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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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60.ある侍女の扇動

※第三者視点:イザベラ(アマデウス城 侍女)



 あたしとお兄ちゃん、そしてお婆ちゃんが前から仕えているエリーゼお嬢様。

 そして、吸血鬼にしてこのアマデウス領の領主、辺境伯アベル様。

 おふたりの関係は相思相愛なんだけど、ちょっとばかりややこしい。


 ……双方が承知していることとはいえ、結婚式は挙げられず、誓いの儀式を略式で行っただけ、というおふたりだ。内縁状態であり、正式にお嬢様を奥様とは言えない。

 けれどすくなくとも、あたしたちはおふたりを若夫婦のようにとらえている。便宜上、表向きには恋人同士としているが、おふたりのようすを見ればわかるはずだ。

 まあこればかりは、人と吸血鬼の種族差によるものだ。じわじわと慣れるしかないだろう。


 ……なので。

 当人同士もあたしたちも、城で働く仲間たちだって認めている。

 神様に認められた夫婦でなくても、実態は夫婦と同じなのだから、何をどうしたっていいじゃないか!


 ……だというのに、おふたりにはまだ何の関係も結んでいないという。

 まあ、しょっちゅう手を組んでひっついているし、口付けを交わすこともしたそうだし、つい先日は同衾もした。どこからどう見ても恋人同士だ。

 それにどうやら旦那様はお嬢様の血を飲んで、吸血鬼にとっても特別な相手であると認識しているようだけど……。


 ぶっちゃけ、それだけってのはないでしょう!

 吸血鬼にとっては構わないのかもしれないが、人間にとってはそうじゃない。


「……いいんですか、お嬢様。このままでは内縁の妻ってことですよ?」

「う」


 じっとりと見つめるあたしの視線から、お嬢様は小さく呻いて目を逸らす。

 仲睦まじいおふたりの問題点は、ここだろう。


 要するに、好き合っているおふたりだけど、種族や宗教観のすれ違いから、はっきりとした行動を起こしたり、態度に表せなかったりするのだ。

 それは結婚式という儀式だったり、肉体関係であったり、書類上の分類であったりする。


 それでも構わないというのが旦那様の態度だと思うけれど、正直なところ、少々じれったいのだ。

 あたしはぐっと拳を作って、ここぞとばかりにお嬢様に言い募る。


「これってただの野合ですよ、野合! ただれた男女関係に過ぎません! 実態はともかく、法的にも書類上でも、赤の他人! ここじゃあ愛人なんて正式に認められないんですから、とっとと真祖にでも何でも誓っちゃえばいいじゃないですか!」


 あたしの力こぶを作っての力説に、お嬢様は慌てて席を立って押しとどめようとする。

 あたしとお嬢様の他は誰もいない室内を見回し、誰かに聞かれたらどうしようとばかりの焦ったお顔だ。


「ちょ、ちょっと! まだその、そういった関係はないわよ! それに、真祖に誓えなんて……とんでもないことを言うわね。マリアが聞いたら怒るわよ」

「怒りませんよ。もうとっくに、信徒であることはやめてますし」


 あっさり言ったあたしの言葉に、お嬢様は目を丸くされた。


「……え、え?」

「あたしも、もうちゃんとした信徒じゃありません。だってそうでしょう? 吸血鬼の国に来てしまったし、吸血鬼の旦那様に仕えているんですよ。それって、吸血鬼の支配を受けることでしょう? 救世主教じゃあ煉獄に落とされる、忌まわしい罪ですよ」


 人は人の主人でなければならない。人が吸血鬼の支配を受けるなど、もっての外。

 そういった趣旨は、どんな教会の説教でも聞いたことがある。吸血鬼が蔓延る世の中で、吸血鬼に負けないために、何度も何度も聞かされる話だ。


 けれど、あたしたちはそこから外れてしまった。遠く、吸血鬼たちの国に来てしまった。

 ……正直なところ、かつてあの町にいた時、お嬢様が吸血鬼に惑わされていると聞いて、あたしたちはひどく驚いた。そんなこと、病弱だが賢いお嬢様が受け入れるとは、到底思えなかったからだ。


 でも確かに、あの頃のお嬢様の状況は逼迫していた。体調も徐々に徐々に悪くなっていたし、あのクズ男もお嬢様をいたぶるように、厭味ったらしく婚約を破棄したうえ、わざわざ何度もあの離れに顔を出していた。

