないのであれば、吸血鬼として地獄のような苦しみを受け入れねばならず、そして死なねばなりませんでした。吸血鬼であることを認めれば、今までのいっさいのことを捨て、人として唾棄すべき存在とならねばなりませんでした。

 ……結果として、私は吸血鬼となることを受け入れました。


 人を噛み、吸血して、相手の意識や記憶に干渉するおぞましい行為さえ認めてしまったのです。

 それは人の尊厳を踏みにじる行為であり、もはや尊厳云々を、人に偉そうに説教できる立場にありません。

 ……けれど、それまでの耐え難い苦しみだけは、何者にも否定して欲しくなかったのです。

 それまで生きて来た自分を自ら否定する行いに至るまでの苦難だけは、何者にも犯すことはできないと、私は思います。


 ヒューゴとヴィクターだってそうでしょう。

 彼らはかつて、吸血鬼ハンターに連なる者としてあるまじき、吸血鬼に膝を折る行為に至ろうとしました。

 それまでに、どれほどの葛藤があったのか、私は全てを知りません。

 けれど、どれだけ悩み、苦しみ、そして自分を卑下して傷ついたことだけは確かでしょう。そういう人たちです。


 その思いを、こころを否定することは、それこそ吸血鬼のようではありませんか。

 人だった頃のことを諦めきれない、情けない吸血鬼の言い分ですが、つまりはそういうことです。


「えっとね、僕が言いたいのはそういうのじゃなくて……」

「どういうことなのじゃ? 吸血鬼が人を支配するのは当然のことじゃぞ? そのための存在なのじゃから」

「そ、そうなの? それってなんか、すごくおかしいよ!」

「何故じゃ? 人だって植物や動物を食らうであろう。ぬしは何も食うなと言われてその通りに出来るか?」

「それは、無理だけどさ……」

「聖書にも“天地のものを支配せよ”とあるらしいではないか。人の教えの中にも、人が他を支配せよとあるのに、吸血鬼にはそれを認めぬのか? それは何故じゃ?」

「え、えっと……」


 気づけば、一見子どもの言い争い……内容はかなり物騒ですが、そのお話は佳境になっていたようです。

 やはり年の功と申しますか、ローラがいとけい少年を押し込んでいるようですね。どうにも歳のいった悪女に幼い子どもがやり込められている、洗脳されかかっているというような居心地の悪さですが、ローラの言い分は、吸血鬼にとってはもっともなことです。


 公爵夫人のプリムローズでさえ、似たような事を言っておりました。

 彼女らにとって、人も獣も植物も微生物も、すべて等しい命です。人の生き血は食料になるので、その区別だけはしますが、それだけです。

 そういう意味では、都合によって命の線引きをする、命を奪っても良いものと駄目なものを区別する人より、よほど平等なのかもしれません。まあ、より無慈悲なのも吸血鬼です。

 その無慈悲さがなければ、私はもっと吸血鬼であることを受け入れられるのですが……。吸血鬼の性質上、無理でしょうね。


「そう難しく考えずともよい。ぬしとて、私と一緒にいるのは嫌ではないのであろう? ならばその思いのままに振る舞えばよいではないか」


 ローラが彼女らしからぬ辛抱強さで、ユリウスを丸め込……ごほん、諭そうとしております。ユリウスがうろたえたように私を伺い見ましたが、私は小さく顎を引くだけにして、助け舟は出しません。

 ここは、ユリウス自身に決めてほしいからです。年端も行かぬ少年に、惨いこととは思いますが……。

 真実困り果てたように、ユリウスが肩を落としました。


「で、でも、おじさんとか……心配するかもしれないし……」

「ぬしをまともに慈しんでおらぬ者に、義理立てする必要などないと思うが。むしろ、ぬしがいなくなることを望まれているのではないか?」


 ユリウスがはっと目を見開きました。

 ローラが人間の心の機微がわからないのは仕方ありませんが、今のは言い過ぎでしょう。

 それに、血族に……両親に置いて行かれた彼女が、寄る辺ない子どもの寂しさや心細さ、身の置き場がない苦しみを、まったく理解できないとは思えません。

 けれど、私が差し出口をする前に、ローラはかつてないほど真摯な目で、ユリウスを覗き込みました。


「私は違うぞ。ぬしに、ユリウスに一緒にいてもらいたいと思うておる。ぬしを大事に思うておる。ぬしはどうじゃ? どうしてもここにいたいと申すのであれば、私は何もしないと誓おう。ぬしの気持ちを尊重しよう」

