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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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61.また遠出しました。



 神出鬼没は吸血鬼の常と申しますが、ローラはそれに必ず、“傍若無人”が付け加えられるようです。


「ちと遠出する。ついてまいれ」


 この言葉だけで私を城から連れ出した彼女は、金色のコウモリに変化して月夜を飛びました。

 随従する私も、いつもの銀灰色のカラスの姿で羽ばたきます。


 極夜の国の獣たちは、人の暮らす領域の獣と結構違っております。ここには夜しかありませんので、夜目が効いたり保護色を失ったりする獣も結構いるのです。

 ですが、さすがに金のコウモリや銀のカラスは、いない……とは申しませんが、珍しいです。

 夜闇にも目立つ色ですし、たまに人の子どもたちに追いかけられたりするのですよね。


 まあそれでも、外出先が極夜の国内であれば問題ありません。そこは吸血鬼の領域です。

 ……ですがなんと、ローラが羽ばたくその先は、その外側……人の国、太陽が昇る領域だったのです。




「ローラが極夜の外へ出るなんて、はじめて知りました。一体、何のご用があるのですか」


 やっと変身を解いて話せるようになったのは、気脈に乗って相当な距離を稼いだ後でした。

 人の国をあてもなくうろついていた私も、来たことがないような外側の国です。

 吸血鬼の国は世界の半分、夜が覆っているわけですが、人の領域はその外の、荒野に囲まれたごく狭い限られた場所にあります。ここはその内でも、海峡を飛んで隣の大陸になりますが、私も数回来たことがある程度で、その奥にまでは行ったことがありません。


 世界の外れの大陸の、さらに辺境。吸血鬼も人もほとんどいないような、ごくごく田舎の村でした。


「用といえば用なんじゃが、ちと手元不如意で困っておってのう」

「吸血鬼が金銭面で困ることなんてないでしょう?」

「言葉の綾じゃ。まったく……だたちと、よくわからんでな。こういうことはぬしに聞いた方が良かろうて」


 ローラはぶつぶつと文句を垂れておりますが、よりはっきりとしないその物言いに、彼女が真実困っていることを悟って、私は軽く目を見張りました。

 常に自信に溢れ、傲慢な態度を当然のものとして君臨する彼女です。見た目のまま、子どものように頼りないその姿は、類稀な美貌をもってしても、ただか弱い少女が困り切って助けを求める姿そのものでした。

 どんな者だって、我先に手を差し伸べようとするのでしょう。

 ……もちろん、吸血鬼らしいローラはその手に噛みついて、相手を自分の支配下において意のままに操るわけですが。


「あなたが困っているなんて、とても(・・・)珍しいですね。……それで、私に聞いた方が良いこととは?」

「……いちいち引っ掛かる言い方をするのう。まあ、こっちじゃ。ついてまいれ」


 ローラはじっとりした赤い目で私を睨んでから、先に立って歩き出しました。

 いつものゴシックロリータ……人形が着飾っているようなその姿は、辺境の田舎ではあまりに目立ちますが、ここはその外れの枯れ林です。そこでも違和感は凄まじいのですが、他の者の目がなければ問題ないでしょう。

 枯れ葉の積もった地面を歩く度に、足下でぱきりと乾燥した枝葉が音を立てます。いかにも寂れた林でした。


 乾いた音を立てながら進むと、開けた林のその先に、一見の小屋が見えました。

 私は内心どきりとします。

 ……そこは、エリが押し込められていたあのラベンダー畑の掘立小屋に、よく似ておりました。


「あそこを見るのじゃ」


 ローラが顎をしゃくります。言うまでもなく小屋の中を見ろということですが、その先にある窓を見やって、私はますます強い既視感に襲われました。

 飾り気のない窓辺に、ひとつの人影がありました。

 それは、ひとりの少年のようです。十歳前後でしょうか、ローラの見た目と同じくらいの歳に見えました。

 どこか病み衰えた風で、窓に肘をかけて、ぼんやりと外を眺めています。

 ……ますます、エリと出遭った時の印象と、よく似ております。


 少年は元気がなく、肌色も青白く不健康に見えましたが、ローラが気にかけるに値する、とても美しい子どもでした。

 顔立ちも整っておりますし、ただぼんやりと外を眺めているだけですのに、どことなく品のようなものまであるように思えました。どこぞの貴公子のようです。

 人口五百人にも満たない村に見えますが、貴族か富豪の子息でしょうか。そんな風に私には見えました。


「……あの少年が、一体どうしたというのです?」

「見てわからんか?」


 枯れた木立の影に並んで立ちながら、私とローラはひそひそと言葉を交わします。


「……まあ、何となくわかりますが……私の血ですか?」


 私が持つ“真血”という血は、吸血鬼や人に力を与えるものです。月下薬という遺伝病……ぶっちゃけ万病に良く効く薬を作ることも出来る特殊な血で、真祖に近いとされるものです。

