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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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62.友人の思わぬ面を発見しました。



 村のはずれに、その大きな石碑はありました。

 辺境の村には似つかわしくない、かなり立派なものです。古代の遺跡のものだと言われても不思議ではありませんが、さほど古くない石碑です。とはいっても、軽く五百年くらいは時を経ているでしょう。

 ところどころひび割れ、風化して、長い歳月を経たものの貫録がそこにあるようでした。


「これは、ローラのご両親のお墓なのですね」


 私が声をかけますと、石碑の前にいた彼女が、ぴくりと肩を震わせました。

 その隣に立って、私はその石の表面を見つめます。特殊なものではないごく一般的な御影石で、表面には名前を刻まれてはいないようです。

 聖書の文言で、“死者よ安らかに眠れ”とだけありますが、それを目にしてもローラは特に変わったようすはありませんでした。これくらいは平気なのか、吸血鬼にとっては弱点とならないのかはわかりません。真血持ちの私には、いっさいの弱点が効きませんので。


「……ユリウスから聞いたか?」

「はい。大昔のお伽噺ですけれど」


 彼とローラについて話しているうちに、この地に伝えられている吸血鬼伝承の話題になりました。

 何でも、何百年もの昔、この地に吸血鬼がやって来たのだというのです。


 それは吸血鬼の夫婦で、何を思ったのかこの村に住みつき、人間たちを支配しました。

 とはいっても、力で無理矢理ねじ伏せるものではなかったようです。血の提供は強いられましたが、それ以外の暴力は振るいません。当時流行していた疫病から村を守るなど、人を守る役目も立派に果たしたそうです。


 その吸血鬼の夫婦は、コウモリの血族。吸血しただけで人を死に至らしめ、吸血鬼としてしまう力はありません。もっとも、一度噛みつかれた者は、噛みついた吸血鬼が滅ぶまでその者のいいなりになってしまいます。

 ですが無理強いを働くことがなかったので、まあそれなりにその吸血鬼夫婦は、村人たちとうまくやっていたそうです。


 ……ですがもちろん、それを許す者ばかりではありません。

 ここは吸血鬼の、極夜の国ではなく、太陽の、そして人の領域なのですから。


 コウモリの血族は、数ある弱点の中でも、太陽光に特に弱い一族です。

 若い吸血鬼であれば、昼間はほとんど死人のようになってしまい、動くこともままなりません。太陽光に当たらなくてもそのありさまだそうです。

 それは、何百年も生きた吸血鬼夫妻も同じでした。さすがに昼間に起きられないほどではなかったのですが、太陽光は致命的な傷を吸血鬼に与えます。

 そこを突かれ、吸血鬼ハンターに滅されて作られたのが、この石碑だそうです。


「……ローラの両親が、人の国で亡くなったとは知りませんでした」

「変わり者だったのじゃ。血族も違うし、顔もまったく似ておらぬのに、どうもぬしとどことなく雰囲気が似ておる方々じゃった」


 ローラが石碑を見つめながらぽつりとつぶやきました。


 そういえば、以前思ったことがあります。ローラは直系のコウモリの血族であるのに、侯爵位にあるのは何故だろうと。

 吸血鬼には、真祖からの流れを汲む直系の者と、それ以外の傍系の者があります。さらに血族で分けられたりして少々ややこしいのですが、ふつうでしたら直系の血族は貴ばれ、公爵位を与えられます。

 ……私も直系で辺境伯にあるのですが、前領主のミラーカが領地を移動しなかったのも彼女の趣味かと思っておりました。私も全く気にすることなく領地を継いだのですが、ローラはどうやらすこし、違ったようですね。

 直系の、しかも吸血鬼の純血種たるローラが、侯爵に甘んじている理由がこれで分かりました。


 ……彼女のペンドラゴン領は、侯爵に与えられるもの。

 公爵であるはずのローラが侯爵であるのは、彼女の両親が法を破ったからなのでしょう。

 領地を捨て、人の国で屍を晒すこととなったローラの両親は、そのために地位を落とされた。それは領地を引き継いだローラにまで降りかかり、彼女はその地位にいるのです。


 ……それを思えば、私も、結構危ない橋を渡っていたのですよね。

 領主として夜会を開催した際に、わざわざフランチェスカ大公ほどの方が見えたのも、実は当然だったのかもしれません。

 領地を、領民を、そして地位を捨てることは、吸血鬼の掟というよりも、極夜の国の法に触れます。処刑されるほどのものではありませんが、その責は後継者にまで負わせられるものなのです。