 もっとも、お嬢様は何倍も言い返して、決してあのクズ男に負けてはいなかったけれど。


 でも、あの時の旦那様も婚約者も、お嬢様をどんどん追いつめていた。

 あたしはそれを歯がゆく思っていたけれど、見ていることしかできなかった。

 無能な領主のせいで、町はどんどん寂れて行ったし、お給金も減っていた。正直、三人家族で暮らすのにもかつかつだったのだ。


 ……だからいっそ、お嬢様を連れて逃げ出そうと、お婆ちゃんやお兄ちゃんと話したことがある。

 それでなくても、お嬢様がいなければとっとと逃げ出していた町だ。あたしたちだけなら、最悪教会に入ることだって考えていた。まあ、それも簡単ではないし、できたとしてもつらい暮らしが待っていたけれど。

 お嬢様の病気は、人に治せるものではなかった。だから、病人を抱えての長い逃避行にはならない。そう遠くない将来、お嬢さまは死んでしまうから。

 ……だから、お嬢様の存在は大きな負担にはならない。それゆえの逃亡の提案だ。


 そのくらい追いつめられてから、はじめてお嬢様に聞いたことがある。

 つらいけれど、逃げ出そうとは思いませんか、と。

 けれどその時のお嬢様は、笑って胸を張ったのだ。


『わたしは逃げない。これって負け犬の人生だけど、それをつらいとは思わないわ。それがわたしだからね。長く生きられないとしても、せめて最後まで、わたしでいるの。それしか出来ないもの』


 ……そう笑うお嬢様は、あたしのような者から見ても、ひどく痛ましく、それでいて美しかった。

 だから、あたしもその時に誓ったのだ。

 お嬢様が逃げないのであれば、せめて最後まで、側にいさせていただこうと。

 きっと、お婆ちゃんもお兄ちゃんも同じ気持ちだっただろう。だから今もみんな、一緒にいる。




 その時と比べると、今はずいぶん変わったなあ。

 お嬢様は健康で元気になったし、考えもしなかった吸血鬼の恋人になった。

 あたしたちまで一緒になって、こうしてこの国に来てしまった。

 それがまったく不愉快でも苦痛でもないのだから驚きだけれど、やはりどこか、遠慮や戸惑いもあったりするのだ。


 そのひとつが、お嬢様と旦那様の結びつきだろう。

 吸血鬼に神はなく、あたしたちも真祖を知らない。誓う対象が違う中で、形式上とはいえおふたりのあり方が、すこしばかり複雑になってしまったのだ。


 けれど、それを悪いとは思えない自分がいる。

 神様だって、このおふたりを引き裂くことはできないはずだ。

 信徒であることを諦めてしまったし、それを神様に問い詰めることもできないけれど、これでいいのだと思える自分がいる。

 きっとお嬢様だってそうなのだ。だからこそ、吸血鬼の旦那様と一緒にいるのだから。

 ただすこしだけ、お嬢様には時間が必要だったというだけで。


「……そうよね。もう神様に祈ることも出来ないし」


 お嬢様もそれを分かっているから、ゆっくりとうなずいておられた。

 そうあっさり踏ん切りはつかないだろうけれど、ゆっくり受け入れることはできるはずだ。


「そう、仕方ないことなんです。あたしたちが救世主の神を奉ずることは、もうできないから。それはもう受け入れて、呑み込んじゃったんです。でないと生きていけませんからね」


 この吸血鬼の国に、宗教はない。

 けれど、意外なことに、その概念という奴が全くないわけではないのだ。


 たとえば、救世主教に関する本だってたくさんある。聖印に関してはすべて記述がないようだけど、それ以外は、いちおう信徒だったあたしの知らないことだってたくさん載っているのだ。