 何故そのような血があるのかといえば、それは真祖が新たな体を得る為のもので……まあ、それはさておき。

 とにかく、あの少年はいかにも病を持っているようですし、ローラは人を癒せる私の血を彼に飲ませたいのでしょう。


「それもある。じゃが、他にもちとな」


 ローラはうなずきましたが、まだ何か、私に頼みたいことがあるようです。

 はっきりとしない彼女に首をかしげましたが、そう無理なことでもありませんし、ローラの頼みを無下に断ると後が恐ろしいので、ここは恩を売るべきだと思いました。


「……人の病には、私の血を直接飲んでも多少の効果はありますが、薬としたほうが確実です。それに遺伝性の疾患でなければ、完治するとは限りませんよ? まあ、ほとんど万能薬のようなものらしいので、改善は見込めますけれど」

「わかっておる。薬はあるかや?」

「ついこの間プリムローズ殿に献上したので、今はちょうどストックが……、けれど次の満月にはまた完成しますので、それまでには」


 吸血鬼最強の不定形の血族、その直系たるウォステンホルムの公爵夫人であるプリムローズとは、月下薬か真血の譲渡の契約を結んでおります。

 私の血が薬になるとわかってから、毎月作り続けてはいたのですが、このように毎回使い切ってしまって足りなくなる、という事態は想定しておりませんでした。アマデウス領の医学会にも提供して、遺伝病やその薬の開発に貢献してもらいたかったのですが、まだかかりそうです。

 ……一度に五○○ccしか作れないのが歯がゆいですね。まあ、血があるだけ薬が作れたら、私は貧血では納まらないかもしれませんから、そのほうが良いのかもしれませんが。


「そうか。では次の満月に頼む。それと……」


 ローラはきっぱりとうなずいてから、また困ったように柳眉を下げました。


「……すまんが、あの子どもとちと話して来てくれんか。特に……吸血鬼についてどう思っているかを重点的に」

「……は?」


 私が思い切り間の抜けた声をもらしますと、ローラは瞬時にむっとした表情を浮かべて、私の脛を蹴り飛ばしました。

 ……ゴシックロリータのすごい服装なのに、何でそんなに動くのですか、あなた。




「……私が人だったら、痛がるどころか足がなくなっていましたよ、ほんとに……」


 ぶつぶつと呟きながら、私は小屋に近付いてこっそりと辺りを窺います。

 周辺に人の気配はないことはわかっておりましたが、どんな手練がいるかわかりませんし、用心は怠りません。

 エリやフレッドたちの時のように、人の国に来る度に、吸血鬼ハンターと遭遇することが続きましたからね。

 おっかない人には極力近付かないよう、気をつけねばならないのです。


 ふつうはこのような辺境にまで、吸血鬼ハンターはいないでしょう。

 彼らは人間社会からも隠れておりますが、あからさまに移動にも不便なただの辺境に、拠点を構えることはありません。返って目立ってしまいますし。

 それに、人は隠伏したり気脈に乗って移動したりはできません。それは吸血鬼の専売特許です。

 ですから、彼らは自らの足で移動する必要があります。

 人が襲われたら緊急に駆けつけなければならない吸血鬼ハンターが、乗合馬車どころか、街道もまともに整備されていないような辺境に隠れ住むことはないはずです。ヘルシングの拠点も森の中でしたが、距離的にはだいぶ都会に近い場所でした。


