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いつも月夜に血の宴  作者: 桂木 一砂
第二章:月夜の宴
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58.思わぬ邂逅に感謝します。



 アマデウス城はその床も壁も、元々黒曜石オプシディアンの暗く濃い色でしたが、今はもっと色のない、深い深い闇になっておりました。

 見回しても、壁や扉、城の内装には行き当たりません。


 ……一体どこで、時空を超えてしまったのでしょうね。

 元いた場所にはたぶん戻れるとは思いますが、ここにヒューゴたちが迷い込んでいたら心配です。


 私は再び呼びかけようと口を開きましたが、その時、私のすぐ近くに何者かがいるのを悟りました。

 瞬時にそちらへ振り返ります。

 ……嫌な気配はしませんでしたが、その状況は尋常ではありませんでした。


 へたれた吸血鬼である私ですが、内面はさておき、身体の性能はかなり良いのです。

 平素ならまだしも、緊張しながら辺りのようすを探っていた私に、これほど接近するまで気づかせないなどと、只者ではありません。


 果たして私の目の前に、闇を切り取った形が見えました。

 夜目の利く吸血鬼ですが、その姿は釈然としません。

 ……ですが何故か、その表情や姿形がわかる気がしました。




 男性とも女性とも知れない姿。

 子どものような老人のような、中肉中背のような長身痩躯のような影の形。

 美醜はどう言えば良いのでしょう。類稀なる美しさであるような、あまりに平凡であるような、何とも言えない顔立ちです。

 服装も、どうなのかわかりません。貴族然としたものとも、ふつうの平民のものとも思えます。

 髪の色も、黒か金だと思うのですが、はっきりいたしません。

 

 ……これ、わかっていませんよね。

 何故わかる気がするなどと、私は思ったのでしょう。

 相手が人なのか化け物なのかも知れませんが、それを判断する術を私は持ちません。


 ……ただ、明確にわかることがひとつ。

 その双眸は私と同じ、体内を巡る血潮と同じ、真っ赤な血の色でした。




「――こんなところに迷い込んで」


 それ(・・)が声を発しましたが、男性のものか女性のものかもわかりませんでした。

 その声音が恐ろしいのか、優しいものなのかすら、わからないのです。

 ……ですがその声を耳にした時、私は全身に戦慄が走りました。


 目の前の人影は、その姿を定かにしないままで、それでいて嫌にはっきりと精神に響く声で、私に語り掛けるのです。


「……ここはパオレが作り出した空間。よそと混線してしまったのだろう。……ああ、それと、あの子たちはこの先にいるよ。困っていたようだから、早く連れて帰ってあげなさい」


 よくわからないことを言う影は、どうやら私に似ているようでした。

 いえ、むしろまったく似ていないとも思えます。

 こうして相対していると、自分の境が消えてなくなるような、ひどい不安に襲われるのです。

 ……何となく、その相手はミラーカの雰囲気に似ているような気がしました。ですがそれすらあやふやになりそうで、ふと私は、自分がじっとりと汗をかいていることに気付きました。