「……父上も母上も、ずいぶん変わった吸血鬼であった。人間なぞに肩入れし、彼奴らを平等のものとして接したのじゃ。気に食わぬが、ぬしにずいぶん似ておったのじゃな」


 ぽつりとつぶやくローラの横顔は、壮絶なほどに美しいものでした。

 気に食わぬなどと言いましたが、その顔には険しいものはなく、月夜の湖面のように静かです。


「食事の度に、傀儡くぐつが増えることを嘆いておった。人間なぞ、ただの贄でしかないというのに」

「……それで、領地を捨てて人の国に行かれたと?」


 極夜の国を出奔する吸血鬼も、多くはありませんがそこそこいるはずです。

 もっとも、極夜の外は昼がありますから、コウモリの血族でなくとも住みづらいですし、吸血鬼ハンターのような恐ろしい敵もおります。食事をとるのにもこそこそしなければなりませんから、本来であれば吸血鬼は、極夜の領域を目指すものです。

 ……中には、かつての私や、ローラの両親などの変わり者もいるわけですが。

 そのまま、極夜の領域外で命を落とす吸血鬼も数多いのです。


「よくは知らんが、まあそうなのじゃろうな。私には正直、父上と母上が何をしたかったかはわからぬままじゃったが……」


 ローラが俯いて、何かを堪えるように歯を食いしばりました。

 ……彼女は父母に置いて行かれたのでしょう。年代からして、もう立派な吸血鬼の大人……外見はともかくですが、大人だったローラは、自分の元を去って行く両親に対してどう思ったのか、想像するしかありません。


 元人間の吸血鬼である私と違って、ローラは純血種と呼ばれる吸血鬼同士から生まれた吸血鬼です。

 その感性はやはり、人と違っているのでしょうが、彼女が今寂しいと感じていることは、私にもわかりました。


 その時ふと、思いました。

 生まれた瞬間から吸血鬼ということは、人から生まれた真祖と一緒です。最近知ったことですが、真祖はどうやら、真血を宿した吸血鬼の体を器として、長い時を生きているようです。

 本来不老の吸血鬼が、何故そのようなことをするのかはわかりませんが、六血族を生み出した真祖は、それぞれの体を得なければ生きて行けないのかもしれません。真祖はその誕生や生態からして、人からも吸血鬼からも一線を駕しておりますから、ふつうに考えては追い付かないのです。

 真祖と邂逅したと私が勝手に思っている、アマデウス城の禁域での出来事を経て、そんな風に思うようになりました。


 ……真祖は、生まれた時から吸血鬼でしたが、その両親は人でした。

 真祖の誕生と共に吸血鬼の因子が生まれたわけですから、以前に吸血鬼はおりません。


 ニワトリが先か、卵が先か。

 人間の間にはそのような疑問がありますが、吸血鬼に限っては卵が先です。

 卵から返った吸血鬼という名の怪物が、世界に多くの怪物を生み出したのです。


 真祖もまた、人の心とはかけ離れた精神性を持って生まれたのでしょうか。

 人と違って生まれた真祖は、両親にどう思われたのでしょう。化け物と蔑まされたのか、それとも深い愛情で慈しまれたのか。

 真祖は吸血鬼の祖。周囲に吸血鬼がいない時代に、真祖に味方はいたのでしょうか。肉親は味方だったのでしょうか。

 真祖が六血族を生み出したのは、いったいいつだったのでしょう。仲間を作るということは、血族の愛情を求めてのことでしょうか。


 もしローラの両親と同じように、人と混じって生きることを望んで、そしてそれが叶わなかったとしたら。

 それはとても、寂しいことだと思いました。


「……どうか、安らかに」


 私はそっと目を閉じて、石碑に祈りを捧げました。

 ローラにとってどんな両親であったか、領主として貴族として、そして吸血鬼としてどんな存在であったかは、ここでは考えても意味はないでしょう。もうとうに、滅び去ってしまった者たちです。

 だからこうして残された者は、かつての彼らを想って、祈ることしかできません。


 ローラもどこか吹っ切れていない思いがあるようですが、そこに憎しみや怒りはないようでした。

 私が顔を上げるとこちらを見つめていて、彼女はふと微笑みます。


「……人はそうやって祈るのか。私にはようわからぬ」

「ローラはそのままで良いと思います。そのほうが吸血鬼らしいでしょう」

「違いない」


 くつくつと笑って、ローラが石碑に背を向けました。

 こうして石碑に参るのが何度目かはわかりませんが、ローラが苦しんでいないのであれば構わないでしょう。ただどこか、釈然としない思いがあるだけで。

 悼んで、祈る。それが残された者に出来る、限られたことです。


 それと似た思いを、私はかつて抱いたことがありました。

 ……こればかりは、時間が解決してくれることを待つ他ありません。

 それに応えてくれる者は、もういないのですから。


「……それで、ユリウスはどうじゃった?」


 ローラの気がかりは、あの石碑よりも美少年のほうにあるようでした。

 彼女らしい、と苦笑してから、私は口を開きます。


「……ローラは彼に、ペンドラゴン領まで来て欲しいと言ったのですよね? 彼に噛みついて吸血することなく」

「そうじゃ」


 ローラがこくりとうなずきましたが、私にとってそれは驚くべきことでした。

 以前彼女に、クリスのドラッケンフォール領から、気に入った人間を連れて行く手伝いをさせられました。おかげでクリスに噛まれて血を飲まれて、散々だったのですが……まあ、それも今は置いておきましょう。