 ともあれ、付近に不穏なものもありませんし、空から見た限りは怪しげな建物も見えませんでした。ごくふつうの田舎村であり、その周辺のようすです。

 それをもう一度確認してから、私は背後を振り返りました。

 木立に隠れたローラが、人……じゃなくて吸血鬼を、虫でも払うかのようにしっしっと手を振っています。

 すこし悲しいです。


 私は溜息をひとつつき、ゆっくりと少年のいた窓辺へと回りました。

 少年は近くで見ると、より美しい子どもであるのがわかりました。病弱に見えるのも保護欲をそそります。

 ……ローラに話をして来いと言われた時は、よもや彼女が人である少年に恋しているのかと一瞬思いましたが、さてはて真意はどこにあるのでしょう。

 私は努めて気楽に話しかけようとして……自分の装いに気づきました。


 執務中に連れ出されたものですから、私服姿ではなくきちんとした礼服、真っ黒なスーツであり、はっきりいってここでは浮きまくっています。平民の着るものにも見えません。

 カラスに変化した時と同じ服なのですが、その前にごく普通の私服に着替えてくるべきでした。服装を変える魔法もあるのですが、今まで必要に迫られたことがなかったので、私は覚えておりません。

 困ったなと思いますが、ローラも気にしていなかったことですし、構わないでしょうか。吸血鬼とばれてもいいのであれば、何とでもできるでしょう。


 私は意を決して口を開きました。


「こんばんは」

「……? こんばんは」


 唐突に声をかけたというのに、少年はすこしだけ目を見開いただけで、あどけない声で挨拶してくれました。

 声変わり前の、可愛らしい男の子の声です。癖のある亜麻色の髪に、榛色の大きな瞳。顔立ちはすっきり整っていて、平凡顔の私が歯ぎしりしなければならない相貌です。ローラが気に入るのもうなずける美少年ですね。


 ……それにしても。

 以前エリに、今夜は月が綺麗ですねと挨拶する不審な男を吸血鬼と思わない人間はいない、と指摘されてしまいましたが、今回はさてはて、どうでしょう。

 少年はこてりと首をかたむけて、不思議そうな声をあげました。


「……お兄さんも、吸血鬼?」

「はい、ええ、そうですね」


 やはりばれておりましたが、少年が至って落ち着いておりましたので、私も平然とすることができました。

 ふつうでしたら悲鳴を上げて人を呼ぶか、慌てふためいて逃げ出すか、逆に襲いかかって来るかの三択です。ここまで落ち着いているのも、これもまたエリの時と似ておりますね。

 そのためか、私もすこし気楽になれました。


 おじさん呼びでないのも非常に好感度が高いです。

 私は老け顔ですので、たまにおじさん認定されてしまうのですが、悲しいものですね。実年齢はおじさんにかかりつつありますが、身体の年齢はぎりぎり十代だといいますのに。

 まあ、吸血鬼にとって加齢とは強さの象徴なのですが、人の感性も残っておりますので、どうも複雑なのです。

 少年はやはりというように軽くうなずいて、不思議そうに辺りを見回しました。


「それじゃあ、ローラちゃんも近くにいるの?」

「っ、え、ええ、まあ」


 まさかのちゃんづけに息を飲みましたが、そこは子ども、さすがの怖いもの知らずです。

 私はちらりとローラが隠れていた方向に目をやりましたが、そこに彼女の姿はありませんでした。

 帰ったということはないと思いますが、さてはて、どういうことでしょう。


「……今ちょっと、ローラは顔を出せませんが。すこしお話をしても?」

「いいよ。僕も暇だからね」


 少年はいたって気軽にうなずいてみせます。

 今この小屋には彼ひとりのようですが、へたれとはいえ仮にも吸血鬼に相対しているというのに、この落ち着き。

 大物なのかただの怖いもの知らず、世間知らずなのかはわかりませんが、領民やエリたち以外に、私を吸血鬼と知ってふつうに接してくれるのが物珍しく、そしてありがたく思えて、私は思わず顔を綻ばせました。


「夜更かしして怒られませんか?」

「怒る人、いないし」

「……ご両親、いえ、ご家族は?」

「いない。ここは親戚のおじさんの家。離れってやつ? とにかく僕ひとりだから、夜更かししても怒られないよ」

「……失礼しました。それで、あなたはローラとは?」


 私がローラの名を口にすると、少年はぱっと顔を明るくさせました。


「友達。お兄さんもローラちゃんの友達なんだよね? えっと……」

「あ、申し遅れました。私はアベルと申します」

「僕はユリウス。よろしくね、アベルお兄さん」


 こうして私は、少年……ユリウスと、まるで旧知の知人が久しぶりに訪れてくれた時のような、穏やかな会話を続けたのでした。



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