 ひと言で言えば、それは“畏れ”でした。

 けれど同時に、それには酷く懐かしいような、それでいて厭わしいような、複雑なものも含まれています。


 何も言えずにいる私に、それは平然と言葉を放ちます。

 ……困った子だ、とでも言いたげに。


「だいじょうぶ。まだ時間・・はあるから。それまで十分、楽しみなさい」


 それが放つ言葉は要領を得ないものでしたが、何故か私には理解できました。

 そしてそれが、何者なのかもその時悟ったのです。


「帰りなさい。また会う日まで、君の幸福を祈っているよ……貴方は、私の器(・・・)なのだから」


 ――ご真祖。


 そう、声に出したと思ったのですが、どうやらそれは叶わなかったようです。

 はたと気づくと、私はまたあの暗がりに満ちた、広大な城の一角に立っておりました。




 私は暗がりの中で、たった今起こった邂逅を、ゆっくりと咀嚼しておりました。

 “器”と、かの影はおっしゃいました。“時間”はまだある、ともおっしゃいました。


 夢か現かわからない空間でしたが、確かに私はご真祖とまみえていたのだと、心の奥底で悟りました。

 それは、吸血鬼だからこそ、わかったことなのでしょう。

 はっきりと伝えられたわけでなく、血脈の彼方から、そう語り掛けられたのです。


 じわり、と不安が心を覆い尽くします。


 ……器。時間。

 それは否応なく、かの方が私にとって代わる時が来るのだと、明確に示しておりました。




 ……薄々は、感づいておりました。

 私が持つという“真血”は、あまりにも都合が良く、ひどく作為的だと思っていましたから。


 何のリスクも報いもなく、神に等しいとされるご真祖に近い血を、ただ甘受することなどできなかったのです。

 それは、思い返せばあまりにも明白なことでした。


 真血はご真祖に近しいもの、先祖返りのようなものだと、かつてクリスに聞きました。

 この血はあらゆる弱点を無効化させ、吸血鬼に力を与える。人と吸血鬼の病を癒すそれを、私は得難いものを得たと思うと同時に、厄介なものであるとも感じていました。


 ……便利なものには裏がある。

 作為を仕込んだ何者かの意思が介在する。


 それは至極まっとうな、あまりに順番通りの思考でしょう。

 私はそれを、どこかで気づいていたはずです。

 ただ、へたれな私はその認識を、意識の奥底へ追いやって、情けなくも考えないようにしていたのです。


 ……ご真祖は、吸血鬼にとって神のようなもの。

 その存在を信じない者はおりませんが、詳しく知る者もおりません。

 そしてそれは、どうやら、私の理解の及ばない場所にいらっしゃったようです。


 ……遥か昔、ご真祖が誕生したのと同時に、吸血鬼の因子がこの世に生じました。

 かの方がいかなる吸血鬼よりも永く生きているのは確かですが、その生存はふつうの吸血鬼のものと違うようです。

 恐らく今までも、幾人もの器たる真血持ちが、かの方の体となってきたのでしょう。

 吸血鬼の祖は、自らの系譜の血脈の中に、生き続けているのです。




 あまりにも偶発的な、それでいて突発的な遭遇でしたが、やがて驚愕が過ぎ去って思考がまとまると、私は頭がすっきりとするのを感じました。

 恐ろしいほどの混乱が通り過ぎると、かえって清々しく思えるようです。


 どうやら、ほぼ永遠に近いと思われていた吸血鬼の寿命ですが、私のものには明確な区切りがあるようです。

 ……それを、ひどく嬉しいことだと、私は感じておりました。


 きっと、歴代の真血持ちも、そうだったことでしょう。

 何故か私はそう確信できました。

 歴代の真血持ちのことなど欠片も知りませんが、断言できます。

 それは、ご真祖と遭遇したから思えるのだろうと、血の深いところで悟りました。


 ……かの方の中に、その吸血鬼たちの想いも溶け込んでいるのです。




 とにかく、私はかの方が示した方向に歩みを進めました。

 だいぶ長い間、思考の海に沈んでしまっていたようですが、実時間はそう経っていないことを、私はわかっておりました。

 けれど一刻も早く、子どもたちを探し出さねばなりません。

 そして、この闇の中から出るのです。


 すこし進むと、そう遠くない場所に、騒がしい子どもたちの気配を感じました。

 ほっと息をついて、私はそちらに駆け出します。

 まずは無事を喜ぶところですが、ヴィクターを心胆寒からしめた報いは、負って貰わねばなりません。ヒューゴだけではなく、他の子どもたちも同様です。

 同時に私の責任も追及されねばなりませんが、この場合どなたが私を叱るのでしょうね?

