50.月夜の宴と参りましょう。
夜会も終わり、思わぬ訪問者たちも無事に見送って、またいつもどおりの夜がやって来ました。
私もだいぶ仕事が板に着いたのか、執務の合間にエリといちゃつく余裕すら出来ました。エリも私の仕事を手伝ってくれるようになり、行政区にもよく顔を出しています。どうやらジェシカと仲良くなったらしく、たまにイザベラも一緒に城下へ繰り出しているようでした。
件のイザベルもそうですが、ヨハンもマリアも、すっかり城での仕事に慣れたようです。ビアンカとも慣れ親しんで、しゃべらない彼女と仲良くお茶をしている姿も良く見かけます。
フレッドはいつもどおり、ビアンカにひっついてあれこれ頑張っているようですが、進展はじりじりとしたままのようです。ですがそれもビアンカとの付き合いにはふつうですし、彼女も満更ではない気配が見えましたので、心配は要らないでしょう。
ヴィクターとヒューゴは学園の寮へ移りました。中途からの編入ですが、どうやらヒューゴは勉強ができるらしく、早々に学園での暮らしにも慣れたようです。一度友達を連れて遊びに来ると便りが来ました。楽しみにしていましょう。
ヴィクターは護身術を含む体育関係の教員となったらしく、老体に鞭打つなどなかなか厳しいと笑っておりました。
どうやらふたりも、新しい生活に馴染んでいるようです。
双子は相変わらず、私を立ててエリたちと仲良くしてくれています。以前熱烈なファンに迫られたところを、エリとイザベラで不届き者を成敗し、救助するという顛末さえありました。怖かったので詳しくは聞いておりませんが、マリアが良くやったと息巻いておりましたし、悪いことにはならなかったようです。
まあ少々行き過ぎたとはいえ、充分反省したという不届き者は、双子の説教で放免となりました。愛が過ぎるのも困りものですね。やるならフレッドのように根気よく、お互いが好ましいと思える距離を測りながらやるものです。
スーは相変わらず植物園に居ます。ネズミもよく獲ってくれるので、庭師や厩の世話をするヨハンとだいぶ仲良くなったようです。相変わらず小動物を丸呑みにするのはすこし怖いのですけれど、私以外の者はすっかり慣れているようです。みんな肝が太いですね。
ええ、私はマリアに弟子入りしましたとも。その魂胆を鍛えるにはどうすれば良いのか、と。
マリア曰く、肝っ玉を鍛えるにはまずお酒だと言っていたのですが、ほんとうでしょうか?
ともあれ、おかげでこの城の晩酌は、だいぶ賑やかなものとなりました。マリアにビアンカ、そしてフレッドに私、時折エリや行政員たちも含まれます。エリはあまりお酒は好みませんが、晩酌の穏やかな団欒がお気に入りのようで、私も嬉しい時間です。
ですがフィリップは健康面に不安があるのでお預けです。たまにトーマスやジェシカたちと飲んだくれているのですから、休肝日は作りませんとね。領主の晩酌には良いお酒が出ると聞いたのか、結構執念深く狙われております。お酒は人を狂わせますね。
それから一度、クリスの見舞いにも行きました。久しぶりに会った彼は以前と同じで、いつもどおり美しく若い女性を侍らせておりました。
安心して帰ろうとするとまたも血を求められたので、今度はきちんとお断りしておきました。どの吸血鬼からも求められては、いくら血があっても足りません。手強くなったねと笑うクリスは、以前無理に噛みついたことを謝ってくれました。ローラにぼこぼこにされて、何か心境の変化でもあったのでしょうか。
……まあ、たまにならお裾分けしてもいいでしょう。友達ですし、お世話になっていますし。ほんとうにたまにですが。
ローラは相変わらず不遜です。時折アマデウス城を訪ねては私の仕事ぶりを見張り、散々に血菓子を食べてお茶を飲んで帰って行きます。相変わらず血をせがまれますが、プリムローズの名を出して断れば、三回に一度くらいは防ぐことができるようになりました。
私もたまに遊びに行きますが、ローラのハーレムは着々と増えておりましたね。アマデウス領から彼女好みの者が発見されないか、気が気ではありません。
プリムローズからは、時折便りが届くようになりました。以前言っていたバラの品評会のお誘いもあります。
ほんとうならばエリと楽しみたいのですが、他領のしかもかなり遠隔地ですので、たとえ行けたとしても人の身ではつらいです。こういう時ばかりは、人であるのが恨めしく思ってしまいます。いけませんね。
ですがエリは、私を双子と一緒に送りだしてくれました。楽しんで来てねと笑う彼女が天使過ぎて、私は身を焼かれてしまいそうです。
……そんな夜が幾夜も過ぎた頃、私はエリとふたりだけで、遠乗りをしに行きました。
さすがにまだ狩りはできませんが、エリは乗馬にもすっかり慣れたようで、駆け足で先をどんどんと進みます。