 とにかく、ローラがここまで人におもねるなど、今まであった試しがありません。

 気に入った人間がいれば、他領の者であっても、簡単にはあきらめない彼女です。相手がひとりふたりであれば、私の時のように、領主に掛け合って編入させるくらいは簡単ですしね。

 それが極夜の外であれば、なおさらです。


 人の国では、極夜の国のように吸血鬼が強権を持つことはありません。それは人が持つものですが、吸血鬼は人の天敵です。

 ハンターという恐ろしい例外を除けば、人は吸血鬼に対してあまりに無力です。弱点で武装しても簡単には追い払えません。

 それほどまでに、人と吸血鬼の力の差はあるのです。


 そして、ローラはコウモリの血族。一度噛みついただけで、その人間は死ぬまで吸血鬼に隷属します。それから逃れるには、噛んだ吸血鬼を滅ぼすしかないのですが、噛まれた当人にはそれができません。

 ローラがユリウスを連れて行きたいのであれば、噛んで命令するか、はたまた力づくで連れ去れば良いのです。

 事実、以前も、領主であるクリスから許可をぶん捕ったら、嬉々として噛んで連れ去りました。


 あの時の犠牲者の、吸血鬼に己の運命を好き勝手にされる暗い表情から、一転して盲目的な恋に落ちた者のように目を輝かせるさまを見た時は、吸血鬼のあまりに深い業に、眩暈がする思いでした。

 もっとも、そんなふうに感じる吸血鬼は私くらいのようですが。


 ……話を戻しましょう。

 とにかく、ここは人の国。吸血鬼が人を管理する極夜の国ではありません。

 人を自領に連れ去るのも、吸血するのも、はたまた殺害するのも、吸血鬼の思いのままです。

 その結果、吸血鬼ハンターを呼び寄せてしまう可能性もありますが、それも自己責任。力を思うままに振るい、人を虐げるのが、吸血鬼の生業なのですから。


 ローラがユリウスという少年を連れ帰るのに、難しいことなどいっさいありません。

 彼には家族はないようですし、エリの時と同じような仕打ちを受けているのも見て取れます。いきなり失踪したり、あるいは何者かに連れ去られた痕跡が明らかでも、悲しいことですが大した騒ぎにならないでしょう。

 だというのに、ローラがここまで尻込みするなんて、一体どうしたというのでしょうか。


「……あれは、最後まで父上と母上についてくれた人間の末裔でな。何年かに一度、代々顔を見に来ておったのじゃが、どうも昨今、雲行きがよろしくなくてな」


 私はまたも驚きました。ローラがまるで、人を我がことのように心配しているのです。

 父母に関わりがあったとはいえ、気に入った人間を除いて他を足蹴にするのに、気に止めもしない彼女です。

 それにてっきり、墓参りの時にたまたま見つけた美少年を気に入っただけ、と思っていたのですが、深い遠慮がそこに見えました。

 これは、私に協力しないという選択肢はあり得ないでしょう。


 聞くに、ユリウスは近しい親族はなく、遠縁の叔父からも疎まれているようです。頼れる者もなく、身体が弱いので自力で生きてゆける可能性も薄い。

 ……エリを助けた私が、ユリウスを見捨てるわけにも参りません。


「……わかりました。ユリウスに、極夜の国のペンドラゴン領まで来てくれるよう、説得すれば良いのですね? 彼は吸血鬼事態を嫌悪してはおりませんでしたし、伝承のことも悪いものとして捉えていないようでした。病のこともありますし、話の持って行きようはあります」

「……すまぬが、頼む。せめてあやつには、良い境遇を与えてやらねばな」


 ローラの愁傷な態度を見るなど、生まれて……というか吸血鬼になってからはじめてです。

 幸薄い子どもが救われるなら、私も尽力を惜しみません。

 もっともそれは、極夜の国に行っても良いと彼が言ってくれねばならないという、大前提があるわけですが。


「次の満月に色々話してみましょう。薬を持って行く必要もありますしね」

「わかった。準備が出来たら声をかけるがいい」


 ふん、と鼻で息をついて、ローラが胸を張ってふんぞり返ります。

 やはりそういった態度のほうが、彼女らしくてほっとしてしまいますね。


 ……さて、またすこし難しい交渉をせねばならないようですが、上手く行くでしょうか。

 すこしばかり、気合を入れねばならないようです。



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