「……」


 ユリウスはじっとしたまま、口を開こうとしません。僅かにうつむいて、懸命に考えているようでした。

 それにしても私は何度目かの驚きを隠せません。人の気持ちを尊重するだなんて、彼女の口から出てくるとは思えませんでした。

 悩むユリウスを前に、ローラはふと微笑みます。


「悩んでおるということは、すこしは私について来る気があるということじゃな。急ぎはせん。じっくり考えてみよ」


 ローラはひょいと立ち上がると、すたすたと窓辺に向かい、そこから外へ出て行きました。

 あまりに呆気なく出て行ってしまったので、思わず私はその背中を見送ってしまいます。

 ちらりとユリウスに視線をやりましたが、彼はすっかり物想いに沈んでいるようです。


 どうやら、歯に衣を着せぬローラの一直線な主張は、彼の心に響いたようです。

 そうであるならば、私からも何も言うことはないでしょう。彼の思いに任せるのみです。


「……とにかく、あなたの悪いようにはなりませんし、させません。ローラだってそのくらいはわかっていますから。次の満月にまた来ます。ゆっくり考えて、結論を出してくださいね」

「……うん」


 最後に小さく首を振ってくれたので、私はほっと息をついて、ユリウスの小屋から辞しました。

 結局のところ、吸血鬼が無理矢理人を支配していいなりにするのでなければ、人の心に任せる他ありません。


 フレッド流に言えばこうでしょうか。すこし意味合いですとか言い回しは違いますが。

 ……来る者拒まず、去る者追わず。


 ……やはり何か違いますけれど、つまりはそういうことですね。

 エリたちもフレッドたちも、どうしても嫌であるならば、私の誘いを蹴ることも可能でした。みんなが受け入れられないというのであれば、私はそれに報いるつもりでしたしね。

 とはいえ、極夜の国に来てしまったら、もう引き返せません。

 吸血鬼に支配されることを受け入れて、生きることを認めてもらわねばなりません。


 それでも嫌だったら、私は自分の命で贖うつもりでしたし、エリたちにも贖ってもらうことになるでしょう。

 そして、それだけです。その決断は全て、各々に任せるだけなのです。


 きっとローラは、人の自由意思に任せることなど、はじめてだったのでしょう。

 気に入った人間には、問答無用で噛みついて言うことを聞かせ、側に侍らせている彼女です。

 今回のことがきっかけで、すこしは変わってくれるのでしょうか。

 クリスの時のように、また無理を聞くことがなくなれば良いのですが。




 ……ユリウスが、ローラの誘いに乗ると告げたのは、次の満月の夜でした。


 私もその場に相席いたしましたが、よくよく考えたのか、すっきりとした顔でユリウスは言ったのです。

 その決断が彼にどんな未来をもたらし、それをその時、彼がどう受け止めるかはわかりません。

 ただ、今の決断を尊重して、そのための努力と協力は、私も惜しまないつもりです。




 ひとまず、彼は私のアマデウス領に編入することとなりました。

 やはりまだ、吸血鬼の支配を受け入れることを、完全に納得はできなかったようです。ローラと私の血族や領地の話を聞いて、アマデウス領であればいい、と思ったようですね。

 まあ、私の領地にはカラスの血族が多く、比較的穏やかですし、人間にとっては多少受け入れやすいと思われます。


 ローラはすこし渋っておりましたが、自領の血族たちがどんな振る舞いをしているのか知っているためか、あっさり折れてくれました。

 もともと、そういった目的で私をユリウスに引き合わせたのでしょうし、これを想定していたのでしょう。

 人の心がいまいちわからない彼女ではありますが、何を望んでいるかを想像することくらいはできるのです。

 これからすこしずつ、彼女自身の行いで、ユリウスの信頼を勝ち取ってもらうしかないでしょう。


 ……ユリウスに甘いローラですが、これで多少は、自分を顧みて自嘲してくれると良いのですが。

 そんな事を帰り際に申しましたら、思い切り蹴飛ばされました。痛いです。



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