 吸血鬼の国にそんなものがあるだなんて、すごく意外だったけれど、それは哲学だとか、生活科学というやつだとか、あるいは学問そのものとして考えられているらしい。


 畏れ多いことだけれど、神様を不在のものとして考えて、そういう分野だとして読み解くと、宗教の別の側面が見えてくる。

 そういったことを学ぶことこそ、勉学なのだろう。

 あたしにはまだよくわからないけれど、それをすこしでもわかるようにすることが、学園に通うことで出来る気がするのだ。


「……まあでも、完全に捨てちゃったわけじゃないですけどね。お婆ちゃんもお兄ちゃんもそうだし、あたしも十字架は捨てきれないし」


 自室の机をそっと見る。ここは吸血鬼の城だから、彼らの弱点となるものは、極力しまいこんでいる。

 そういったものはいっさいを取り上げられてしまうと思ったけれど、これも旦那様のご配慮だ。外で決して見せないことを約束させられたけど、それは仕方無いことだと思う。

 持っていることを許されているだけでも、破格の扱いなのだ。


 吸血鬼の国に神様はいない。

 いるのは、吸血鬼の祖である真祖という方だけなのだそうだ。

 そっちも良くわからないけれど、とにかく真祖というものが、ここでは神様の変わりなのだ。神様を信じないなんて、とはじめは思っていたけれど、救世主もご真祖も、そう大差ないのかもしれないとさえ、最近では思えて来た。


 こんな考えをするあたしって、元々破戒者だったんだろうか。

 悪いことをした気にはならないのだけれど、ほんとうだったらとんでもないことだよね。


 でもとにかく、今はあたしの神様観や宗教観など、どうでもいいことだ。

 お嬢様がなんともはっきりしない立場にいるのも、旦那様との関係も、そういったことがひっかかりになってしまっている。それは何とかすべきだろう。


「……完全には捨てられないし、捨てようと思っても捨てられないとは思いますけど、そう神様に義理立てする必要もないんじゃないですか? だからもう、真祖って方に誓っちゃいましょうよ。それが嫌なら、別に誓わなくたってもいいんじゃないですか? ここじゃあ、そう言う人たちが関係を持つことだって、ふつうらしいですよ?」


 はっきりしない立場にいるのも、お嬢様だって嫌なはずだ。


「……ほんと、すごいことを言うわよね、イザベラ。わからないではないけど」


 お嬢様が俯く。

 あたしだってまだ完全に吹っ切ったわけではないし、複雑なその気持ちはよくわかるつもりだ。

 ……でも、じれじれには報いがないと、欲求不満フラストレーションが溜まるんです!

 むしろストレスになっちゃいます!


「……何より、アベルに悪いしね。こんなに気にかけて、配慮してくれてるのに」

「そうですよ。旦那様がお優しいからって、あんまり甘え過ぎるのも良くないです! というか甘過ぎて傍から見てるのがつらいです!」

「み、見せびらかしてるわけじゃないのに……」


 お嬢様が頭を抱えているけれど、こっちだってすっきりしたい。

 内々にだけではなく、おおっぴらに、お二人を祝福したいのだ。


「う、うぅん、でもなあ……」


 お嬢様が悩んでいる。異性に縁のないあたしからみれば、とてもぜいたくな悩みだ。

 ……あたしも早く、スー先生に及第点をもらって、学園に入学して、いい人を見つけたい。

 そして今度はお嬢様に、あたしの恋の悩みを聞いてもらうのだ!


「がんばってくださいね、お嬢様。あたしもがんばりますから!」

「え、ええ? そうね……?」


 お嬢様が疑問符を浮かべているけれど、あたしは将来のことを考えると、今から胸が躍り出しそうになる。

 やっぱり、良い出会いのためには積極的に行かないと。こればかりは旦那様の行動力を見習おう。


 何せ、とんでもなく遠い国だったのだ。

 あの町を逃げ出して、極夜の国へと不思議な馬車の旅だったけれど、とんでもなく足の速い一角獣をもってしても、数日かかった。今はあまりお出かけされないけど、かつてはしょっちゅう遊びに出ていたのだという。

 仕事に不真面目だったのはいただけないけれど、そのおかげでお嬢様に会えたのだから、なかなかどうして、世の中はうまく出来ている。


 あたしもきっと、頑張って行動すれば求める人に出会えるはずだ。


「あれだけ求められているんですから、きっと大丈夫です。これからの時代、女も積極的にいかなくちゃ!」

「え、ええ?」


 お嬢様は悩んだり赤くなったり、忙しない。

 けれど、恥じらいがありつつも、勇ましく漢らしいお嬢様のことだ。きっとやり遂げられるに違いない。


 応援していますからね、お嬢様。



※イザベラさんは、仕事仲間に少々毒されています。

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