 けれどまずは、無事に子どもたちを連れ帰って、双方を安心させてやらねばなりません。


 私はどんな顔でヒューゴ立ちの前に立つべきか、考え込んでおりました。

 ……驚かすと飛びかかって来られそうですから、正面から行くことといたしましょう。


 怯えるどころか張り切って、こんな不気味な暗がりを探索している子どもたちを発見して、私は改めて人の強さを認識したのでした。




「……ごめんなさい。わたくしのせんりょで、みなさまにごしんぱいをおかけしました」

「舌が滑らかではないようですが、気持ちは伝わりました。こちらこそ、不手際があって申し訳ありません」


 ヒューゴがぎこちなく頭を下げ、私も心から彼に謝罪し返します。

 お飾り領主とはいえ、認可を与えたのは私です。偉い立場にいる者が責任を取るのは当然ですしね。


 とはいえ、私以上に偉い者は、この領地におりません。領内の出来ごとについては、階級が上の者であってもまず介入しませんから、叱る者がいないのです。

 それに例えばですが、社会科見学の不手際で、フランチェスカ大公閣下などのような大物に来ていただく訳にも参りません。

 フィリップに連絡を頼んでおりますし、私と学園側とで話をつけ、どこかで手を打たねばならないでしょう。


 ……ヒューゴたち三人を連れ帰り、引率者や捜索者がほっと胸を撫で下ろしてから後。

 あらゆる手続きと、ヴィクターの号泣と雷のような叱責を経て、ヒューゴはすっかり大人しくなっておりました。

 せっかくの社会科見学だったのですが、こんな騒ぎになって、さぞ子どもたちは落胆した……かと思いきや、全くそんなことはありませんでした。

 それどころか、遭難した三人……当人たちにはそんな認識はなかったようですが、とにかく立ち入り禁止区域に踏み込んだ彼らを、何やら賞賛する勢いです。


 まあ確かに、何者も足を踏み入れてはいけない場所というのは、子どもでなくても興味を惹いてしまうものですね。

 実態はともかく――たぶん、アマデウス領の影の主はフィリップ長官かマリアに当たると思いますが、表向きの最高責任者は私になります。その私が、子どもたちと学園側の責任者に頭を下げれば、それ以上は何者もどうすることも出来ません。領主の首を挿げ替えることは、人間側には無理ですし。

 それにどうやら、私の不手際に怒っている者もいないようです。学園長など恐縮して土下座する勢いでしたから。


 とにかく、ヒューゴたちも無傷でしたし、怪我や疲れ、精神的な痛手も全くなかったのは幸いでした。

 今後一切の再発を許さないことを誓って、一件は落着したのです。


 ヒューゴとヴィクタ―……主にヴィクターが落ち着いてから、その晩は久しぶりに、みんなで晩餐を共にしました。

 食堂は広すぎると、エリたちにも不評でしたので、客間を改装したこじんまりとした席です。

 人間用の料理をひとつも口に出来ない寂しさは相変わらずでしたが、マリアがよくお酒に付き合ってくれるので、さほど気にならなくはなってきました。

 ヒューゴたちも今晩は城に泊るようで、ほどほどのところでお開きにします。




 久しぶりにヒューゴとヴィクターをまじえた食後の団欒を楽しみ、それぞれが部屋に引き揚げる段になってから、私はエリに声をかけました。


「エリ、すみませんが、今日は一緒に寝てくれますか?」

「うぇ!?」


 どこから出たのか不思議なほど、裏返った変な声を彼女が発します。

 ……結婚式は上げられず、近いの儀式のまねごとをしただけの、私とエリの関係です。口付けや吸血行為はあっても、肉体関係はありませんし、無理強いするつもりもありません。

 エリたちの国では式を上げない限り、そういったことを許さない慣習がありますし、私も人ではないので、そのような情感も薄めです。おかげでさほど、がつがつせずに済んでおります。

 ……まあ、エリが相手では、その方向性も狂いっぱなしではあるのですが。


 ともあれ、私の直截な想いを彼女に伝えます。

 エリは一瞬赤くなりましたが、次の瞬間には猛烈に怒り出しました。


「ちょ、ちょっと、そういうのはもうちょっと、何というか、雰囲気とか気持ちが盛り上がった時とかに――」

「体を許せとは言いません。ただ、一緒にいて欲しいだけです」


 エリは一瞬言葉を詰まらせ、そして私のようすに何かを感じ取ったのか、いぶかしげな表情を浮かべました。


「……どうしたの? 何だか、元気ない? あれ、でも嬉しそう……?」


 自分でも、自らの気持ちがよくわかりません。

 今日遭遇したあの方のことを、どう捉えて消化しているのか、私自身計りかねているようです。

 ……ただ、私があの時感じたもののひとつは、確かに歓喜でした。




 人であるエリは、吸血鬼である私にとって、そう遠くない将来に別たれてしまいます。

 それは、誓いの儀式のまねごとをした時の言葉通り。

 死がふたりを別つ瞬間が、いずれ必ず訪れるのを覚悟しておりました。


 そして死は、その瞬間だけでなく、際限なくエリと私の距離を遠ざけるのです。

 私が生きている限り。


 永遠の命がある吸血鬼ですが、限りある命のエリを好きになった以上、それは障害にしかなりませんでした。

 吸血鬼から人になるだの、人から吸血鬼になるだの、エリと出会った時のすったもんだは、今でもおかしく思えますが、それでも真剣そのものでした。

 同じ時を生きられないというのは、私にとって別離に他なりません。ただ私が置いて行かれるだけでなく、彼女に置いて行かれて後もなお続く自分の生を、ひたすら恐れておりました。