アマデウス城近郊の平原です。この辺りならば魔物もまずおりませんし、凶暴な獣も少ないはずです。
近くには森と湖もあり、風光明美な地形です。マリアや料理人たちが腕をふるってくれた料理も、バスケットに入れて持ってきておりますし、存分に楽しむ予定です。
人の国で言えば早朝の時間帯ですから、アマデウス領は地平線の縁がうっすらと明るんでいます。
薄い三日月が低い位置にかかり、辺りは幻想的な青い静寂に沈んでおりました。
エリはその光景に見惚れているようです。領内にはもっと美しい場所もあるので、次回は是非そちらに行きたいですね。もっとも遠過ぎるので、荒野にある転移装置なども使わないといけませんが、できれば馬車などで時間をかけて行きたいものです。
……ええ、もう仕事はさぼりませんよ? 双子にも分担はしてもらいますけれど、領主にだって休みは必要なのです。
「すごい、きれいね」
馬上のエリが、夜空に向かって手を伸ばしました。
淡い白から深みのある青、そして藍へと連続的に移り行く、美しい空です。月下の緑や、静かな湖の畔も相まって、どこか別世界へと迷い込んでしまったような錯覚に陥りました。
馬を下りて、私はエリとふたりで辺りを散策しました。鳥が可愛らしく歌い、小動物の影が時折視界の隅を横切ります。
湖水はどこまでも透明で、湖面には時折波紋が浮かび上がります。魚がいるのでしょう、水面下でわずかに魚の鱗がきらめいているようでした。
「ここで釣りをしたら、きっと大漁ね。鹿狩りはまだだめだけど、魚ならきっと獲れるわよね……持ってくればよかったわ」
エリはどこまでもアウトドア派のようでした。いえ、私も嫌いではないのですけれど。
もっとこう、しんみりと辺りの景色を楽しむのも良いと思うのですが。
「冗談よ。たまには静かに、こうしてふたりでいるのもいいと思うし。釣りは今度にとっておくわ」
くすくすと笑って、エリが腕に巻きつくようにしてきました。
今日のエリは、ふだん好んで着るような、ふんわりとしたワンピース姿ではありません。乗馬服にブーツで、長い髪もひとまとめにしています。女性らしく腰回りがきゅっと絞られており、ワンポイントにリボンが飾られております。エリはキュロット姿も十二分に可愛くて、私は見た時身悶えしました。格好良いと可愛いが同居するなんて奇跡です。
しばらくの間エリと風景を楽しんでいると、ふと甘い香りが鼻をくすぐりました。
エリと顔を見合わせると、彼女も興味を引かれたのか、私の腕に絡んだまま歩きだします。薄い靄がかかった浅い森を通り抜けると、果たしてそこには花畑がありました。
木立の間に開かれたそこには、一面の白詰草が生えていました。クローバーの葉も青々と生い茂っており、可愛らしい花園のようです。
……どこか、エリと出会ったラベンダー畑に似ておりました。
私は不意にそれを思い出して、目を輝かせるエリの横顔を窺います。ここで言わねばならない気がしたからです。
「エリ……いえ、エリーゼ。私と誓いを交わしてくれますか?」
きょとんとした彼女でしたが、やがてふわりと笑いました。彼女も私と同じ気持ちだったのでしょう。
吸血鬼ですから神に誓えず、人ですから真祖に誓えない私たちですが、結婚という形ではないものの、契約を交わすことはできます。
白詰草の花畑の中心で、私はエリの手を取ってひざまづきました。
ふわりと風が吹いて、甘い香りが強く感じられました。幻想的な光景の中で、どこか夢現のまま、しかし現実としてこの言葉を伝えます。
「どうか、死がふたりを分かつまで、私と一緒にいてください。出来うる限りの力で、あなたを幸せにしてみせます」
「ええ、死がふたりを分かつまで、わたしもあなたに誓います。わたしの全霊をもって、あなたに幸福を」
それまでどうか、心安らかにいられることを願って、私は立ち上がってエリーゼに口付けました。
ささやかな誓いですが、それがこの上もなく尊く、厳かなものでした。
吸血鬼が人に戻れることもなく、ただあるがままを受け入れることしかできない私です。
ですがきっと、それで良いのでしょう。足りない私のことを、どこか寒々しい心の隙間を、温かく塞いでくれる人がいるのですから。
今の私に不自由はなく、愛しい人と家族が一緒に居てくれます。
吸血鬼にとっての、いつも月夜に血の宴とは申せませんが、それでも限りある時を喜び、幸福に過ごすことはできるのです。
……その幸運を、私はずっと感謝して過ごしましょう。
月下のアマデウス領で、私は神でも真祖にでもなく、愛しい人に誓ったのでした。
……どうかこの幸いが、末永く続きますように。
読んでくださり、ありがとうございます。
第一章のお話はこれで完結となります。
第二章として第一章の補完・伏線回収のお話を、不定期に投稿いたします。
SF要素がちょっとだけ追加されます。
よろしかったら、そちらもどうぞ。