 まあ、寿命あるエリより先に、私が死んでしまう可能性も無きにしも非ずなのですが。

 逃げ足だけは自信がありますからね。臆病者のへたれのくせに、生き汚いのは自覚しております。

 永遠の命があってさえ、今のところ死ぬのは怖いのです。


 ……ですが今日、ご真祖と遭遇して、そうではないことを悟りました。

 私にも命に限りがあり、それはいずれご真祖にとって変わられるのです。

 それは吸血鬼にとっての死ではありませんが、人にとっては他の何ものでもないでしょう。

 人であった頃のことを忘れきれない私は、それを恐れると同時に、たしかに喜んでおりました。


 エリと同じく、限りある命を生きることが出来るのです。

 これに勝る喜びはないでしょう。




 私のそのような心内など知る由もないエリですが、いぶかしげな表情をわずかに赤らめて、上目づかいで私を見ます。可愛いです。


「……よくわからないけど、私も誓ったんだし、い、一緒に寝るくらいなら、いいわよ。で、でもなんて言うか……心の準備というか……」

「ほんとうに一緒にいるだけでいいのです。あ、でも私の体は冷たいので、エリが冷えてしまいますね」


 くすりと笑うと、エリは憤慨したように頬を膨らませました。相変わらず可愛く、和みます。

 体温のない自分の体が恨めしい瞬間でしたが、まあ、体を温める魔法もありますし、エリに風邪をひかせないよう注意すれば大丈夫でしょうか。エリが嫌がらなければ嬉しいのですが。


「大丈夫よ、ここの毛布ってすごく気持ちいいもの。熱くも寒くもならない、不思議な毛布とベッドなのよね。材質って何なのかしら」

「たしか魔物の羽毛ですから、人の国にはないでしょうね」


 エリが許してくれたので、私は胸がほっこりと暖かくなりました。

 ……彼女に一緒に寝て欲しいと思うのは、同じように限りある時を生きることができる喜びと共に、やはり恐れがあるからのでしょう。

 エリの存在を近くに感じていないと、不安で眠れなさそうです。


 ですがさすがに、そんな情けないことは、彼女の前では言えません。

 みみっちい男ではありますが、愛する人の前でくらい、虚勢を張っていたいと思うものなのです。同時に甘えたくもあり、複雑なのです。




 まだすこし恥ずかしがっているエリを連れて、私たちは私室に退がりました。

 せいいっぱい甘え、甘えさせて、それからどうしましょうか。

 久しぶりに、膝枕もしてもらいましょう。エリも何だかんだで、私に甘いですからね。


「……ほんとに、変なことしない?」

「そんなに節操がないように見えますか? そこまで信頼がないとは思いませんでした。つらいです」

「い、いや、めちゃくちゃあるんだけど。でも、それと乙女心は別物というか……」


 互いに夜着に着替え、ひとりどころかふたりや三人で横たわってもまだ余る大きな寝台を前に、エリが赤くなったり複雑そうな顔をしたり、忙しそうです。

 可愛らしい態度のエリと戯れていると、私のちっぽけな怖れや不安など、あっという間に流されて行きます。

 私はただ笑って、彼女の肩をとりました。エリもすこし緊張していたようでしたが、いかにも寝心地の良いベッドの中で、やがて観念したかのように目を閉じます。


「……おやすみなさい」

「……おやすみ、アベル」


 何の構えもない挨拶に、同じように返答があることのなんと喜ばしいことか。

 それを感謝しつつ、彼女と共に穏やかな眠りにつきました。

 抱きしめるのも、抱きしめられて眠るのも、良いものですね。




 ……私に残された時間はまだあるようですが、その瞬間がいつ訪れるかは知れません。

 もしかしたら百年後かもしれませんし、明日かもしれません。

 すべては真祖のみが知る。かの方の手のひらの上なのでしょう。


 けれどそれまで、せいいっぱい生きて愛し抜くことを、エリに誓います。

 彼女と共にある喜びを噛みしめ、共にあるこの時を、謳歌することといたしましょう。



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